「塩って大切なんだ」って実感した。
みなさん、『塩抜きの刑』というのはご存知でしょうか? その昔、シベリアに抑留された捕虜の人達は、塩分を加えていない食事を与えられ、そのため活力を奪われ、命を落とした人がいたそうです。そう云えば、司馬遼太郎の『俄(にわか)』という作品にも「汁留(しるどめ)」というのがありました。食べ物から塩を抜くと、どんな凶暴な死刑囚ですら3日も経つとおとなしくなるという逸話でした。
さて、わが家での小さくも大きな出来事は、妻が過労で体調を崩してしまったことでした。毎夜、小学校の地区のPTAの役員として決算資料をまとめていたり、学童保育所の指導員として勤務の負担が増えたりしていた中、折しもしっかりとした積雪が2度ほど続き、がんばりやさんの妻は雪かきに文字どおり精根を使い果たしてしまいました。それは2022年2月の中頃、ここから1ヶ月半ほど床に伏せってしまう生活がはじまったのでした。
余りにも体力を消耗してしまっていた妻は、食事も喉を通らず、ゼリーや栄養飲料を口にするのが精一杯の状況でした。夫である私は、『これはわが家の緊急事態!』と感じ、出来る限りの看病をしました。3月になると小学生の息子は春休みになったこともあり、昼には職場から一旦帰宅して、息子と自分の昼ごはん、そして妻が食べられそうな食事を用意する日々がはじまったのでした。
だらしのない私ですから、結婚生活において家事は妻に任せっぱなし。加えて台所は妻の聖域であると宣言されており、普段はほとんど立ち入ることのない領域。息子が産まれて以来、実に10年ぶりにキッチンに立ちました。なんとか体力を回復させなければと、お惣菜やレトルトご飯をレンチンして出す日々。しかし、妻は、胃の痛みと胸の不快感を理由に、白湯を飲んで横になっているばかり。
3月も下旬、気がつくと妻は体重が7キロも落ちてしまい、食べる体力や消化する体力すら無くなってしまった危機的な状態でした。一方で病院での血液検査他の結果は、特に異常も見られず、過労が主な原因だろうということで、経過観察という状態。私自身も年度末の仕事が重なっていた時期でもあり、このままでは夫婦共倒れして、息子をヤングケアラーにさせかねないと焦りと不安を感じはじめていました。
そんな時、東洋医学を学び鍼灸師をしている学生時代の友人の存在を思い出し、悲痛の思いで彼に相談をしました。すると事態を深刻に受け止めてくれた友人は、奈良県から新幹線と特急を乗り継いで翌日に駆けつけてくれたのでした。そして妻の様子を診た彼がくれたアドバイスは、「体力の消耗が激しすぎて、食事を消化することすら難しい。とにかく薄いお粥でよいから食べさせてあげて」。
最初、私が作ったお粥を食べた妻は「何これ、何でなんの味付けもしてないの。美味しくない。」と言い、数口を食べただけで少し苛立ちをあらわにして、ほとんどお粥を残してしまい、白湯を飲むと布団に潜りこんでしまう有様でした。ということで、翌日のお粥には、台所にあった ”コンソメスープの素" を少々、お粥に混ぜてみました。すると、妻は昨日よりは少し多めにお粥を口に運びました。
その後も、お粥作りは "味噌汁のダシの素" を使ったりと私なりに工夫をしていましたが、そうこうするうちに私の疲れも溜まってきてしまい、今度は私の体力も下降気味な状態に......。そんな時に妻の状況を私も察してみようと思い、私自身もお粥を食ベてみることにしました。すると「美味しくない」.......。というよりは、何かが足りない。単純な「お粥」なはずなのに一体何が足りないのか???
そんなことを思いながら、しばらく台所の調味料の棚をボンヤリと眺めていました。すると、何やら不思議なものを発見。???......。おっ!? これは何だろう?
