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JUST THROW AWAY

〜はじめに〜

 作家の竹田恒泰さんがニコ生かなんかで言っていたことで、戦前の憲法と戦後の憲法を比較してみると”真逆に書いてある”のだそうです。どちらがどちらだったかまでは覚えていないのですが、
 p. 前文 - 天皇はなんでもできる、本文 - 天皇はなにもできない
 q. 前文 - 天皇はなにもできない、本文 - 天皇はなんでもできる
と、前文と本文で真逆になるのです。戦後はGHQが憲法作成に関わっていて、日本語と英語は、言語の構造が真逆の作りになっているからかもしれませんね。

 これは化学の”型と基”のように同じことを逆から言っているだけだったり、今まで書いてきた”因果の逆転”も連想します。人間は人によって捉え方がまったく逆になるのです。だから一方だけの視点だけではなく、複数の視点から知を統合/結合/融合していくことが求められます。
 ★ 『万華鏡』 養老孟司
 ★ 『知識の全体論(Holism)』 W・V・クワイン
 ☆ 『 IA(Intelligence Aggregator)』 筆者
などのような”思考回路”ですね。養老さんの万華鏡は、私が本を読んでいて勝手にそう思っただけですけど。3つに共通する考え方は”等価交換”です。別々のものを『=』で結ぶのです。日常でイコールで結ぶことをしているのが”値段”です。
「この商品をこの値段で買うか?」ってやつです。
 ・ラーメン = ¥2,000
 ・スマホ = ¥200,000
 これらをこの値段で買うか否か… 。
 『=』で結ぶことを難しく考える必要はなく、簡単に言えば連想ゲームです。子どもの頃にやりましたよね。仕事ではブレインストーミング、略してブレストと言いますね。

 値段だけではなく、等価交換はアイディアを生み出すときにも重要ですし、肩書きに弱い日本人はすぐ見かけに騙されるので、本質を見抜く上でも大事です。
 どんぶり勘定 → 「ちゃんと計算しろ!」← 叱責
 フェルミ推定 → 「ほ〜こうなるのかぁ!」← 感心
と、本質は『どんぶり勘定 = フェルミ推定』なのに、名称(肩書き)が変わっただけで真逆の反応になるのです。判りやすくておもしろいでしょ。
 連想ゲーム →「遊ぶんじゃない!」← 叱責
 ブレスト →「これ楽しいね!」← 感心

 ね? おもしろいでしょ?

 さて、思考に大事な等価交換/連想ですが、いろんなものが”邪魔”になっていることがあります。でも邪魔になっているならさっさと捨ててしまえばいいのです。それによって別々のものの間に挟まっている”壁”が取り払われます。

 役に立たないものは捨ててしまう方が世界が広がるかもしれません。





【自浄作用】
① 入り込んだ汚染物質が自然に取り除かれ浄化されること。
② 比喩的に、組織体が内部の腐敗を自分の力で取り除くこと。

Wildflowers - I'm Falling In Love


真理の部分どうしが激しく衝突することが、恐るべき害悪なのではない。恐るべき害悪は、真理の半分がひっそりと抑圧されることである。

『自由論』 ジョン・S・ミル


こだわりは”見出していく”もの

 仕事でも趣味でも『こだわり』を持ちます。しかし、現代はこだわりがただの足枷にしかなっていない人たちがいます。そうなった原因は最初からこだわりを持っていたかどうかなのです。よく、
「こだわりを持ってやれ」
と聞くことがあります。これだけ聞くとなんか、こだわりは最初から持つものだと解釈してしまいますよね。それが間違いなのです。
 こだわりとは、
  a. 最初から持つもの ではなく、
  α. やりながら見出していくもの です。
 両者のうち、どちらを選んだかで間違いかそうでないかが決まるのです。

