hachiroeto@社会福祉士

東京下町の某自治体で働きながら、社会福祉士の資格を取りました。東京社会福祉士会員。福祉のシゴトのヒントになりそうなフレーズを不定期でご紹介します。

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東京下町の某自治体で働きながら、社会福祉士の資格を取りました。東京社会福祉士会員。福祉のシゴトのヒントになりそうなフレーズを不定期でご紹介します。

最近の記事

【コトダマ030】「必要であればあるほど・・・」

う~ん、真理ですね~。 必要な人ほど忠告を拒む。ダ・ヴィンチは、それを愚かなことであると指摘しているだけですが、私たちソーシャルワーカーは「忠告を聞き入れない相手が悪い」と言っているだけでは済みません。むしろ「人はそういうものだ」と熟知していなければならないのでしょう。 忠告するだけなら簡単なんです。難しいのは、自分で気づいてもらうこと。そのための技術をこそ、私たちは磨く必要があるのだと思います。

    • 【コトダマ029】「ある意味、人は生れ落ちた瞬間から・・・」

      助産院が舞台のこの小説ならではのセリフですね。語られるタイミングも絶妙で、グッときました。 特に解説はいらないですよね。誰もが孤独であるがゆえに、誰もが人とのつながりを求めてやまないのです。

      • 【コトダマ028】「『その人が見えた』という見え方の変化は・・・」

        本書に取り上げられている実践例の中から、安里看護師の言葉を引用しました。 本書はACT(Assertive Community Treatment:包括型地域生活支援プログラム)という、重度精神障害者の地域生活の支援に関わっている方々の実践をまとめた一冊です。薬頼み、入院頼みの医学モデル的アプローチとは真逆の実践例がたくさん出てきます。 クライエントである精神障害の当事者から「助けて」と連絡を受け自宅に駆け付けた安里さん。救急車も到着しており、頭部から出血しているとの話も

        • 【コトダマ027】「倫理に「迷い」や「悩み」がつきものである、ということは・・・」

          実は上の引用には、続きがあります。長いので少し省略しながらご紹介します。 「倫理」とは辞書によれば「人として守り行うべき道」とのことですが(「デジタル大辞泉」より)、著者は、道徳が絶対的で普遍的な規則であるのに対し、倫理は「現実の具体的な状況で人がどう振る舞うかに関わる」と定義します(p.37)。そこでは「なすべきことは何か」という問いに加えて「できるかできないか」という現実的な要素が問題になります。 さて、具体的な状況に基づくものである以上、倫理とは一律に決まるものでは

          【コトダマ026】「他人を信じられない人間は・・・」

          「名言の宝庫」福本マンガからの一節。他人を疑い、騙してばかりいた詐欺師的な画商が、自分の鑑賞眼を信じられず自滅するシーンでの一言です。 よく「自分が信じられない者は他人を信じることはできない」といいますが、あえて逆にしているのが福本先生らしいですね。ニワトリとタマゴのような話ですが、いろいろと考えさせられます。 おそらく、他人を疑う心は、どこかで自分自身を蝕み、すり減らしているのだと思います。だからといって他人を全面的に信じるには、この世の中はあまりにもリスクが高い。どう

          【コトダマ026】「他人を信じられない人間は・・・」

          【コトダマ025】「ケアマネジャーは、いわば・・・」

          https://www.caresapo.jp/wp-content/uploads/2022/07/20220802kentoukai.pdf ネット上で見つけた言葉です。引用元の「誌上ケース検討会」は雑誌「ケアマネージャー」で20年ほど前に連載されていた企画のようですが、今読んでも参考になる点が多いのでおススメです。 さて、上のフレーズは、ケアマネに限らず「相談員」と呼ばれる立場の方には「刺さる」のではないでしょうか。 特に最近は、多くの現場で「多職種連携」が求めら

          【コトダマ025】「ケアマネジャーは、いわば・・・」

          【コトダマ024】「人生には解決法なんか・・・」

          ずいぶん長いこと放置してしまいましたが、ボチボチ再開いたします。とはいえ、どれくらいの人が読み続けてくださっているのかわかりませんが・・・・・・ さて、冒頭の言葉。サン・テグジュペリ『夜間飛行』からの一節ですが、読んでいて思わず膝を打ちました。 これって、まさにエンパワメントじゃないか。 相談を受けると、どうしても「解決法」を示してあげたくなります。 時には、代わりに解決してあげたくなることも。 でもそれって、その人の「前進中の力」を奪っているだけなんじゃないか。 か

          【コトダマ024】「人生には解決法なんか・・・」

          【コトダマ023】「あなたは、これまで生まれてきた・・・」

          ヘレン・ケラーは、たぶん「世界で一番有名な障害者」でしょう。目が見えず、耳が聞こえず、話せないにもかかわらず、超人的な努力で苦難を克服した「奇跡の人」。子どもの頃、伝記を通してその人生に触れた人も多いでしょうね。 でも、自らも視覚障害者である著者は、そんなヘレン・ケラーに文句タラタラです。何しろみんなが、ヘレンを引き合いに出して言うのです。「もっとがんばりなさい。ヘレン・ケラーを見習いなさい!」と。 でも、ヘレン・ケラーは本当に、そんな人間離れした「偉人」だったのでしょう

