Based on Total or Partial
【全体最適(Total Optimization)】
会社やチーム、システムなどの組織全体が最適化された状態
【部分最適(Partial Optimization)】
全体の中の一部分や個人だけが最適な状態を優先する考え方
Norman Brown - Just Between Us
はじめに
仕事には、2つの形があります。
α. 野球型… 指示通りに進めていくことに重点を置く
β. サッカー型… 自己判断で動いていくことに重点を置く
昭和時代は戦後の復興もあり、α型の会社が多かったと思います。決まった物を決められた期日までに、決められた量を作ればいいのです。アメリカという”はっきりとした目標”があったので、α型の方が良かったのです。
しかし、『指示通りに進める』ということは『指示を待つ』ことと同義ですので、自然と”指示を待つ人”が大量生産されていきますね。
指示待ち人間は、昭和時代の負の遺産と言えるのです。
ただ、ちょっと気になるのが「なぜ、若者まで指示待ち人間になっているのか?」ってところです。昭和の会社で働いていた年配の世代が指示待ちになっているのは説明がつくのですが、そうではない若者まで指示待ちになっている…
実は、この原因の1つに『飲食店でのアルバイト経験がある』ことが考えられるのです。
私の経験からですので”たまたま”かもしれませんが、どんな店にいっても昭和のα型、つまり『指示を待つ』形で営業を行っているのです。そんな飲食店には社会に出る前の”学生”も多くいます。高校1年生から大学4年生までの社会人直前の子たちが働いていますね。
そして、α型の店で学生たちが教わることは「指示通りにしろ。指示を待て」などです。ってことは、初めて”仕事”というものに触れた学生たちは「仕事ってのは、指示を待つことなのか」と学んでしまいますよね。
そう学んだ子たちが社会に出たあと、先ずはアルバイト時代に学んだことをやってしまうことは自明でしょう。「仕事とは指示を待つことだ」と習っていますので、そうしてしまうのです。つまり、
指示を待つ若者を生み出しているのは、大人たち自身だ。ということです。
ちなみに私が店に行くと、α型の店でもどんどんβ型に変えていきます。店でよく教えることは、
「指示を待つな、自己判断でやれ」
「説明を聞いて覚えるんじゃなくて、行動を見て覚えろ」
「やる前に聞くんじゃなくて、やった後に”報告”しろ」
みたいなことです。β型ですね。
飲食店においては、指示を待つ野球型よりも 、自己判断で進めていくサッカー型の方が遥かに営業が回ると考えていますので、β型をやります。もちろん、そんなことをすれば古参の人とはぶつかりますよ。なんなら、一切口をきかなくなった人なんかもいます。が、β型の方が『学生の未来には必要だ』との考えからβ型を勧めるのです。
ここで、「指示がなきゃ動けない子もいる」との意見がありますね。では、
p. 自分では動けないから、こちらが指示を出す
q. こちらが指示を出すから、自分では動けない
pとq の2つのうち、どちらが現実に起こっていることでしょうか。原因と結果は簡単に”逆転”します。
β型の「やる前に聞くんじゃなくて、やった後に”報告”しろ」なんかは、失敗してお客さんに迷惑をかけることも多々あります。しかし、単に私が謝ればいいだけなので、それだけでその子が成長するのであれば何の迷いもなく謝りますね。
お客さんに迷惑をかけないことは大事なことですが、それ以上に大事なことは『子どもの成長』です。むしろ、謝るだけで成長してくれるなら、こんなに”楽”なことはありませんよ。
昭和のあとの平成が終わり、令和になっているのに、未だに”指示待ち人間”がいるのは、未だにα型の飲食店で学んだ子たちがいるからですね。もし、あなたの会社の新人の中に”やたら命令を聞かない、指示を待たないヤツ”がいたら、私が教えた学生かもしれません。
余談ですが、日本の”年号”の長さを見てみると、
1位 昭和 62年
2位 明治 44年
3位 応永 35年
4位 平成 31年
5位 延暦 25年
ブッチギリで昭和時代は長いのです。平成の2倍あるのですよ。これだけ長いと人によっては「時が止まっている」と感じる人もいるでしょうね。3歳のときに昭和元年だった人は、65歳の定年までずっと昭和です。昭和57年生まれの私が、現時点で昭和・平成・令和と、3つの時代を経験していることを考えると、物凄い長さに感じますね。