 考えてみるとa の”最初から持つ”は完全に意味不明なのですよ。なぜなら、”最初”って言っているくらいですから、当然それを”したことがない”のです。”したことがない”のですから、こだわりなんか持てるわけがない。それなのにこだわりを持つことを強制されているんですね。意味不明でしょ。
 単純に、100個あるものの80~90くらいまで知ってからこだわりを持つのは、まぁいいと思います。しかし、100個の中の1~10程度しか知らないうちからこだわりなんて言っても「10年はえーよ」で終わりです。それはむしろ自分の可能性や視界を狭めているだけなのです。本末転倒ですね。最初から持つこだわりはこだわりではなく、ただの”自己満足”です。

 反対に、α の”見出す”であれば、最初はこだわりなんかなくても徐々に紡がれていくものだと解釈できますし、こっちの方が自然です。最初のこだわりなんかない状態から、だんだんこだわりができてくるのですから、自然な流れです。a と α を別の言葉で言い換えると、
 a. 最初から”点”で狙う
 α. 最初は”面”で、徐々に”点”にしていく
と、なります。
 繰り返しますが最初から”点”で狙うことは、自分の視界を狭めているだけです。

 こだわりを持つ

 本来、こだわりを持つことは良いことのはずなのに、扱い方を間違えるだけで真逆の結果になってしまうのです。特に現代は結果を先に求める傾向が強いので、最初からこだわってしまう人も多いでしょうね。もしかしたら子どもの頃に「結果を先に求めるな」と教わらなかったのかもしれません。

 自分の可能性を狭めるだけのこだわりなら、とっとと捨てた方がいいですよ。



視野狭窄 ≠ 取捨選択

 なぜ、最初からこだわりを持ってしまうのか?

 次は、こだわりを持てと言われたわけでもないのに、最初からこだわりを持つ人のことです。テレビで見たのかどこで聞いたのか知りませんが、こだわりを持つことが絶対に正しいと思い込んでしまったのでしょうかね。だから言われたわけでもないのにこだわりを持ってしまった… 。これを考察していたときに、ふと、
「一点しか見えないことを、一点を選んだと誤認しているのか…?」
と考えました。
 現実には一点しか”見えていない”だけなのに、それを脳内で”選んだ”に誤変換しているのですよ。表題の通りこの2つは『≠』で、まったく違うものです。それなのにこだわりを持つことが正しいと思い込んでいるが故に誤変換を起こし、イコールで結んでしまったのです。
  a. 一点しか見えない ← 視野狭窄
  α. 一点を選んだ ← 取捨選択
と、視野狭窄と自由意志による取捨選択は全然違うもの、真逆と言っても良いでしょう。そんな2つがイコールで結ばれてしまうのですから、人間の脳もなかなかめんどくさ… もとい、奥ゆかしいですね。ただ、このイコールは”一刀両断”した方がいいですよ。

 なぜ、最初からこだわりを持ってしまうのか?

 視野狭窄での一点と取捨選択での一点を混同してしまうことが、最初からこだわりを持つことになってしまうのです。これではこだわりがリバーティサイド(自由の圧殺)になっているのですよ。こだわりは自由であるはずなのに、こだわりによって自由 = 自由意志が破壊されるのですから逆効果です。意味がないのです。

 良い意味で使われることの多い”こだわり”という言葉は、辞書で引くと悪い意味も載っています。ちょっと紹介すると、

ちょっとしたことを必要以上に気にする。気持ちがとらわれる。拘泥 (こうでい) する。「些細 (ささい) なミスに—・る」「形式に—・る」
物事に妥協せず、とことん追求する。「素材に—・った逸品」
つかえたりひっかかったりする。
難癖をつける。けちをつける。

(https://dictionary.goo.ne.jp/word/こだわる/)goo 辞書

 良い意味で使うときは2の意味で使うことが多いでしょう。ところが、4は完全にチンピラのイチャモンですね。1の『拘泥』という表現にも”泥”が入っているので「泥沼にハマる」と言えます。マイナスな意味です。3も”仕事が途中で止まる”と捉えられるので悪い意味です。
 こう見てみると”こだわり”は悪い意味の方が多いのです。こだわり = イチャモン ですからね。『因果の逆転』を使ってみると、
 p. イチャモンが来るから、こだわる
 q. こだわるから、イチャモンが来る
『視点の逆転』なら、
 b. こだわっているのに、お客さんが来ない
 d. こだわっているから、お客さんが来ない