          【コトダマ023】「あなたは、これまで生まれてきた・・・」

          【コトダマ022】「答えは・・・」

          質問する人は、必ずしも答えを求めていないんですよね。 そのことに気づくまで、私は、ずいぶん長い時間がかかりました。 でも、フランスの思想家モーリス・ブランショのこの言葉は、さらに深いところを突いています。 私の言葉で言い換えるなら、 答えは、質問を殺してしまうんです。 そこからは、何も生まれません。 質問に必要なのは、答えではありません。 では、何が必要なのかって? ふふふ。 それを言ってしまうのは「答え」ですよね。 大事なのは、質問にしがみついて、そのことを考え続けるこ

          【コトダマ022】「答えは・・・」

          【コトダマ021】「われわれは他人の知識で・・・」

          勉強が必要ない、ということではありません。役に立つ制度とか地域のキーパーソンとか最新の理論について「物知り」であることも、ソーシャルワーカーには必要です。 でも、どんなに知識を仕入れても、それだけではいずれ限界が来ます。私たちは自らの「英知」をつねに磨き続ける必要があるのです。そのためには、悩み、苦しみ、七転八倒し、しがみつき、そしてその間、常に考え続けることだと思います。

          【コトダマ021】「われわれは他人の知識で・・・」

          【コトダマ020】「ケースワーカーはクライエントと・・・」

          はい。なんかもう、余計な解説はいらないですね。 言うまでもない、全ケースワーカー、全ソーシャルワーカーの必読書です。読みましょう。

          【コトダマ020】「ケースワーカーはクライエントと・・・」

          【コトダマ019】「今日の夜になって・・・」

          ソーシャルワーカーの仕事って、必ずしも、目に見える成果があることばかりじゃありません。いや、成果がない、と感じられる日のほうが多いでしょう。 毎日、毎日、同じことを繰り返しているようで。 いったい自分は何をやっているんだろう、と思うこともあって。 でも、それは決して、無駄な日々じゃない。徒労じゃない。 私たちは気づかぬうちに「目に見えない建造物」を築き上げているんです。 黙々と、運ぶべき石を、運ぶべきところに運ぶことによって。 そして、いつもと変わらないと思える、ある

          【コトダマ019】「今日の夜になって・・・」

          【コトダマ018】「私たちがらいを病んでいたとしても・・・」

          最初に言っておきますと、「らい」という言い方は、今はしません。「ハンセン病」と言います。ただ、この本が刊行された1966年には、まだ「らい」という呼び方も残っていました。 もっとも、アメリカでは1952年に「leprosy」が「Hansen's desease」へと呼称変更され、日本でも患者団体は1959年の時点で「ハンセン氏病」に改称しています。ただ、国(当時の厚生省)や専門学会は「らい」の名を使い続け、それは1996年の「らい予防法廃止」まで続きます。著者が「らい」の名

          【コトダマ018】「私たちがらいを病んでいたとしても・・・」

          【コトダマ017】「なんでも知っているというようにふるまうよりは・・・」

          昨日に引き続き「わかる(知る)」ことをめぐるフレーズをご紹介します。 どんな人でも、目の前にいる人がどういう人か、何を考えているかわからないと、落ち着かない気分になります。だから、その人を「理解した」つもりになって、安心を得ようとする。その時に「活用」されるのが、その人のもっている属性、つまり「性別」や「年齢」や「人種」や「障害」や「疾病」といった要素です。 「わかろう」とすることは、人間の本能と言っていいかもしれません。でも、「わかる」ことで失われるものがあることには、

          【コトダマ017】「なんでも知っているというようにふるまうよりは・・・」

          【コトダマ016】「相手に対して、あぁ分かるなぁと・・・」

          はい。これは説明不要ですね。典型的な落とし穴のひとつです。 特に危ないのは、ソーシャルワーカーが「相手のことが分かってあげられてる自分」に酔っちゃってるときですね。で、クライエントをほったらかして勝手に盛り上がってしまっている。クライエントはそこに水を差したくなくて、「なんか違うんだけどな・・・・・・」と思いながら、それを口に出せないでいる。まあ、状況としては、最悪ですね。 面接はクライエントのためのものであるはずなのに、これじゃソーシャルワーカーのための、ソーシャルワー

          【コトダマ016】「相手に対して、あぁ分かるなぁと・・・」

          【コトダマ015】「人は皆弱き者である・・・」

          「同情」というのは今でいえば「共感」でしょうか。でも、言いたいことはわかりますよね。 『ヨブ記』や内村鑑三のことについて書き始めたらキリがないのでやめときますが、まあとにかく『ヨブ記』は福祉関係者必読ですよ。私たちが相手をしている人たちが「現代のヨブ」であることに気づかされると思います。私たちソーシャルワーカーは、ヨブの友人たちのようにはなっていないでしょうか。 とはいえ、ヨブ記はなにしろ「旧約聖書」ですから、決して読みやすくはありません。その本質を語りつくした名著がこの

          【コトダマ015】「人は皆弱き者である・・・」