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【コトダマ027】「倫理に「迷い」や「悩み」がつきものである、ということは・・・」

倫理に「迷い」や「悩み」がつきものである、ということは、倫理が、ある種の創造性を秘めているということを意味しています。

伊藤亜紗『手の倫理』p.40

実は上の引用には、続きがあります。長いので少し省略しながらご紹介します。

なぜなら、人は悩み、迷うなかで、二者択一のように見えていた状況(略)にも実はさまざまな選択肢がありうること(略)に気づき、杓子定規に「〜すべし」と命ずる道徳の示す価値を相対化することができるからです。

「倫理」とは辞書によれば「人として守り行うべき道」とのことですが(「デジタル大辞泉」より)、著者は、道徳が絶対的で普遍的な規則であるのに対し、倫理は「現実の具体的な状況で人がどう振る舞うかに関わる」と定義します(p.37)。そこでは「なすべきことは何か」という問いに加えて「できるかできないか」という現実的な要素が問題になります。

さて、具体的な状況に基づくものである以上、倫理とは一律に決まるものではありません。私は社会福祉士ですが、「社会福祉士の倫理綱領」などをみても、矛盾とまでは言わなくても、現実に簡単に適用できるような項目ばかりではありません。倫理に沿って行動しようとすると、そこには必ず「悩み」が生じます。組織の一員であることとクライエントの利益のどちらを優先すべきか(例えば「職場を訴える」行動に出ようとするクライエントにどう対応するか)、クライエントの財産の保持と自己決定の自由をどう両立させるべきか(例えば、家賃を滞納したままギャンブルにお金をつぎ込むクライエントにどう対応するか)、等々。

でも、その「悩み」こそが大事であると、著者は言います。それは悩むからこそ「二者択一のように見えていた状況にも実はさまざまな選択肢がありうることに気づ」けるからなのです。倫理こそが私たちの足かせであるように見えて、実は私たちの、ひいてはクライエントの救い主である、ということがあるからです。

道徳は普遍的であるがゆえに、そういう器用なことはできません。現実の状況に即してどうにかしようとするからこそ、そしてそんな中でも倫理を踏み外さないよう自分を保とうとするからこそ、そこから創造的な支援を導き出すことができるのですね。


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