 現実にはどちらが起こっているのでしょうか?… ですね。

 商品に対して0.1mmでも、0.1gでも、違っていたらダメだというのはこだわりですが、ここでちょっと気になることがあります。料理の味なんかで0.1gの違いに気づく人はいるでしょう。ただし、超少数です。敏感であればあるほど数は減っていきます。正規分布の両端に寄っていくのです。ここでは判りやすく、0.1gの違いに気づける人を10,000人に1人としましょう。他の9,999人は気づきません。
 0.1gまでこだわるなら10,000人に1人の人は確実に買ってくれると思います。しかし、9,999人は気にしていないのです。

「違いが判るヤツしかいらねー!」

 こういうセリフを言うバカがいますよね。テレビか漫画で見たんでしょうかね。こだわるのは勝手ですが、それによって9,999人が買わないのであれば何の意味もないのですよ。それなのにこの人はそれに気づかないのです。

 違いが判るたった1人のために、他の9,999人を”捨てている”のです。

 これで経営なんてできると思いますか? 上手くいったとしても”短期間”で終わってしまうんじゃないですかね。大多数を捨てているのですから短期的な売上しか上げられないのは必然です。小学生レベルの因果です。

 規模が大きくなればなるほど明確に顕現するでしょう。

 それほどの極限的なこだわりを持つために、色んなものを”捨てて”しまう人もいますよね。あらゆるものを犠牲にして捨てるのです。ここで気になるのは、その捨てているものは、
 1. 黄金
 2. うんこ
と、どちらを捨ててきたんでしょうか。黄金を捨ててうんこを拾う、黄金を犠牲にしてうんこを手に入れるなんてことも考えられなくはないのです。そのぐらい世界には判らないもの/ことが多いからです。

 簡単に判断するなら発展と衰退を見ればいいのです。発展しているなら黄金でしょうが、衰退しているならうんこです。上層の人は数字しか見ませんが、数字ではっきり出ているはずです。ここで言う数字とはもちろん、短期ではなく”中長期”ですよ。

 こだわった狭い視野では、うんこが黄金に見えることがあるかもしれませんね。



一極 → 広範

 こだわりはなくとも”経験”が無い、もしくは浅いと、視界が狭く一点しか見れていないことも多いでしょう。
 前回の記事で、売上を狙うときは『面 → 点』の順番で練習することを推奨しました。それは変わらないのですが、これから言うことはそれと”矛盾”しているように感じる人もいるかもしれません。しかし、これは矛盾しません。先に判りやすく区別しておきましょう。

 的… 面 → 点
 脳… 一極 → 広範

 前回の面から点は”的”の話ですが、今回は”脳”の話です。脳には学問をやることでつながる静回路と、実践をやることでつながる動回路があります。だから、どれだけ知識を持っていても動回路はつながりませんし、どれだけ実践をやっても知識の静回路はつながりません。両方やるしかないのです。

 一点しか見れない = 一極集中 になってしまうのは”経験”が足りないせいです。知識は脳の中に点としてバラバラに存在していて、実践によってその点をつなげていくのです。これを仕事の役職で言えば、
 一極集中… プレイヤー
 広範分散… マネジャー
と、なります。
 プレイヤーとして活躍するのは”若い”とき、20代が一番多いでしょうね。体力はあるのですが、まだまだ視野が狭く一点しか見れていないことがあります。それが経験を通じて徐々に点と点が結ばれ線や立体になっていくと、次のマネジャーの役割になります。年齢はまちまちですがざっくりと30代としましょう。
 一極集中… プレイヤー… 20代
 広範分散… マネジャー… 30代
です。

 もし、20代で「こだわりが大事です!」なんてことを言っている人がいたら、30代のマネジャーはすぐに「そんなものは捨てろ!」と言ってあげてください。先述のように早すぎるこだわりはただの足枷にしかなりません。その子の可能性を潰すだけにしか作用しません。それはこだわりではなくただの視野狭窄 = 拘泥なのです。
 A. 経験ありで持つ… こだわり(一点を選ぶ)
 a. 経験なしで持つ… 自己満足(一点しか見えない)

