いつまでも休もうとしない自分を休ませる

うつを治すためには休養が必要だというのは、世間的にも医学的にも常識になってきいるのに、なぜか仕事や学校を休んでいると、ソワソワしたり罪悪感を感じたりで、うまく休めないのが僕。休日もソワソワする。

心を病んでカミングアウトしながら仕事を減らし、タイミング良いリストラで閑職になり、チャンスとばかりに兼業で起業もして、リモートワーク環境でのびのび仕事ができる。それなのに、

「限界まで頑張れ、いや、限界を超えて頑張れ」

という声がどこからともなく聞こえてくる。

「もう、心も身体もとっくの昔に限界まで使い切って壊れてる。社会もそれを認めてくれて今のまま定年まで自分のペースで仕事をすればいいってなってるのに、何のために頑張れというの?誰もそんなこと言わないよ?」

と反論してみる。

「とにかく頑張れ」

心の声に説明する気はないようだ。

「理由がないなら頑張らなくていいんじゃない?僕は、頑張らない今のほうが仕事の能率も上がってるし、新しい良いアイデアも浮かんでくる。本を読んだり、ブログを書いたりしながら学ぶことだってできてるよ。」

僕は逆に頑張らない正当性について説明をこころみる。

「いや、とにかく頑張った方がいいんだ」

だんだんわかってきた。この声の主は何も考えてない。僕の脳に刻まれた「習慣」だ。若い頃の成功体験からくる一種の妄想。

「わかったよ。君は限界を超えて頑張ることができる素晴らしい僕の資質と認めよう。君のおかげで僕はそれなりのポジションにつくことができた。でも、今の僕は頑張ると健康を害することを知っているんだ。僕はもうこれ以上苦しむことを望んではいない。」

僕の正直な気持ちを伝えてみる。

「頑張れないなら、僕に価値はない。」

成長することや、自分の価値を高めることが、かつての僕の価値観だったせいだ。ならばこれでどうだろう。

「僕はもう還暦だよ。これまでの人生で築いてきた自分にとても満足している。これ以上欲しいものはないし、むしろ増えた自由な時間のおかげで人に出会い、人生について学び、頑張らないことで得たものの方が多くなったんだよ。」

「。。。。。。。。。。。。。。。。。。」

取りあえず今日は黙ってくれたようだ。頑張った自分を否定できないし、消し去る薬もない。だから無理しない方が良いという事実を積み重ねて、自分自身を少しずつ変えていく。まだまだ時間はかかりそうだけど。

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