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【コトダマ005】「美徳そのものもみだりに用いれば・・・」

美徳そのものもみだりに用いれば悪徳に変わり、時として悪徳も行い次第で価値あるものとなる。

ウィリアム・シェイクスピア『ロミオとジュリエット』p.79(松岡和子訳)より

まあ、当たり前と言えば当たり前のことですね。
健康に良いと言われてるからといって、同じモノばっかり食べてたらかえって身体に悪いし、たまにはお酒を飲んだり、甘味料たっぷりの甘いモノを食べることも、人間には必要ですから。

でも、こと「支援」となると、どうしてもクライエントの周りから「悪いこと(悪徳)」を全部なくして、「良いこと(美徳)」ばかりで埋め尽くそうとしてしまうんですよね。
タバコやお酒、ギャンブルを遠ざけて、健康的な食事や運動を「提供」し、それが「適切な支援」と呼ばれて評価される。
でも本当は、クライエントも一人の人間。「悪いこと」が全然ない生活は、かえって不自然です。第一、それってノーマライゼーションじゃありませんよね。

とはいえ「悪いこと」を許容するのは、特にプランナー(ケアマネとか相談支援専門員とか)にとっては、けっこう勇気が要るものです。
それで失敗したりトラブルが起きてしまったら「責任が取れない」とも考えてしまいます。

だったらどうすればいいの? ということになりますが、これには正解はありません。
でも、冒頭に掲げたこのシェイクスピアのセリフを思い出してみれば、少しはヒントになるかもしれません。
ポイントはズバリ「〈それ〉は、〈その人〉にとって【良いこと】か【悪いこと】か」。もちろんそこには「どの程度の提供か」という観点も含みます。
言い換えれば、その人の意思に基づき、その人らしい人生をまっとうするためには、何が必要なのか、ということです。
バイステックのいう「個別化の原則」ですね。

適度な「悪徳」のスパイスは、人生には必要です。
私にも、あなたにも、あなたのクライエントにも。
とはいえ、福祉に携わる人にはマジメな人が多いので、まずは自分の人生の中の「悪徳」のパーセンテージを、少し増やすところから始めてもいいかもしれませんね。
ちなみに私にとって、それは「麻雀」と「お酒」です。

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