指示を待つことが当たり前だった昭和時代がこれだけ長いのですから、未だにその文化を引きずってしまうのは仕方ないのかもしれません。が、昭和時代はとっくに終わっているのです。
終わっているのですよ。
ただ、終わってはいるのですが、”サボった”ことは消すことはできません。巷では政府が『リスキリング』と言って”学び直し”を勧めています。そして、学び直すのであれば『基礎』からが定石でしょう。
さて、ではいきましょうか。
サッカーのポジションに”優劣はない”。ならば、仕事のポジションにも”優劣はない”のです。
阿. 『勉強』 と 『経験』
物理学者のヴェルナー・ハイゼンベルクは”量子力学”に貢献した人たちの1人です。ハイゼンベルクは『部分と全体』というタイトルの自伝を出版していて、この本では師匠のニールス・ボーアとの散歩中の語らいが描かれているようです。
ハイゼンベルクの本は物理学の話ですが、会社の経営においても『部分最適と全体最適』という考え方があります。これは、どちらかというと現場の人よりも経営層の方たちが考えることだと思います。
部分、全体、部分、全体… 量子力学自体が”高度”な理論ですので、私の理解の範疇を越えていますが、言いたいことは「高度になるほど”似たような視点”を持つ」ってことですね。
部分最適は、その業務に”特化”すればいいので、むしろ日本人には十八番だと言えるかもしれません。職人気質というか専門性というか、ただ一つのことを極めることは古くから推奨されていることです。ですので、会社の中の部分最適に関して進めていくことは得意でしょう。
反対に、全体最適が苦手なところがあります。一つのことを極めると、どうしても視野が狭い考え方になっていくので、全体像を把握する考え方が苦手になっていくのです。そもそも、部分最適ならその作業を極めていけばいいのですが、全体最適に関してはどうやって練習すればいいのでしょうか? 全体最適とは『全体のバランスを取る』ことです。バランスを取る”基礎”はどこにあるのか?
それが、飲食店での『洗い場(皿洗い)』なのですよ。
「洗い場なんて誰だってできるだろ!!」とか考えていますか? その考え方がまさに、会社が傾く原因、栄枯盛衰の”元凶”なのです。どういうことか説明していきましょう。
その前に1つ、人間の”脳の神経回路”ですが、『行動していないなら、脳の神経回路はつながっていない』ということを覚えておいてください。やらない限り、つながらないのです。
さて、他の記事でも少し取り上げたことがあるのですが、洗い場のやり方には、
A. 水を溜めたシンクにぐちゃぐちゃに入れていく
B. 食器ごとに分けて重ねていく
この2つのやり方があります。それぞれを『練習』という視点から見ると、
A. ぐちゃぐちゃにする練習
B. 整理整頓の練習
と、なります。
どちらが適切かはすぐに判るでしょう。Bですね。しかし、実際にはAのやり方で洗い物をしている店が少なくありません。早いとこ直した方がいいですよ。
では、なぜ、Bが良いのか? それは、
洗い場の食器が増えていく = 調理場の食器が減っている
ということが判りますよね。
調理場には、揚げ場や切り場などのポジションがありますが、ポジション毎に使う食器の種類は決まっているので、どのポジションの食器が減っていっているのかが判るのです。であれば、その食器から”優先”して洗えばいいですね。簡単です。
サラッと説明しましたが、これが”全体最適の練習・基礎”なのですよ。
『食器が減っているポジションから、洗った食器を戻す』
この行動そのものが、全体を見ていることになっているのです。目の前にある皿から各ポジションの状態を総括的に俯瞰し、それぞれに必要な食器から戻していくのですから、全体最適を行っているのです。
さらに、店によっては洗い物を”溜めておける状態”が作れる店もありますよね。それなら、洗い場の人が自分のポジションを離れて、他のポジションを『補佐』することもできます。離れておける時間は数分程度かもしれませんが、他のポジションからすれば「今、これを手伝ってくれるとありがたい!」と思うようなときもありますので、それを手伝うことが可能になります。
まとめると、
1. 減っている食器を戻す(行動)
