見出し画像

満天の星空のように | Kii

先週末のこと。勤めている施設で祭典があった。

1年を通じて活動している数々の団体が、日頃の成果を演技や展示などで披露し合う催しだ。地域交流も兼ねて関連団体による模擬店も行われるなど、大いに賑わう2日間になる。

各団体に所属しているのは小学生から80代まで。そのほとんどは60代以上の人たちで占める。

祭典の半年前から運営委員会が発足し、団体の連合会の役員の方々を中心に各団体からの委員さんも主体となって、話し合いごとに少しずつ整えられてきた。

迎えた本番。私は施設を運営している側から、祭典が円滑に行われるために縁の下で備えるのが仕事だ。「ともに」という心持ちでありつつ、主体の少し外側から楽しませていただく。

普段、団体は利用する曜日や時間帯が決まっていて、施設の部屋数にも限りがあり、居合わせるにもほんの数件のみだ。それに活動は部屋内なので、どんなことをしているのか、名前では大まかにわかるけれど現れにくい。

それが一堂に会する日。ひとりひとりが持ち寄ったささやかな力も、ひとところに集まるとこんなに熱を帯びて光るのかと、この日が来るたびに私は、満天の星空を眺めるように感動する。

個々の年齢や上手かは関係なく、持っている力や身体、楽しむ心を目一杯に使っているさまを拝見すると、心がとても洗われた気持ちになる。

発表だけでなく受付や音響など、裏方の役割を果たされている方も同様だ。声をかけ合いながら進めている様は、大変そうでありつつも皆いきいきと楽しげにお見受けする。

ところで、私は毎年年末になると第九に参加をしている。中学の時にクラブで合唱を経験していて、高校の時に第九に挑戦した。30年を経て、住んでいるまちにも第九のイベントがあるのを知り参加すると、ブランクの割に意外と歌えることに驚いた。以来、年末の恒例になっている。

合唱は、文字通り声を合わせて唱うことだ。練習を経て、大勢で舞台に立ち歌っている時の一体感や、共鳴している様は多幸感と高揚感に満ちていて、ある種の極まりの時間にいられる。

基本的に、私は一人で過ごすのが好きな方ではあるし、自分のペースで物事を行うほうが楽だ。日々の中で一人の時間が取れずにいると、だんだんと憂いてしまう。その一人で過ごせない選択をしているのは自分のはずなのに、不思議と自己矛盾に浸されてくる。

一方で、たとえば自分の時間がたっぷりとあった時、私は満ち足りるのだろうか、とも思う。自分が自分だけで自分を消費するよりも、やはり誰かの中にいることの方が私を生かせられる気もしている。

漠然と、自家発電より大きなエネルギーを巡っているイメージが湧く。仕事、家庭、子育てなど、その配分が移ろい続ける中で、私はこれからもバランスを模索し続けるのだろう。

今週末、今度は主体側で別の祭典に企画参加をする予定になっている。私は、私が思うよりもずっと、人の中にいることが好きなのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!

HAKKOU(はっこう)/リレーエッセイ
目を留めてくださり、ありがとうございます。 いただいたお気持ちから、自分たちを顧みることができ、とても励みになります! また、皆さまに還元できますよう日々に向き合ってまいります。