自立は安全基地を増やすこと
小児科医である熊谷晋一郎さんの「自立は依存先を増やすこと」という有名な言葉がある。
しかし、愛着障害で他人に過度に依存を繰り返し、人生が破滅してきた私には「依存」は破滅ワードだ。
私の場合、熊谷さんが言いたい、適切な依存ではなかったのだろう。
しかし、この適切に依存先を増やせることがかなり苦手な人がいる。
「自立は依存先を増やすこと」は方法論としては間違っていないと思う。
しかし、私は敢えて、「依存先の上手な増やし方」を子ども時代から教育しないと、依存先がない人たちに依存先を増やせと言ってもかなり難儀だと思うのだ。
熊谷晋一郎さんの「自立は依存先を増やすこと」という言葉の真意は、「適切な距離感を保ち、相手の負担にならない範囲で、上手に依存先を増やすこと」である。しかし、精神疾患を抱え、他人への依存性が強い人は、この適切な距離感で相手の負担にならない範囲での依存ということそのものに困難を抱えている。要するに、他人との距離感がわからないという精神障害なので、「依存先を増やしましょう」と言っても、その真意を誤解し、単に、迷惑行為を拡大させていくだけの人もいる。
例えば、その人が持つ「資源情報」を可視化してはどうかと考える。子どもも、大人もその人が持っている資源(頼れる依存先も含む)を可視化しないとシングルマザーや性別、年齢など属性だけで社会的な強弱を見るのは危険だ。なぜなら、社会的弱者といわれる属性の人たちの中でも社会的強者もいれば、社会的強者と言われる属性の人の中にも、個人的にみれば社会的弱者は存在するからだ。
まずは、個々人の資源の可視化をしないと(一方で抱えている障害などの荷物も)支援の必要性が、どの程度かが他者には見えづらい。
しかし、資源情報をあまりに全ての人に公開してしまうと、個人情報の問題やそこから差別、偏見も生まれそうな話で、技法を開発してもなかなか一般に使用できるものでもない。
格差問題も見えない人にこそ見てほしいけど、見られたらそれはそれでスティグマも生まれてしまう。どうしたらいいのでしょうね。
「自立は安全基地を増やすこと」という言葉はどうでしょうか?「依存」という言葉は人によっては誤解を招くので、もう少し、誤解を生まない表現がいいと個人的には思います。
虐待の後遺症については、以下の書籍に詳しく描いています。精神科医の和田秀樹先生の監修・対談付き。
虐待の被害当事者として、社会に虐待問題がなぜ起きるのか?また、大人になって虐待の後遺症(複雑性PTSD、解離性同一性障害、愛着障害など多数の精神障害)に苦しむ当事者が多い実態を世の中に啓発していきます!活動資金として、サポートして頂ければありがたいです!!