2. 手伝いに行く(行動)
これらは、他のポジションを最適化していると言えますね。全体最適とは、会社やチーム・システムなどの組織全体が最適化された状態なのですから、洗い場の人の”行動”こそ、全体を最適にするための行動なのです。
頭で考える のではなく、
身体で”行動”する のです。
さて、ここで脳の神経回路の『行動していないなら、脳の神経回路はつながっていない』ことを思い出してください。やってきました? 『洗い場』。やったとしても”ぐちゃぐちゃ”だったり、洗い場というポジションそのものを”下”に見て、まったくやる気なく行っていた人もいるのではないでしょうか。
それはつまり、全体最適の練習をする機会を逃したということなのです。
学生時代の部活で「頭では判っているけど、身体が追いつかない」などの経験をしたことがあると思います。その状態は”脳の神経回路がつながっていない状態”なのです。神経回路がつながっていないのですから、身体が動くはずもありません。だからこそ、何度も何度も練習して、脳の神経回路をつなげていくのです。
日本人が全体最適が苦手になってしまったのは、専門性ばかりを重視した結果、視野狭窄な考え方しかできなくなり、『洗い場』という全体最適の練習ができるポジションを”下”に見て、しっかりやらないようになってしまったからです。
そして、これが栄枯盛衰の”元凶”なのですよ。
『洗い場』とは、あらゆることの”基礎”なのです。そこでバランスを取る練習をするのですが、その練習をしていないのですから、バランスが取れる人が育まれるわけがないのです。全体のバランスが取れない会社が長続きすると思いますか? どの部署・部門にどんなリソースをどれくらい配分するのか。その『基礎』となる練習をしていないのに、どうやってやるのですか? 基礎練習をしていないってことは、算数の四則演算をしていないことと同義です。
算数の四則演算はできないのに、ハイゼンベルクの行列力学は理解できるなんてことは絶対にあり得ませんよ。
学問の世界はそんなに”甘くない”のです。が、であるならば、会社経営もそんなに”甘くない”のです。『基礎』を軽んじる企業が長続きするわけもないでしょう。現に、経営層にいる人たちは「どうすれば全体最適になるのか」が判っていませんよね。
判っていないから、配分が過不足だらけになり、足りないところでは”社員が疲弊”していき、多すぎるところでは予算を減らされないように”無駄に使う”なんてことが起こるのです。結果、生産性が低くなってしまうのです。
さて、少しだけ昔の話をしましょう。
江戸時代だったか、それ以外の時代だったかはうろ覚えですが、かつて、日本で『奴隷制度』をやろうとした時代がありました。海外から奴隷を連れてきて、労働させることをやろうとしたのです。”黒人奴隷”が有名ですね。
しかし、日本では奴隷制度は根づかなかったのです。というのも、奴隷として海外から連れてくるのですが、その奴隷たちを一人前の商人や職人に育ててしまうのです。一人前になっているのですから、それはもう”奴隷”とは言えません。
そんなことがあまりにも多くあったので、奴隷制度を『廃止』したのです。意味がないですからね、当然といえば当然です。
日本の”職人文化”は、
人間を、奴隷に育てる のではなく、
奴隷を、人間に育てる のですよ。
【逆】ですね。
他の記事にも書きましたが、野球では”一人タレント”と言って「凄いピッチャーが一人いれば勝てる」という考え方が昭和時代は好まれていましたし、実際にそうだったのでしょう。しかし、時代は進みました。サッカー ではワントップのフォーメーションを取ることもありますが、ツートップやスリートップまでその形は様々です。
ここで大事なことは、ワントップ=常勝ではないということですね。もちろん、それはツートップやスリートップにも当てはまりますが、言いたいことはバリエーションが豊富である = 多様性があるということです。であるならば、
やってみなければ判らない = やっていないことは判らない
ってことです。
飲食業界自体が社会的に『最底辺』だと言われていますし、その中でも洗い場は飲食業界からしても”一番下”と認識されていますので、学歴のある方たちには抵抗があるかもしれませんが、やってみると「全体最適とはこういうことか!!」と、判ることがあるでしょう。
全体最適の練習を段階で分けると、
