【エッセイ】 あの日の僕へ、一つだけ伝えたいこと。
小学生の頃、どうしても欲しい筆箱があった。
学校帰りに、文房具屋に寄り道して"まだ手に入るか"をいつも確認していた。
僕の家は裕福な家庭ではなかったけど、欲しいと言えば買ってもらえていたかもしれない。だけど、僕は言わなかった。
ボロボロで短くなった鉛筆や、歪な丸型で黒ずんだ消しゴム、切れ味の落ちた鉛筆削り、ヒビの入った定規。
どれもこれも兄弟からのおさがりを使わされていて、もちろん不満はあったけど、それを声に出して親を困らせるのは嫌だった。
欲しいと言えないまま時間だけが過ぎていく。
その日も学校帰り、友人たちと家の近くで別れると、いつものように文房具屋へと向かった。
そして、欲しかった筆箱はもう手に入らないとわかった。
毎日来ていたからだろうか、僕が俯いていると、お店の店主が歩み寄ってきて、綺麗な鉛筆と消しゴムを差し出してきた。
僕はそれに対して「大丈夫」と断わって、お店を出た。
それ以来、筆箱に対する思いは封印し、文房具屋へ足を運ぶことはニ度となかった。
分相応、という言葉がある。
その人間の身分や能力にふさわしいことを指す言葉だ。
きっとあの筆箱が僕の手元に来ても、浮いてしまうだろう。
諦めていいこと、諦めてはいけないこと。
この区別は間違いなくある。
あの日、筆箱を諦めた経験が、一つ一つの物を大切に扱う心得になっている。
僕には、たくさんのお金を使って楽しむことより、少ないお金で小さな幸せを長く保たせる方が身に合っていると思う。
だからこそ常に現状に満足している。
そうでなければ、あの頃の僕が報われない。
僕は今の生活に満足している。
だから小学校時代の僕に、筆箱は手に入らなかったけど、心は大きく成長したよと感謝を伝えたい。
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