 若いときはとにかく”視界を広げること”が最優先です。まだまだ点はつながっていないし引き出しの中は空っぽなので、どんどん入れてはつなげて入れてはつなげてを繰り返さないといけません。そんな時期にこだわりなんてもので、点はつなげないわ空っぽの引き出しには何も入れないわだと、まったく成長しないのです。

 ちょっと話は逸れますが、プレイヤーとして優秀な人をマネジャーにすると全然ダメなことがありますよね。それは、プレイヤーの一極集中をそのまま評価されてしまい、マネジャーの広範分散の能力を評価しなかったからなのです。マネジャーという役職に必要な能力は一極集中ではなく、広範分散です。それなのに一極集中で評価してしまった。これと同じことを並べると、
 ・国語の点数で、数学の成績をつける
 ・陸上競技で、水泳の成績をつける
 ・サッカーの評価で、野球の成績をつける
 ・音楽の評価で、絵画の成績をつける
 ・プレイヤーの評価で、マネジャーの成績をつける
と、これらはすべて同じことをしているのです。どれだけ”異常”なことをしているかはすぐに判りますね。別の能力の評価で別の能力の成績をつけるのですから、上手くいかなくて当然です。

 話を戻して、経験の浅いこだわりはただの自己満足 = 自慰行為です。会社でそんなことをさせるわけにはいかないでしょう。なにより”見苦しい”ので。家に帰ってやってくれです。

 若いうちはそこまで視界が狭いから、最初に狙う”的”は点ではなく面じゃないといけないのですよ。”脳”は点だから”的”は面なのです。経験をしてマネジャーとしての広範分散 = いろんな面を見る ことができるようになってから、こだわりたいならそうすればいいのです。
 a. プレイヤー… 脳 - 一極、的 - 面
 A. マネジャー… 脳 - 広範、的 - 点 (← こだわり)
です。プレイヤーとマネジャーでは脳と的がクロスして”入れ替わる”感じですね。まぁこれがぶつかる原因でもあるんですけどね。だからこういったことを説明してあげるといいかもしれません。

 こだわりとは本来、自由意志の中で持つものですから当然、人によって違うものになるはずです。だからマネジャーがどんなこだわりを持っていても、それをプレイヤーに押し付けることはダメですし、繰り返しますがプレイヤーは最初からこだわりを持つこともダメです。

 マネージャーは、プレイヤーがこだわりを見出す手伝い、参考資料のような立ち位置がいいかもですね。



三分鼎足

 ヨーロッパでは古代ギリシャから中世にかけて学問と実践は2つに分かれていました。
  📚 Liberal Arts(自由学芸)… 支配・市民階級
  👫 Mechanical Arts(機械技術)… 労働・奴隷階級
 見ると両方に”Art”が入っていることに気づくと思います。アート = 芸術 を合わせると3つになりますね。ここで、このArtsは芸術という意味ではなく科目という意味だとか、そういうツッコミはいりません。とにかく3つとし、なにか上手い表し方がないかな〜と考えて『光の三原色』を使うことにしました。赤青緑の三色です。円で表すことが多いのですが、作り方が判らなかったので四角でいきますね。

  緑… 芸術
  青… 自由学芸 - 知 - 静
  赤… 機械技術 - 行 - 動
 3色が混ざった『色の三原色』のマゼンダ・シアン・イエローは、
  マゼンダ… 建築/料理 - 理論×経験・知性×感性
  シアン… 絵画 - 止まった時間 - 視覚
  イエロー… 音楽 - 流れる時間 - 聴覚
と、します。
 左端の白黒で自然と人工にも分けました。自然の方を上にしているのは単純に、人間より先に生まれているからです。赤青緑の3つは同格/同位ですし、マゼンダ・シアン・イエローの3つも同格/同位です。