初級… 洗い場(調理場の最適解)
中級… マネージャー職(店の最適解)
上級… 経営(会社の最適解)
って感じですかね。
洗い場ほど”自由”なポジションはないんですけどね。今の料理人は誰も知らないようです。
《Copy(コピー)》
同一のものを複製する
《Arrange(アレンジ)》
英語… きちんと並べる、整える
日本語… 変換・改良する
Deep Purple ~ Strange kind of woman
吽. 『現実』 と 『幻日』
江戸時代の話はホントかどうかは知らんけどな。詳しくは調べてないで。
奴隷制度と言えば欧米やけど、他にも中国、『共産主義』か。貴族と奴隷の文化やね。実際、ホワイトカラーの人たちって”クソどうでもいい仕事”ばっかりして、まったく売上に貢献してない人も多いみたいやしな。皿洗いや片付けは、仕事の『基本』なんやで。
あのとき、放ったらかしにした片付けが、
あのとき、やらなかった皿洗いが、
あのとき、サボった基礎練習が、
まさかこんな形で跳ね返ってくるとはね〜。思ってなかったやろ? 跳ね返ってくるんですね〜それが。回避しようにも”自分の脳の神経回路がつながってない”ことは、どうやっても回避できないのよ。
やらない = 脳の神経回路がつながらない
これを避けることは不可能やな。問題なのは、そういう人が”増えて”きたことやろな。まぁ『やらない』んやから当然やな。んで、それが原因となって意思の疎通ができない状態になるのや。めんどくさいのは、自分で”自覚してない”ってこと。
経営層と現場で意思の疎通ができないのは、
経営層… 経験してないから、脳の神経回路がつながってない
現場… 行動を言語化することが苦手だから、正確に報告できない
こういうことが考えられる。経営層が経験してないことも問題やけど、現場の人たちはとにかく『言語化』が苦手なのよね。やから、要領を得ない報告になってしまうことがあるし、そもそも報告してないこともあるしな。
経営層と現場に『分離』して、それぞれに”特化”させたのは、利益効率を上げるためなんやけど、それぞれが特化したから相手のことが見えなくなったのや。結果、分離ではなく『分断』になってもうとる。んで、
分断 = つながっていない = 阿吽の呼吸が使えない
ってこと。
つながっていない者同士が理解し合うなんて、あるはずもないね。阿吽の呼吸は『ハイコンテクスト』とも言うね。
んで、現場の人たちが『言語化』が苦手なのは、”職人気質”とも言えるけど、じゃあ、「なぜ、職人は喋らないのか?」の説明をしましょかね。実は職人って結構喋るのよ。でも、仕事中とかは喋らんやろ。あれってちゃんと意味があるのよね。
先ず、SECIモデルの『形式知』と『暗黙知』から。
形式知… 言葉で説明できる知識(社則、ルール、学問など)
暗黙知… 言葉で説明できない知識(自転車の乗り方、泳ぎ方など)
この2つがある。んで、「暗黙知を形式知に変換してください」って言われたらめっちゃムズイのよね。暗黙知は”言葉で説明できない”ものなんやから、それをむりやり言語化するってのは、なかなか熟練の人でも難しいのや。正確に説明できないから、相手が間違って覚えてしまうことが多いし、正確に説明できたとしても、今度は相手の方が間違った解釈をしてしまうことがある。
まとめると、
説明する人… 誤説明
説明される人… 誤解釈
暗黙知を言葉で説明することは、誤説明と誤解釈をしてしまう可能性が高いわけよ。どっちも間違ってしまうことになる。それやったら「黙ってやってるところを見せた方が早い」ってなるわな。やから、喋らずに「見て覚えろ」って言う人が多いのや。
んで、これは”仕事中は喋ってる暇なんてない”って状況にも当てはまるやろ。忙しいときとかね、こっちの方が好都合よね。
一日中喋ってる人なんかは、「この人、ADHDかな〜」とか思うで。マシンガンのように喋りまくるのは、常に気が散ってるんやろな。
職人がSECIモデルを知ってるわけやないと思うけど、やってることは”正解”をやってんのよね。世間では『職人は無口』ってイメージがあるのは、テレビが作り出した”幻”なんや。実際、仕事以外の時間では普通に喋るからな。
なんかテレビで見た職人の無口なのを”真似”して、無愛想な雰囲気を醸し出しながら、仕事の説明を『聞きにくく』してる人とかおるけど、サムいだけやで。
