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コロナ外出自粛下の読書ーーみかん本と偽史本に通底する人文学の「そこぢから」

やっちまった「みかん本」

久々にやっちまった・・・。秋からほぼ2か月もかけて自宅の仕事場を整理して、書籍類も大幅に断捨離。にもかかわらず、年末にまた、えらい本を衝動買いしてしまった。
厚み4.5センチ。A5版、671ページ。定価3000円とはいいお値段。これを買うと、また書棚を無駄に圧迫してしまうとわかっていたのに・・・。
「いや、今どきこんな厚みの本、出版するかな~。電子書籍でええんとちゃうの」と突っ込み入れながらも、注文してしまった・・・。

著者は、山口県周防大島で「みずのわ出版」という地方出版社を営むかたわら、みかん農家を営む柳原一德さん
ずいぶん前に一度、この出版社に宮本常一に関する本を注文したことがある。それから何年かして、みかん販売の案内メールが来るようになってから、冬に度々ここのみかんを注文するようになっていた。
メールにはいつもみかんのおいしさをアピールする宣伝文と共に、不作だ、作業がしんどい、採算が合わないなどと愚痴がたっぷり書かれていて、面白いから頼んでみたら、これまた本当においしいみかんなのだ。

私は生まれも育ちも関西人なので、みかんといえば、和歌山の有田みかんをひいきにしているのだが、周防大島産のみかん(青島・大津)も
「有田みかんとおんなじぐらいにおいしいやん!」となって、それからちょくちょく買っていた。で、今年も注文していたらそれに前後するように新刊案内として届いたメールが『本とみかんと子育てと』(柳原一德 みずのわ出版 2021.1)という本の注文書。
柳原さんが神戸で興した出版社を、2011年、山口県周防大島に移転させ、2年後、島でみかん農家としてスタートしてからの日記(フィールドノート)が書かれているという。

私はみかんが大好きなので、みかんの作り方や品種の違いなど、いろんなことをいつか農家から聞いてみたいと思っていた。ならば、この本を買えばみかんのことがいっぱい書かれているに違いないと思い、思わず、2箱目のみかんを注文する際に、本も頼んでしまった・・・。
言わば、みかんの撒き餌にうっかり近づき、本の釣り針に食いついてしまったというわけだ。ああ、ミニマルな書棚を目指していたというのに・・・。

断捨離後、ややミニマルになった私の書棚にはしかし、長年どうしても手放せない、だけど、わりとどうでもいい本が何冊かある。江戸の文人、木村蒹葭堂の交友録『蒹葭堂日記』、宣教師ジョアン・ロドリゲスの『日本教会史 上・下』、歴史学者アラン・コルバンの『記録を残さなかった男の歴史』。特に感動したわけでもなく、人生に役立ったというわけではないこうした本が、なぜか手放せないのだ。
で、上記の「みかん本」(長いのでこう呼ぶ)もきっとこの類の本なんだろうな、とうすうす感じつつも注文したのだ。

みかんの物語から日本を学ぶ

年末から年明けにかけて、コロナ感染者数が急増し、1月7日、関東では2度目の緊急事態宣言が出た。寒いのとあいまってなんとなく部屋に引きこもる今、私はこの「みかん本」にはまっている。
大きさとボリューム的には「やっちまった」感はあるのだが、みかんと格闘しつつ生活を楽しんでいる日記は、四コマ漫画を読んでいるように面白いのだ。かつて奈良新聞の記者もしていたという柳原さんは、前書きで次のように書いている。

日々のみかん作業の、その時々の判断とその根拠、気候変動、猛暑、旱魃、豪雨、暖冬、寒波、鳥獣害、農薬、燃料高騰、生産価格低迷、担い手不足、等々、一見退屈な日常のなかに、多様な切り口がある。みかん一つで世界が視える。 ーーー中略ーーー
本書の記述は論考ではない。日録の日録たる所以、限界とわかっている。
 日録(日記)といっても、庶民が書き残した日記とは意味合いが異なる。取材し観察し考察し文章を書くことを生業としてきた者が、趣味ではなく真剣勝負の農業実践を通して意識的に書き遺したという、そのこと自体に一貫した書き手の作為があり、バイアスがかかっている。それゆえに、この日録の記述はすぐれて論考なのである。その自負は強くある。
 ーーー中略ーーー
読んだところで今すぐ何の役にも立たない。ただ、読み手が自身に引き込み、立ち止まって深く考える糸口の提示、それが、今すぐ役に立たない、つまらない、不要不急として、時の権力者に足蹴にされた人文学の人文学たる所以だ。

不要不急の人文学としての「みかん本」。こうした観点から読む、柳原さんの2017年から2020年までの記録は、今はもうないNHKの新日本紀行(今で言えば「ぽつんと一軒家」番組みたいな)を読んでいるように面白い。まったくとんだ、良い本を手に入れたものだ。

「偽史本」に学ぶ。人文学よ、力強くあれ!

役に立たない本といえば、昨年、私が感動した本のひとつが、『椿井文書ー日本最大級の偽文書』(馬部隆弘 中公新書)だ。

偽史本


昨年はコロナ禍で遠出しにくい環境を逆手に、「ウソ歴史ツアー」と銘打って、自宅近くの天神社・朱智神社(京田辺市)、三之宮神社・伝王仁墓(枚方市)などを車で巡っていた。これらの寺社はすべて由緒が江戸時代に捏造された偽の古文書に基づいて伝えられている。
それを知ったのが上記の本。江戸時代に椿井政隆という不埒な輩が大量の偽の古文書を創作し、その後の日本史解釈までも捻じ曲げてしまった偽文書の謎を解く本だ。椿井政隆の創作の舞台が、私の住む地域、京都山城地域だったことで、いっそうひきつけられた。
さらに著者の馬部隆弘さんの歴史学者としての矜持に胸打たれた。
馬部さんが椿井研究をしようと思ったきっかけは、大阪府枚方市の教育委員会に勤務していた頃、小学生向け副読本の内容チェックを命じられ、椿井の偽文書に基づいた誤った内容を指摘したところ、編集担当者から「史実でなくてもいいから、子供たちが地元の歴史に関心を持つことの方が大事」と指摘を無視されたことがきっかけだ。誤った「市史」で子どもたちに歴史を教えることに疑問を持たず、歴史を都合のよい解釈で町おこしに利用する風潮に義憤を感じたそうだ。
そこでこの本では、偽史が時の政治や経済に利用され正史となってしまうことの危うさを、椿井文書の発生から社会への受容を解き明かすことで、私たちの歴史への向き合い方を問う内容になっている。
馬部さんはそのことについて次のように書いている。

チェックして、それが無視されて、市史資料室のお墨付きがついたというかたちで世に出ていく。これが繰り返されると、さすがに自身の無力さが情けなくなるとともに、こういう思いをしなくてもよいようにするためには何をすべきかとまじめに考えるようになる。その結果、偽史の研究に積極的な意義を見出すようになった。
――中略ーー
歴史学が世の中を誤った方向へ進まないように導いているということが広く理解されれば、人文系を軽視する現況も多少は変わるのではないかという淡い期待を持っている。
――中略ーー
筆者の仕事をみて、歴史学は世の中に必要だと感じていただければ、なおありがたい。

世の中が不安一色になり、不要不急のことが禁じられる今だからこそ、人文学の真価が問われる。こんな時こそ、人文学のそこぢからを感じられる読書をしてみたいものだ。こたつでみかんを食べながら・・・。










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