言葉選びに悩み続けて。
短い短いエッセイを書きました。日記のようなものです。
受験シーズン
共通テストの朝。「センター試験まで一年きっているのに、成績が地を這っている」という夢で目覚めた。何年経っても受験生だった頃の焦りや、センター試験で緊張して力が出せず泣きながら帰った夜のことは鮮やかに思い出せてしまう。マークシートなんかにわたしの価値を測られてたまるかと思いながら、もうそれが、人生の唯一の正解のように感じた一年だった。高2のときちょっといろいろあって、受験生になった春、わたしの成績はなかなか厳しい状態だった。でもどの大学でも選べるような経済状況ではなく、ましてや浪人など許してもらえず、勉強するしかない、だけど友達が行っているような塾には通わせてもらえない、だから本屋で参考書や問題集を買って繰り返し解く日々だった。今思えば、もう少しうまいやり方があったのだと思う。効率よく、要領よく勉強する方法が。でも、それができない生き方の下手くそなところや、いざという場面で転けてしまうところが、なんかわたしらしいよなとも思う。結局全然生き方上手になれない大人になり、今年もまた受験の苦しさを思い出しながら、新しい冬にいる。
言葉選びに悩み続けて
友人とやりとりしていたLINEが、わたしがボールを投げたところで止まってしまった。既読はついて、そのあと2日、3日、1週間と時間がたっても返ってこない。人生に関するようなやや込み入った話題をしているところだったから、もしかして気に障るようなことを言ってしまっただろうか、どの言葉がまずかったのだろうなんて考えて、毎日トーク画面を開いた。結局LINEはこなかったけれど、何事もなかったように年賀状が届いて、「今年も会いたいね!」といつもの文字で書かれてあった。わたしの考えすぎだったかもしれない。家事や仕事に追われて返信できなかっただけかもしれない。でも、もしかしたらその瞬間友人が本当に少し気を悪くしていた可能性もあると思う。わたしはnoteでも、仕事でも、たくさんの人に対して文章を書いてきたのに、結局自分の近くにいるひとりへの言葉選びに、いつも一番悩み続けている。悪気なく。相手のことを思っているつもりで。ときにはサービス精神で。距離感を間違え、温度を間違え、自分の言葉選びを反省する。もう人と話すのしんどいなと思うくせに、やっぱり言葉で人とつながりたくて、言葉で人と分かり合えると信じている。それならば、より謙虚に、慎重に言葉を使うしかないんだろう。きっと。
My Way
夫が大きな音量でDef Techの『My Way』を聴き始めて、おやこれはアオハルですねと思う。青春のど真ん中で聴いていた曲で、夫もまたわたしとは違う街で、この曲を聴きながら青春していたのだなあと考えたりした。それにしても、歌えない曲だ。耳にタコができるくらい聴いたのに、英語の部分なんて「tokyo」くらいしかまともに聞き取れない。きっとこの先も一生聴き続けて、一生歌えない予感がしている。
noteで質問を募集したら
noteのメンバーシップを開設したら、質問を募集して答えたりするのをやってみたいと思い、夫に「どんな質問をしてもらえると思う?」と、想定質問を考えてみてもらうことにした。出てきた質問はいきなり「あなたは何者ですか?」。ちょっと10年くらい考えさせて欲しい。
おわり