無口で無愛想な人には聞きにくい = 話しかけづらい = 仕事の目的が判らない
ってなるやん。
結局、無駄な仕事が多いのもこういうのが原因やったりするのよね。「なんでこの仕事をするんですか?」って聞ければええけど、ムスっとしてる人には聞きにくいわな。まぁ”真似”してるだけなんやけどな、その人。ただのコピー、『演技』ってことよ。
経営学の”SECIモデル”と職人の”無口”が、『=』または『≒』で結べる… つなげることができるなんて、知識と経験の両方がないとできないのや。
んで、経営層は知識があるから”専門用語で話してしまう”ってのがある。けど、専門用語ってのはその世界の言葉であって一般語やないから、店舗にいる学生やパートのおばちゃんには伝わらないこともある。つまり、
経営層… 経験が足りないから”行動の神経回路”がつながっていない
店舗… 勉強が足りないから”知識の神経回路”がつながっていない
とも言える。
店舗を見ると「どんな神経回路がつながってないか?」が判るのや。なぜなら、神経回路がつながってない人は、そのことを自覚できないから。自覚できないってことは、その部分は必ず放ったらかしになっとる。んで、それは経営層からの『命令』に関しても同じ。命令の内容で「なにが見えてないのか?」が判るのや。
んで、コピーには、
α. まったく同じものを作る(コピー)
β. 少し改良したものを作る(アレンジ)
この2つがある。
職人の真似をして無口な人は、ただのコピーした人。けど、聞きやすい雰囲気を自ら作ってたり、聞かれたときにちゃんと説明する人は、職人の無口を”アレンジ”した人なんや。
英語の arrange は本来、『整理する』って意味があるけど、日本語では『改良する』って意味で使っとるやろ。んで、この『改良』ってのが部分最適と全体最適にも必要な考え方になる。
”部分最適を基にして全体最適を考える”と、一部分の最適を全体に適応するわけにはいかんし、そんなことをすればどんどん『偏って』いく。やから、コピーやなくてアレンジ(=改良)する思考がいる。
”全体最適を基にして部分最適を考える”と、そのままじゃ足りんこともあるから、足りん部分を改良(=アレンジ)せなあかん。コピーやと無理やな。
どっちにしても、コピーやなくてアレンジの方が必要なんや。けど、今の社会で起こってることはコピーなんや。『クローン人間』って言ってもええし。キショいやん。
カレーもナポリタンも日本人用にアレンジした料理やから、日本中に広まったのやで。海外のものを日本で広めたいなら、コピーやなくてアレンジせんとあかんのに、そのままコピーだけして広めようとしとるから、全然広まらんのやって。
まぁそこを”資金力=金の力”でなんとかしようとしとるのは判るけどね。
コピーしか認めない = 多様性は認めない(北朝鮮)
アレンジを認める = 多様性を認める(日本、アメリカ、ヨーロッパ)
ってことやな。
んで、自分が進もうとしとるのはどっちか? 世界が求めてるのはどっちか? 判断を誤ると、滅びるのは自分やで。
会社には『マニュアル』とか『営業スマイル』とかあって、その通りにすることを求められるやん。でもね、店の従業員全員が同じって、お客さんの目線からしたら「この店気色わる!」ってなるで。ってことは、
p. 従業員全員が同じにするから、お客さんが来ない
q. お客さんが来ないから、従業員全員が同じにする
p. 大声を出すから、お客さんが来ない
q. お客さんが来ないから、大声を出す
p. 会社に長時間いるから、仕事が終わらない
q. 仕事が終わらないから、会社に長時間いる
p. 怒鳴るから、失敗する
q. 失敗するから、怒鳴る
さて、『現実』に起こってることはどっちやろな。
勉強ができるから、仕事ができるとは限らないし、仕事ができるから、勉強ができるとも限らない。勉強ができない奴のことを”バカ”って言うけど、経験がない奴のことも同じように”バカ”って言うのや。
けど、世の中には2つのバカがどっちも要るんやで。
1999年ごろに日産が破綻しかけたのは、営業部は製造部を罵り、製造部は営業部を蔑むような『責任のなすりつけ合い』が起こったからや。日産って言えば『超一流の会社』と言ってもええくらいやのに、そんな会社でさえ”小学生のケンカ”みたいなことが起こるのや。
そういや小学生って、まだ脳の神経回路がつながってないよな。
Ending.