 自由学芸は文字や数字を使っていて、それらは”止まって”いるので、芸術と合わせると『絵画』になります。機械技術は身体を使うので”動く = 流れる”とし、芸術と合わせると『音楽』ですね。それと同じように考えると、自由学芸と機械技術を合わせると『建築』『料理』になります。それぞれ、
 建築… ⛰止まった時間 - 設計図  🌊流れる時間 - 建設中
 料理… ⛰止まった時間 - レシピ  🌊流れる時間 - 調理中
となります。まぁこれだと絵画と音楽も同じですけど、だからこそ同格/同位なのです。

 世界はあらゆる面で”人工化”が進んでいますが、それと自然を捨てることは同義ではありません。自然(芸術/緑)を捨てることは図の中で言えば5/6を捨てること、青だけ残して赤・緑・マゼンダ・シアン・イエローを捨てることになります。青も半分以上がなくなるかもしれませんね。それは”暗闇”と同じです。色は他の色との対比によって成立するので、他の色がないことは暗闇と同じことになってしまうのですよ。

 そんな世界では人間は生きられないでしょう。子どもも育つわけがない。
 子どもは”外”からやってきます。

 子どもから大人になって、何かの玄人になって、最後は真ん中の達人です。ここまでいける人はなかなかいないでしょうけどね。なかなかいけない真ん中ですが、ここにいる人は多い方がいいのです。なぜならすべての色を混ぜる/交ぜることができるから、色同士の争いが起きにくくなるのですよ。

 すべての色を混ぜることは、すべての方向に行けると連想してもいいでしょう。
ちょうど将棋の駒のようにです。
 歩 → 香車 → 桂馬 → 銀将 → 金将 → 王将
と、徐々に行ける方向が増えていきますよね。

 飛車と角行、ついでに日本の三神の天照・月詠・須佐男も入れてみました。
 青は”知”であり赤は”行”ですから、緑は”要”にしています。太陽は赤いイメージがありますけど本当の色は青 + 黄 = 緑なので、天照は緑です。須佐男は荒々しい神なので赤と行が似合いますね。静かな月詠は青です。
 要 - 王将 - 名将 - 天照
 知 - 金将 - 智将 - 月詠
 行 - 銀将 - 武将 - 須佐男
とかですかね〜。好きなように色々と連想してみてください。

 生きていく上で何を捨てて何を拾うかはすごく大事なことですが、なかなか決めるのは難しいことも多いのです。そんなときには、
「それは他にどんなものを連想するか?」
と考えてみることも1つの指標になるかもしれません。先述のように9,999人が買わないこだわりは、”うんこ”を連想しますよね。反対に、9,999人が買うこだわりは、”黄金”を連想します。

 あなたの”こだわり”は、何を連想させますか?



異問同題

 同じお題に対して異なる問いが立ちます。問いが違うのにそれを気にしないで話しても、まったく噛み合わないでしょう。そんなときは「問いは何なのか?」を揃えなければいけません。ステージを分けて話さないと聞いている方もごちゃ混ぜになってしまいます。
 たとえば殺人事件やいじめの問題では、ステージによって問いが変わってきますよね。

 このように分けることができます。ステージによって問いは違うのに、すべてつながっているのです。まぁ当たり前っちゃ当たり前ですが。
 議論がごちゃごちゃしてて判り辛くなるのは、ステージに分けて話さないからです。すべてのステージの問いを一緒くたにして議論をすることはできません。

 上ののステージの殺人犯個人の話をしているときに、
「社会にも問題が…」
というと、まるで”社会のせい”にしているかのように感じますね。そうすると社会のせいにすれば人を殺してもいいのかって方向に行きがちです。そうではなく、赤いステージのときは、殺人なんて償わなきゃいけないに決まっているので、社会なんて大きなものを出す必要はないのです。

 ステージを順番に話していって社会ののステージのときに、社会そのものの問題の話をすればいいのです。社会そのものにも問題はありますからね。個人的には以前から話しているように『構造』がおかしいのでは、と考えています。