小さなプラスチックの容器に入った調味料。「レルヒさんの塩」。おぉっ、これは数年前に私が新潟県佐渡ヶ島を訪れた際、妻へのお土産に買ったものでした(ちなみにレルヒさんは、新潟県のご当地ゆるキャラです)。料理系のアイテムやグッズが好きな妻には、誕生日プレゼントや記念日の贈り物としてこうしたものを渡すことが多いです。そして、この時、私の頭の中に何かヒラメキが生まれました。
「ゆず塩」というのがあったはずですが、使い切ってしまっていたみたいなので「紫芋塩」を選んでみました。塩の結晶はやや大きくて、ほんのり紫色。まっ、これでイイっしょ、と塩の粒を指でひとつまみ。お碗に持ったお粥の上にパラパラと散らしてみます。でも塩ですから、すぐに溶けてしまい、見た目の変化はありません。さて、妻の反応は何かあるでしょうか?
いつもどおりテーブルにお粥を用意しておくと、リビングの隣の部屋で横になっていた妻はノソノソと這い出してきて、匙(さじ)を手に取りました。ゆっくりとお粥を口に運ぶ妻の様子を観察。すると、不思議なことに匙を運ぶ回数がいつもより増えて、リズムよく往復します。
『あれっ!? これってもしかすると塩の効果!?』
そしてお碗の中のお粥を半分以上平らげた妻は、また布団に戻ってゆきました。
それでは、次なる作戦はどうしようか? 冷蔵庫を開けてみます。すると見つけたのは『しらす』。「おっ、これだ。薄い塩味があるから、きっとイケるんじゃね!?」。
そう考えた私は次のお粥のトッピングにのせてみました。妻の反応を気にしつつ、お粥をテーブルに用意。ドキドキ。なんだか、カブトムシ採りみたい(笑)。すると、一口お粥食べた妻は、たて続けに、二口目、三口目と匙を動かしたのです。
「おおっ!そうか、わかった、塩だ、塩なんだ!!」
私はまるで、流体の浮力を発見したアルキメデスが「エウレカ、エウレカ!!」と叫んだ様な心持ちで胸の中で小さくガッツボーズをしました。
一ヶ月以上の間、頭痛薬や吐きどめ薬や目まいの薬を服用していた妻でしたが、いくら薬を飲んでも、食欲を取り戻すことはありませんでした。ところが、ほんのひとつまみの塩や塩味のある食材を添えたら、無言のうちに妻の様子がみるみる変化したのです。
「健康のために塩分を減らしましょう」と現代人の食生活は推奨されます。もちろん過剰な塩分は健康に悪影響を与えるけれど、塩分が少なすぎると身体に必要なミネラルが摂取できないので、これもまた悪影響を及ぼす。やはり適切な分量の塩の摂取は大切なのだと気づきました。塩は化学的にはナトリウム(Na)だから、きっと神経細胞の電気信号の伝達とかにも大事な役割があるのかもしれません。
これは余談ですけれど、給与を意味する英語のサラリー(salary)という言葉は、ラテン語のサラーリウム(salarium)に由来するそうです。この salarium の語源は、 sal すなわち「塩」を意味していて、塩はお金と同等の価値があったのだろうと推測できます。あと、そういえば、動物園の草食動物には、餌の近くに岩塩を置いてあげて、動物達に舐めさせているなんて話があることを思い出しました。
憶測が段々と確信に近づいてきた私が見つけた次なる食材、それは「塩昆布」。これは直感的に成功する気がしました。今度のお粥の上には、「しらす」の脇に「塩昆布」をひと摘み添えて、またもドキドキしながら妻の反応を見てみます。すると、食卓についた妻はお碗を目をやるやいなや、箸を勢いよく持つと、お粥を一口。そして、なんと、お碗に口を当てると、勢いよくお粥をかきこんだのでした。
「塩昆布お粥」を完食した妻は、満足した様子でまた布団に戻っていきました。その後、妻の食事の量は日に日に増し、5日ほど経つ頃には、家の中を歩き、簡単な家事をこなせるほどにまで快復することができたのです。
そして4月の上旬には、すっかりといつも通りに近い日常生活を送れる様になってきており、以前の様に口やかましい妻の姿がわが家に帰ってきました。
『塩って、大切なんだ』。
このことは当たり前と言えば、ごくごく当たり前のことだったのかもしれません。しかし私にとっては、塩は、どんな薬よりも大きな効果を持っているんだ、とつくづくと学ぶことができ、その大切さを痛感した出来事でした。
妻が体調を崩したこの1ヶ月半の期間は、それこそ緊張の連続の日々でしたが、こうしてまた平穏な生活を取り戻すことができたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
(終)
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