Brian Culbertson - Dreaming Of You
おわりに
人を『応援する』とは、肯定するだけではなく、場合によっては否定もすることです。「それはおかしい」と感じたことを、対等の目線から相手に伝えることができるから、お互いに間違った方向に行くことを防ぐことができるのです。
店舗の人は『洗い場』というポジションを”下”に見ていますのでダメだと思いますし、全体最適の解を出すことに四苦八苦している経営層も、同じようにダメだと考えます。
私の経験上、”店を転々”としていますので「逃げた」と捉える人もいるでしょう。ただ、1つだけ言わせてもらうと『洗い場からすら”逃げた”人たちに、何を言われても何の説得力もない』ということです。
(洗い場をちゃんとやった人は、マネージャー職や
経営に回っても、その『最適解』を見つける
ことができるはずや)
これだけ『基礎が抜けている店』が多いなら、”発達障害”の可能性が出てくるんですよ。発達障害の人は『整頓』や『順番』というものが苦手なので、いろんなことを”ぐちゃぐちゃ”にするんですね。
(洗い場の”ぐちゃぐちゃ”みたいにな。
問題なのは、教える側(経営層)にも
そういう人がおるってことやろね。
やから、教えたくても教えられんのや。
自分自身ができないから)
発達障害とは言えないまでも『発達障害グレーゾーン』の人たちは、店舗にはいますね。しかし、片付けや皿洗いをしていない、したことがない、あなた自身の脳の神経回路はつながっていると言い切れますか?
昭和世代は、はっきりした目標があったので、自分で決める必要がなかったのですから、”自己判断から逃げた世代”とも言えるのですよ。
(やから、自己判断でする、させることに
必要以上にビクビクしとるんやろ。
サッカーと野球で対立が起こるのは、野球は
「ピッチャーだけが主役」って考えることに
対して、サッカーはツートップやスリートップが
あるき、「主役は一人だけやない」って考えるのや。
これがサッカーと野球の”相容れん”とこやな。)
経営層と店舗、上層と下層、貴族と奴隷… これって『共産主義』ですよね。今回の記事を書いてて「なぜ、共産主義は滅ぶのか? なぜ、戦争が起こるのか?」が判った気がしますね。
原因は、脳の神経回路がつながっていないからです。
共産主義が破綻してしまうのは、
上層… 知識や富を基にした考え方
下層… 経験や貧困を基にした考え方
このように2つに分かれますね。そして、自分の神経回路はつながるのですが、相手の神経回路は判らないのですよ。結果、『革命』が起きるのです。
「同じ経験をさせればいい」とか考えました? いや、それでも無理ですね。なぜならDNAが違うからです。同じ経験をしたとしても、同じ受け取り方をするとは限らないのです。
(んで、ここで出てくるのが”コピー”、
すなわち『クローン人間』やね。
同じ人間を増やそうとする会社は
『共産主義』に染まっていっとるってことよ。目指すのは
自由やけど、共産主義は
必ず滅びてるってことは忘れん方がええな)
戦争が起こるのも『つながっていない者同士の争い』なのですよ。かつて、日本とアメリカが戦うことになったのも、元を辿れば、
日本… 奴隷制度撤廃・廃止
欧米… 奴隷制度容認・継続
2つの考え方では『脳の神経回路のつながり方が違うから』ですね。
(ちなみに、江戸時代 = 武士 って
考えとる人も多いけど、武士なんて全人口の
7%くらいしかおらんかったのや。
つまり、江戸の文化は
残りの93%の町人が作ったのやで)
江戸時代 = 武士 と考えてるのはテレビの影響でしょうね。時代劇は江戸時代が多く、主役も武士(将軍)でしたからね。ちなみに身分を表す『士農工商』という、カースト制度のような制度も有名ですが、これは明治時代にあとから付けられた呼称であり、江戸時代にそんな制度はなかったようです。
勉強していろんな試験に合格し、資格を取ることは大事なことだと思います。そのとき、難しい問題を解けるように『努力』したことでしょう。だから”努力しない人”は認められないとの考えには賛同します。では、
α. 努力しないで、権利ばかり主張する
β. 努力しないで、権力ばかり保持する
あなたには2つがどのように見えていますか。”努力”とは『勉強』のことでもありますが、『経験』のことでもあるのです。
勉強 = 努力 = 経験
この等式をαとβに当てはめてみると、
勉強しないで、権利ばかり主張する
経験しないで、権力ばかり保持する
このようにできますね。
(売上のない店舗の人員を減らすことは、
負けてばかりのサーカーチームのメンバーの人数を