 テレビ番組でも会社の企画・商品でも何でも、”バランス”を取ることが求められますよね。賛成意見があるなら反対意見も入れようみたいなやつです。でも、否定するにしても「どのステージの意見を否定したいんですか?」となっては意味がありません。
 賛成意見はのステージなのに否定意見はのステージだったり、の賛成意見に対しての否定意見を使うとなっては、支離滅裂ですね。だから、ステージに分けて賛成と否定をそれぞれのステージ毎でやればいいのです。その方が聞いている方も判りやすいですからね。
 出演者は自分の意見は言いたいわけですよ。でもステージに分かれていない状態では、意見を言うためには赤のステージの話をしているときでも、別のステージの意見を”ぶっ込んでいく”しかないのです。それは出演者からしても番組側からしても本意ではないでしょう。なにより視聴者が判りにくい。
 今話題のものを例示すると、

とかですかね〜… 信仰と歴史は逆ですかね。
 会社でも同じですよ。商品やマネジメントや課題/問題に関してステージに分けて考えればいいのです。ただ、ここで大事なことはステージ同士がつながってなければ意味がないことです。各ステージが”分断”されて、それぞれが独立に話しているのでは意味がありません。それだと個々のレベルが上がらない = 脳が成長しないのですよ。

 他のステージのことも俯瞰しながら考える

 これがすごく大事なのです。日本人は言語の特徴から具体と抽象を混ぜて考えますが、それだと問題点が”ボヤけ”てしまいます。問題点をはっきりさせるためには具体と抽象を分けること、すなわちステージに分けて考えることが求められるのです。ところが分けてしまうと今度は、
「あっちの話は関係ない」
とし、他のステージと遮断された展開をしてしまうのです。日本人ってめんどくさいでしょ? あらゆることがとにかく”極端”なんですよ。猿ですかね。

すべてのステージ と 1つのステージ   
俯瞰 と 凝視
抽象 と 具体
全体 と 部分
面 と 点

 物事を過度に単純化すると真意/真相が見えなくなるので、複雑なものをあまりにも簡単にすることは好ましくありません。それと同じことで、全体像を見ないと真相は解らないのに1つのステージだけしか見ないことは、”過度の単純化”と言えるでしょう。
 ”自分のことしか考えない”というのも、ステージの分断や過度の単純化が原因でもあるのです。

 問題点をはっきりさせつつ、他と分断しない思考展開をしなくてはなりません。物事は”多層”になっているのに分断されるとそれぞれが自分の層 = ”一層”のことしか考えなくなるから、同じ間違いを何度も繰り返すことになるのですよ。1つのことしかできない日本人にはちょっと難しいことかもしれませんが、社会や会社、人間の成長には不可欠なことですので、頑張ってやってみましょう。なにより問いは違いますが、お題は同じなのですから。

 ”分ける”と”つなげる”を、同時にしてください。



過度の複雑化 = 蛇足

 過度の単純化が出てきたので、複雑化についても話しておきましょう。
 先述のように物事は多層になっていて、1つだけを見ればいいというものではありません。が、それと矛盾するようですが、簡単なものをわざわざ複雑にする必要もありません。それはただの蛇足です。

 学問では哲学が複雑で難解です。そうなってしまった理由の1つに「暇だったから」というものが上げられます。古代ギリシャでは支配階級と奴隷階級に分かれていて、支配階級の人たちは働かなくて良かったので、時間が余りに余っていたわけですよ。で、することがないからと様々な学問上の探究を始めたのです。どれだけ時間をかけても、働いていないので時間が無くならないから、途方もない深淵まで突き詰めていったのです。
 その中には無駄なこともたくさんあったでしょう。長い歴史の中で淘汰されて残ったものを見ているので、そう思わないだけです。もちろん、残ったものは今考えても役立つものだと思いますよ。

