怪獣はフィルムの中にこそ居る! -『帰ってきたウルトラマン』の証明-
『帰ってきたウルトラマン』を久しぶりに見る。
そこで思ったことをつらつらと書いてみる。
なお、本noteの画像は全て上記公式動画から拝借しております…。(みんな見てね)
見つからない怪獣
『帰ってきたウルトラマン』という作品は、「怪獣が現実には居ない」という、ウルトラシリーズには宿命づけられたと言ってよい問題に立ち向かっている。
私がこのことを気にし始めたきっかけは、前半において「怪獣を見た」という証言に対し、「調査をしたが居ない」という筋の物語が繰り返されることにある。
たとえば3話「恐怖の怪獣魔境」では、郷だけがウルトラマンになった故の超人的な能力によって怪獣・サドラの存在を認知するが、MATの調査では確たる証拠を掴めない。
それでも主張を変えない郷とチームの間に軋轢が生じ、加藤隊長が単身調査に乗り込む、というふうに話が展開してゆく。(そして当然、居る。)
あるいは7話「怪獣レインボー作戦」では、ハイキングに来ていた次郎くんの撮った写真に怪獣・ゴルバゴスが映り込むものの、合成写真だと一蹴されてしまう。
一緒に来ていた郷もその存在を察知しているが、ゴルバゴスは保護色を使えるので、MATチームは見つけることができない。
そうこうしているうちに人間が怪獣に襲われ、MATも更なる調査に動くのである。
あるいは5話「二大怪獣東京を襲撃」での、ツインテールの卵の一件にも触れたい。
次郎くんが工事現場で見つけた岩は、その実怪獣・ツインテールの卵であるが、どう見ても岩なので、岸田隊員は「念のためマットシュートで焼く」という処理をするに留まる。
しかし、郷だけがその超人的な聴力によって卵の中の心音を聴き、調査の続行を望む。ところが、度重なる反抗的な態度に痺れを切らした岸田と対立。チームは分裂してしまう。
ともかく、これもまた岩が怪獣か否かの話であって、「居る/居ない」の問題に通ずるものがある。
「怪獣が居る/居ない」の問答は、序盤だけでもこれだけある。
細かいセリフを拾えばもっとピックできるし、もちろん中〜終盤の回にも頻出しているわけで、この「怪獣居る/居ない」問題は『帰ってきたウルトラマン』のテーマのひとつと言ってよいだろう。
(当然これ以降のウルトラシリーズでも扱われている内容ではあるが。)
「見えない」怪獣
その上で、7話に登場したゴルバゴスが「見えない」怪獣であることに注目したい。
実は、『帰ってきた〜』には「見えない」怪獣が3体も登場する。
ゴルバゴス、15話「怪獣少年の復讐」のエレドータスと19話「宇宙から来た透明大怪獣」のサータンだ。
エレドータスは電気を吸うと姿が見えて、そうでないときは透明になっている。
つまりネロンガの焼き直し怪獣ではあるが、ともかく現れたり消えたりするので、怪獣の仕業である列車の脱線事故も、人為的ミスとして処理される事件が起こっていたりする。
サータンはもう完全に透明になれて、ビルすらすり抜けてしまう宇宙怪獣。こうなってくるともう居ないも同然であり、MATも赤外線装置を通して漸くその存在を確認するほどのクセモノである。
というように、見つからない怪獣が居る一方、そもそも「見えない」怪獣の登場頻度も多い。
このことは、怪獣が現実には居ないという問題と関係があると考えている。
「見えない」怪獣たちの登場する回を詳細に見ていくことで、それを明らかにしたい。
怪獣はフィルムの中にこそ居る!