減らすことと同義。11人→7人とかね。
こんなことせんやろ。
店舗の”適正人数”は売上によって決まる
のではなく、ポジションの数によって決まるのや。
サッカーでそんなことをしたら、もっと負ける。
ってことは、店でそんなことをすれば売上はもっと下がる。
まともに営業(試合)できんのやから
当然ですな。簡単な等式や)
反対に、本社の人たちの数はなにがなんでも減らさないですもんね。それがつまり、『特権階級』ってことなのですよ。貴族階級です。店の売上にはいろんな要素が絡んできますので、判断が難しいのは判りますが、少なくとも、
1. 人数が揃っているのに、売上が上がらない
2. 人数が揃っていなくて、売上が上がらない
1なら、”原因の探究”は始められます。が、2であれば「さっさと11人揃えろ」で終わりですね。2の状態は、人数がいないからできていないのか、他に原因があるのか判らなくなるのです。わざわざ自ら不確定要素を増やす必要はないでしょう。理解できませんね。
(発達障害と同じくらい手が焼けるのが
『非行少年』やな。んで、そいつらは職人の世界にも
いっぱいおる。そこでしっかりやった奴らは
一人前になっていく)
ただ、中には『逃げた』人もいますね。
(職人の世界でそいつらに言うことを
聞かすときは”怒鳴る”ことが多い。そうやないと
動かんからな。んで、その教えられ方をした奴らが
職人の世界から”逃げた”あと、発達障害者に
『同じ教え方』で教え始めたのや)
つまり、『怒鳴る教育』です。
(ここに大きな大きな『誤算』がある。怒鳴ったり
脅したりすると、発達障害の症状は”悪化していく”のや。
改善されないのよね。)
そして、それを”常人”にまでやっているのですよ。
(『カサンドラ症候群』ってのがある。
発達障害の人と関わると、関わった人の方が
精神を病んでいく病気や。
職人の『怒鳴る教育』ってのは、元々は
非行少年を治すためなんやけど、それを常人にやると、
カサンドラ症候群と似たような状態になるのや。)
職人が怒鳴るときにはちゃんと『目的がある』のですよ。しかし、彼らがやっているのはただの『自慰行為』なのです。非行少年を更生するためのやり方を、発達障害者や常人にやっても何の意味もないのです。むしろ、障害は悪化しますし、病人が増えていくだけですね。
(そいつらが『教える側にいる』ってことやな)
ニュースを見ていると飲食業界だけではなく、他の業界でも似たようなことが起こっていますね。同じ問題が起こるなら、同じ原因があるということです。
(こういうのも昭和の『負の遺産』やな。
”職人文化”と”奴隷制度”は、めちゃくちゃ
相性が悪いのや。【逆】やから、時が止まる。
ニュースを見てても
「やりたくない人たちがやってんだろうな〜」って
思うで。従業員だけやなくて、経営層もね。
起こる問題すべてに”後手の対応”ばっかで、
”先手の試行”がないもんね。
先手を打つべきときにまで後手に回っているのですから、いずれ破綻しますね。
(やることないのに会社に長時間いたり、大声で
叫んでたら売上が上がるのか?
どんな『魔術』や、それ)
『負の遺産』を日本中に広めたところで、”濃度を下げる”みたいなことはできませんよ、カフェラテじゃないんですから。
(『一度決めたら変えない』とかもやめろ。
日本刀なのかシベリアンハスキーなのか知らんけど
さっさと変えろ。
悲劇も喜劇も『舞台上』やから成り立つのや。
現実の世界でやるな。劇にも冗談にもなってないわ)
今の日本は『口ばかり動く人』しかいなくて、『手を動かす人』がいないのですよ。”ものづくり”の国である日本において、手を動かさず口ばかり動かしていたら、そりゃいつまで経っても”モノ”は仕上がらないですよね。
(RPGのアイテムによくある
『HPが減るほど攻撃力が上がる剣』みたいなのもやめろ。
そんなもん、現実にあるわけないやろ)
大人とは、間違えない人のことではなく、間違えたときに改めることができる人のことなのですよ。組織にNo.2 がいない状態は、No.1 に反論できる人がいない状態ですから、検証ができません。結果、『宗教』のようになってしまうのです。
(宗教がやりたいなら『株式会社』やなくて
『宗教法人』ってちゃんと書けよ)
『洗い場』を抜かしては、『会社の経営』はできないのですよ。前例のない新しいことや、先手でやることに対して「何かあったらどうするんだ?」と言ってくる人もいますが、その何かが起きないようにしたいと言っているのです。
p. 未来が決まらないから、先手を打たない
q. 先手を打たないから、未来が決まらない
さて、今の会社、社会、日本、世界はどちらをしているのでしょうか?