 ここで言いたいことは、思考では複雑でも行動してみると簡単なことがある、それなのに思考が複雑だからといって行動までも複雑に”していく”ことは間違いだ、ってことです。会社内でも許可や確認をいちいちいちいち取らなきゃいけなくて、肝心の仕事が一向に進まないのは、過度な複雑化 = 蛇足のせいです。
 ここで2つのことわざを対比で出しましょう。

 p. 案ずるより産むが易し… 思考 - 複雑、行動 - 簡単
 q. 言うは易し行うは難し… 思考 - 簡単、行動 - 複雑

 2つに共通することは物事を正確に言い表せていないってところです。思考と行動の難易度が一致していないんですね。これから解ることは、行動を言葉で表すことがいかに難しいかということです。SECIモデルの”暗黙知”はこのことを指しているのです。

 q の例を出すと、ネットで話題になっていたことで、
「海で浮くときに人間の身体の2%しか海面より上には出ないから、助けを呼ぼうとして腕を上げると身体が沈んでしまう、だから顔だけを出しておくのが正解だ」
と、イラストで教えていたのを実際に海でやってみると、海面に”波”が立つので顔を出しておくことが困難なのです。
 📚… 顔を出すのは簡単だよ〜♪
 👫… いやいや、顔を出すのは無理やろ!
と、全然違う結果になるのです。
 紙の上だけで考えるだけじゃダメだと解りますね。

 p は「こだわりなんて言う前にとにかくやれよ」です。失敗を恐れてやる前からあれこれ複雑に考えてしまうより、さっさとやった方が簡単ですからね。複雑な思考を複雑なまま行動に顕現させる必要はないのと同じように、簡単な行動をわざわざ複雑に考える必要もありませんから。

 このように物事を過度に単純化することは危険ですが、過度に複雑化することも危険なのです。現代はどうも”頭でっかち”なところがあるので、不必要な複雑化を無意識にやっているかもしれません。私は複雑になったら、
「多分これ、”逆”にやっちゃってんだろうな〜」
と考えています。まぁ言ったところで聞いてくれる人があんまりいないので、言わないことも多いですけどね。

 賢者は、複雑なものを簡単にする
 愚者は、簡単なものを複雑にする

 複雑にしすぎると余計なものを足すことになり、簡単にしすぎるといわゆる”還元主義”になってしまいがちなので、全体を捉えてバランスを取ることが大切です。
 賢者と言われると学問に長けた者をイメージしますが、行動/実践においては”素人”同然なので、愚かなことをしないわけではありません。気をつけた方がいいですよ。

 過度な複雑化で”蛇足”になってしまったものはキレイに捨てましょう。




〜 Interlude 〜

【相克】
 対立・矛盾する二つのものが互いに相手に勝とうと争うこと。
「理性と感情が―する」

Go For Howell - Come To The Water

(光と色の三原色を両方使うのはいいね)

作ってみると結構難しかったです。
難しいのは図ではなく『連想』ですよ。

(こういうのは子どもの方が得意やろな
ちょっと作ってみると

って感じやな)

ダイの大冒険が好きですね〜。
世代だからしょうがないか。

(ちゃんと竜魔人を2つに分けとるのがええやろ
違いが知りたければ原作を読むことやな)

心・技・体も良いですね。
最初の竜魔人バランには”人間の心”がなかったですから。

(閃華裂光拳 = 心 + 魔力
グランドクルス = 心 + 闘気(体)
としてみた)

閃華裂光拳 = 魔力 + 武術(体)として、
メドローアと同じマゼンダでもいいかもですね。

(それでもええな
まぁその辺はいろいろやってみたらよろし)

他にもダイのギガストラッシュは
アバンストラッシュ(師匠) + ギガブレイク(父親)
と、なります。

(やっぱ大事なのは『融合』なんや
あとは)

これは魔動王グランゾートと
仮面ライダーブラックです。

(魔動王は「まどうきんぐ」って読むんやで)

ロボライダーとバイオライダーが出てくるのは”RX”ですね。

(RXではバトルホッパーは”アクロバッター”に変わるのや)

ライドロンがなかなか目覚めてくれなかったんですよ。

(シャドームーンはブラックの宿敵やで
サタンサーベルを使うんや)

ブラックがシャドームーンに負けたときは絶望でした。
「どうしたらええんや…」ってなってましたね。

(ドーマ・キサ・ラムーン♪)

光り出よ、汝グランゾート!
六芒星の魔法陣から出てくるんですよ✡️

(魔動銃でマジカルシュートして
スケボーを使って乗り込むんや)

グランゾートの武器は”剣”で、
必殺技は「一刀両断!エルディカイザー!!」です。

(融合は大事やけどつなげたらあかんものは
断ったらええんやで)

