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「自分の事が嫌い」と思う事自体が破綻しているっ!

「あの人自分の事好きだよな〜」そういう人のことを俗にナルシストと表現したりするが、ナルシスト結構。大いに有りだと思う。

たまに耳にするのが「はぁーあ。こんな私、嫌いだなぁ〜」ってこととかそれを人に聞く事。

「はぁ?」ってなりませんか?

自分の見た目のことが嫌いならまだ分かる。
・身長が低いのが嫌い・垂れ目が嫌い
・天パがダサい・足が臭い
とかなら。

しかし、自分のとった行動や取捨選択、内面に対して嫌いというのはおかしくないだろうか。

なぜか。

僕は自分の事をRPGの主人公と考える。
生を与えられ、名前があり、家族があり故郷があり主要キャラクターがいてモブもいて様々なイベントが発生する。年齢を重ねレベルも上げていきながらGを稼いでいく。

視覚も一人称だし、選択は全て自分次第だ。

それなのに→"選択イベントが起こりました"
→"A,Bどちらにしますか?"→どちらかを選択

→結果「はぁーあ。私ってなんでこうなんだろう。自分の事嫌いだなぁ。」じゃねぇーよ!と思う。

もちろん、例えそれが大事な物事から"逃げ"の選択の時もあるだろう。
社会的に恥ずかしい事かもしれないし、誰かに迷惑をかけてしまう選択だったのかもしれない。
第三者の視点だとそうかもしれないが一人称、自分の視点だと"好きで逃げた"という事実が確実にあるのではないだろうか。

それなのに自分の選択を後悔し、己の性格を憎むほど無駄な事は無い。

もし最低な選択をしてしまってもそれが自分だと割り切って堕ちるとこまで堕ちないと次の"イベント"は来ないはずだ。






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