151. 今は利益が優先されているように思う。1960年代の私たちは、儲かるかどうかは分からなくても革新的な何かをすることに興奮していた。〜ヴィダル・サスーン〜
みなさんこんにちは。
今回は、イギリス生まれのイスラエル人でヘアドレッサー、実業家のヴィダル・サスーンさんの格言について紹介していきます。
ヴィダル・サスーンとは
1928年、ユダヤ人の両親からロンドンに生まれます。
父は3歳の時に家を出て、母は貧しさから5歳からユダヤ系孤児院に11歳まで預け、月一度しか面会が許されませんでした。
第二次世界大戦で疎開するまでキリスト系の学校に通い、
14歳で学校を中退、メッセンジャーの仕事を経て、
母の教えから義父の援助で理容室で見習いとして働き始めます。
そこでは毎朝ズボンはプレスし、靴も磨いて爪も綺麗にと命じられ、
当時の師の厳格さが後に影響を与えたといいます。
当時は週2、3回サロンに通い、パーマと逆毛で盛って高さを作り、
「グラマラスで、ロングヘアな女性こそ美女」
という固定概念があり、
そんなこびりついた考えにサスーンは抵抗し続けました。
「変化しなければ時代に取り残される」
有名美容師の元でも働きましたが従順ではなく、
独自のスタイルを継続し、
26歳でロンドンに自身の店を構えます。
最初お客さんは3人で商売は甘くないと痛感し、
そこからいかに変革するかを考え、
1963年に古典的なボブカットを元とする「サスーンカット」を発表します。
ファイブポイントカットは、大小5つのトライアングルから構成されたカットで、
指でかきあげても、すぐ元に戻り余分な場所が出ず、これ以上のものはできないとされています。
これが世界のヘアモード界を一変させ、サスーン最大の作品となりました。
また、髪の流れを生かすことを提唱し、
ブラッシングしても手ですいても元に戻る
「ウォッシュアンドゴー(洗ったまま何もしなくても出かけられる)」
を生み出しました。
そしてミニスカートを生み出しカラフルなタイツを考案したファションデザイナー「マリー・クワント」がカットのために訪れ、
この出会いが以降のファッションとビューティーの歴史を一つにしていきます。
サスーンとマリー・クワントは階級社会であった当時の女性の位置づけを大きく変えました。
その後、「他の人が寝ている間にお金を稼ぎたい。」とし、
ヘアケア用品を売り出します。
「 彼の革新的なカットが、野暮ったいサロンでの退屈な時間から女性たちを解放したのです。 」
〔参考文献〕
HAIRLOG SPECIAL:ヴィダル・サスーン(Vidal Sassoon)
https://hairlog.jp/special/article/4002
今は利益が優先されているように思う。1960年代の私たちは、儲かるかどうかは分からなくても革新的な何かをすることに興奮していた。
現代のビジネスにおいて重視されることは売り上げや利益が立つかどうか、
そのための集客やマーケティング、商品やサービスの質などが求められるようになっています。
そして、その事業が伸びることが手堅いと判断されれば、信用が高くなる、
というのが今の一般的な考えだと思います。
しかし、ヴィダル・サスーンさんが事業を立ち上げてきた、技術を磨いてきた当時、
1960年代では儲かるかではなく、何か新しいサービスを、
革新的な何かをということを探すことに燃えていたようです。
それは今現在でも当て嵌まるかもしれませんが、
誰も思いつかないような、もしくは思いついてもやっていないことをすれば事業は伸びると思います。
そして、その革新的なことを持って、消費者にどのような恩恵があるのか、
ヴィダル・サスーンさんは、
世界の女性の立場や立ち位置を変えるために新しいものを世の中に提供してきました。
最初は月に2、3人しかお客さんも来ず、
新しいものは世の中に受け入れられづらいことも経験しつつ、
それでもヘアスタイルから、ファッションから世の中の女性の立ち位置を変えるような努力をしてきています。
そしてヴィダルサスーンの
「すべてのヘアケア製品は、サロンのような仕上がりを自宅で得ることができるという理念に基づいて作られている」
そうです。
このような確固とした目的のもと、
どのようなものを提供することで目標が達成されるかを変革の中で考えてきたからこそ、
世の中の多くに受け入れられているのだと思います。
最後に
今回は、イギリス生まれのイスラエル人でヘアドレッサー、実業家のヴィダル・サスーンさんの格言について紹介してきました。
ヴィダルサスーンさんの生み出したカットによって、
世の中の女性のヘアスタイルだけでなく、生き方も変革させてきました。
新たなスタイル「フォッシュアンドゴー」という概念を生み出し、
世の中の有名人やあらゆるモデルも魅了されています。
世の中の女性の立ち位置を変えるような改革を起こしてきた根底には、
お客さんが集まらなかったり、受け入れられない経験もたくさんしてきていると思います。
それでも、自分の信念に従って、
お客さんに合った最高のカットを提供する、
髪型だけでなく、その人の骨格や全てを見て合うものを提供する、
と決めていたからこそ人々に受け入れられていったのだと思います。
そして、信念を持って仕事をしていたからこそ、
マリー・クワントとの運命的な出会いものあり、
さらに世の中に提供できるものが増えていきます。
信念を持って仕事をすること、
そしてそれが本当に自分がやりたいことで、世の中に影響を与えていきたい仕事だったからこそ、
一緒に仕事をしたいという仲間ができて、
さらに事業も繁栄していったのだと思います。
僕も自分の仕事を通して世の中に価値あるものを届けたい、
それを最高の仲間たちとやり遂げたいと思っているので、
最大限世の中に価値を提供する自分で仕事をしていきたいと思います。
それではまたどこかで。