まず7話。
この回には、次郎くんとその友だちが怪獣の人形で遊ぶシーンがある。
手作りの街のミニチュアセットまで組んで、怪獣人形に蹂躙させる。
そしてそのシーンを写真に収め、「いい感じだ」と楽しんでいる。
まず指摘したいのは、これがまさに怪獣映画に言及したシーンであること。
そしてそこに、先述した怪獣の写り込んだ写真が届く。
次郎くんは「本物の怪獣だ」と証言するが、MAT的には「フェイクだ」と片付けられてしまう。
しかし、直後に山中で若者らが襲われ、MATは調査に乗り出すことになる。
結果、ゴルバゴスに対して以下のような特徴を推測するに至る。
「我々の目を誤魔化す特殊な皮膚組織を持っているのかもしれん」と。
要するに保護色と言っていいと思うのだが、私はあえてこの言い回しにしたのだと信じたい。
我々、つまり人間の目を誤魔化す。
これもまた、特撮のことを指していると言えないだろうか。
ではこのゴルバゴスにどう対処するか。
着色するのである。色をつければ隠れられても見える、というわけだ。
その作戦が功を奏し、ゴルバゴスは見事退治されるが、しかしこの着色というのも、どこかテレビがカラーになることと連動するものがあるように思える。
つまり、映像というものに意識的なのだ。
ちなみに演出は本多猪四郎。
『ゴジラ』(1954)を筆頭に、数々の「特撮」映画を手掛けた映画監督である。
続いて15話。
驚くことに、この回でもゲスト子役の少年が、積んだ瓦礫をビルに見立て、それを自作のエレドータス人形で破壊するというシーンがある。
これも「特撮」への自己言及と言える。
エレドータスは現れたり消えたりするが、それは合成によって演出される。つまり、映像=フィルムの中でしかできない見せ方。
いずれもこのドラマが「作り物」であることを強調してみせる。
このように、作り手たちは時折『帰ってきた〜』が作り物であることを示唆する。
それが意味するところは、「怪獣はフィルムの中にこそ居る!」ということではないだろうか。
確かに現実に怪獣はいない。
しかしそれは、作り物の世界にこそ実在しているのである。
その上で、19話についても触れておきたい。
サータンも現れたり消えたり…という点は同様。こちらもフィルムの中にしか存在できない。
しかし注目したいのは、シナリオの方である。
この回でも、サータンを最初に目撃するのは次郎くん。
彼は怪獣の影を見るが、その瞬間崩れてきた校舎の下敷きになり、重傷を負う。そんな状態での証言、かつ見えない怪獣なので、やはり最初は「気が動転していたのではないか」と疑われてしまう。
しかし郷だけは、「必ず怪獣を倒す」と約束をする。
そんな折、やはり怪獣は現れ、街を襲撃する。
しかし、透明怪獣相手にMATは苦戦。取り逃がしてしまう。
その一部始終を目撃していた次郎君は、MAT、もとい郷への不信感から危篤状態に陥ってしまう。身体よりも精神の方が参ってしまったというわけだ。
このとき、うわ言のように放たれる「嘘つき」という一言が強烈な印象を残す。
この場面での次郎くんは、当時、いや、いま現在においても「怪獣は居る」と信じる少年たちの代弁者であると言えないだろうか。
怪獣は居る、しかし、信じてもらえない。
そのことが次郎くんを蝕んでいくのである。
次郎くんの証言を信じる郷は、決死の覚悟で怪獣と戦ってみせる。
少年の「信じる心」を信じる大人の存在としての郷。
これは、特撮ドラマを作るスタッフらの覚悟と受け取れやしないだろうか。
彼らはある意味で「嘘つき」なのである。フィルムの中に作り物の世界を見せているからだ。
しかし、だからこそそこに怪獣は存在するのだと証明しなければならない。
怪獣はフィルムの中にこそ居るのだ。
その世界を、延いては少年少女らの信じる心を裏切ってはならない。
そういう信念が、この『帰ってきたウルトラマン』には漲っているのだ。
いやはや、何度見ても面白い作品です。
作り手の熱量がひしひしと伝わってきます。
今はサブスクで手軽に見れちゃうイイ時代ですので、
皆さんもぜひ一度、見てみてください~!