(『勉強』がどれほど大事かわからんのか!!
経験があろうが何だろうが、
『勉強』ができん奴は仕事になったら
何もできやしねーんだ!!)
『経験』がどれほど大事かわからんのか!!
勉強ができようが何だろうが、『経験』がない奴は仕事になったら何もできやしねーんだ!!
(あなたの脳の神経回路は)
つながっていますか?
(それではまた来年)
良いお年を〜🎍
*参考書籍*
・部分と全体 ヴェルナー・ハイゼンベルク みすず書房
・強い力と弱い力 大栗博司 幻冬舎新書
・スラムダンク
*参考記事*
I. Main and Sub
各ポジションで作業を、メイン作業とサブ作業の2つに分けて、たとえば、
揚げ場… メインA 80% + サブa 20% =100%
切り場… メインB 80% + サブb 20% =100%
とすると、それぞれの”サブ”の作業を、洗い場の人がやれば
洗い場… メインC 80% + (サブa 20% + サブb 20%) =120%
となる。
洗い場の仕事が100%を超えてるけど、これは食器を”ぐちゃぐちゃ”にした場合の話。”食器ごとに分ける”ようにすればメインの割合はどんどん減っていく。洗い場の作業『メインC 80%』は、食器ごとに分けることに慣れるほど、その割合は減っていくから、40%(半分以下の力)でもできるようになる。
そうすると、
洗い場… メインC 40% + (サブa 20% + サブb 20%) =80%
ってことになり、結果、
揚げ場… 100% − サブa 20% =メインA 80%
切り場… 100% − サブa 20% =メインA 80%
となって、全ポジションが80%の力でできるようになる。
一昔前、『プレイングマネージャー』ってのが流行ったけど、このやり方は最悪のやり方なんよな。全ポジションの”メインの仕事”を1人でやることになるから、80 × 3 = 240% になる。
そりゃ、できる人は限られてくるし、できたとしても短期間で潰れるわな。結果、管理職をやりたい人がおらんなったのや。
II. 基礎 = 奥義
洗い場の動き = チーフ(料理長)、店長、マネージャーの動き
洗い場の動きって、他の人のサブ作業をやるってことなんや。間違ってもメイン作業やないんやで。ってことは、店長なら、
ホールの人… メインX 80%
キッチンの人… メインY 80%
店長… メインZ 40% + (サブx 20% + サブy 20%) =80%
やし、エリアマネージャー(AM)なら、
店舗1… メインI 80%
店舗2… メインII 80%
AM… メインIII 40% + (サブi 20% + サブii 20%) =80%
になる。
んで、ここまでくれば、あとは”会社経営”でも同じことよ。簡単っしょ?
逆に辿っていくと、各ポジションの仕事をメイン作業とサブ作業に『分ける』ことが大事なんよな。『分ける』と言えば、洗い場の【食器ごとに分ける】ってのが一番最初にきてるやろ。
い. 洗い場の基礎は”皿ごとに分ける”こと。それは、
ろ. 仕事を”メイン作業とサブ作業に分ける”こと。それは、
は. 経営において”部門ごとにリソースを分ける”こと。
すべて、『つながってる』やろ。
でも、今の経営者の立場の人って、その立場には就いてるんやけど、一番最初の”基礎”をやってないんよな。なんか知らんけど、テストの点数が良いだけでその立場におるんや。いやいや、テストで測れるのは『記憶力だけ』やで? つまり、形式知だけ測ってるのであって、暗黙知は測ってないんや。
ではでは、最後に一言。
飲食業界の人たちは、従業員も管理職も幹部も経営層も、そして株主まで、店に関わる人すべて、
洗い場からやり直せ
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