そういえば人気声優の山寺宏一さんも出てますよ。

(山寺さんを知ったのはずっと後やけど
こんな頃から声だけは聞いてたんやな〜)

いつの間にか随分遠いところまで来ましたね。

(年号を3つ経験しとるからな
歳とって当然や)

後世に役立つことを残したいものです。

(残すなら『基礎』やろな
その上に積み上がったものは
その時代までのものや)

崩すのがイヤなのは基礎がないからですよ。
だから何も受け継がれないんじゃないかと
不安になってしまうのです。

(むしろ”上っ面”なんか継ぐ必要はないからな)

興っては滅びるを繰り返す世界の国々の中で
唯一滅びたことがない日本を支える”礎”は何なのか。

(… え? もしかしてそれを後半でやるん?)

いやなんか自然にそんな流れになったので。

(いやいやいやいや自然やったかそれ)

では自然な流れで後半をどうぞ〜。




【連想/聯想】
1. ある事柄と関連のある事柄を思い浮かべることや、その想念。
2. 心理学で、ある観念の意味内容・発音・外形の類似から他の観念が起きること。
観念連合。

Marcus Miller - DETROIT


『任務は遂行する』…『部下も守る』
おまえごときに”両方”やるというのは、そうムズかしい事じゃあないな。

『ジョジョ』 ブローノ・ブチャラティ


Δ ∞ ∇ (Delta ∞ albaN)

 そうは言っても日本の”礎”なんて大きなものは歴史学者とかに聞かな判らんからな〜。もうちょっと光と色の三原色を使って遊びましょかね。その前に題の ∇ = ”albaN” は、Nabla (ナブラ)の綴りを逆さまに書いたものやで。
 さて、さっきの三原色を補元 = 逆さまにすると、

 こんな形になる。今度は人とか学問とか主義を入れてみた。左右下にあるのは、図を作ったときに『⛩』を連想したから”左 - 狛犬”と”右 - 獅子”を入れたんや。風神雷神と陰陽も入れたけど左右は決まっとるんやろかね、なんとなくそうしただけやけど。こういうのは竹田さんに聞いてみたいね。

 ソクラテスは職人/石工やったから実践主義のプラグマティズムになる。その弟子のプラトンは朱子学と同じように理論によってすべてを理解しようとする立場やな。その弟子のアリストテレスは中間の知行合一/陽明学になる。知識と実践を合わせるんやからクワインのホーリズムでもあるわな。
 プラトンは「政治には科学(特に数学)が必要だ」って言ったけど、アリストテレスは政治は芸術やと主張して、理論より実践が大事って考えで「政治には芸術の才能が要る」って言うとった。
 物理学は紙の上の学問ってイメージがあるけど、どんな理論も実験ありきで正否が決まる学問やき知行合一やと考える。紙の上なのは数学やな。紙の上 = 脳の中 やで。
 芸術は自然と近いから緑の両脇におるのや。天才的な芸術家がたくさんおる中で個人的にはダリとジミヘンは外せんな。特にダリは天才というより”奇才”とか”異才”って呼ぶ方がしっくりくるね。

 真ん中は黒にしたけど、ホンマは黒でも白でもどっちでもええのや。
  白 = 緑 + 青 + 赤
  黒 = マゼンダ + シアン + イエロー
になるからな。あとは、
  白 = Δ(Delta)
  黒 = ∇(Nabla)
と考えてみるとかね。
 Δ + ∇ = ✡️ になるから、ダビデの星 = ユダヤ教から、今戦争しとるイスラエルも連想するね。ダビデの星は古代ギリシャからあって、当時は、
 Δ = 水 💧
 ∇ = 火 🔥
と考えられとった。錬金術やな。(紫 = 青 + 赤)
 似たような観念は世界中にある。まったく、どいつもこいつも世話が焼ける。
 ”光”を見る人は赤青緑で世界を見てて、”色”で見る人はマゼンダ・シアン・イエローで見る。でも、どちらも結局は”同じもの”を見とるのや。

((メラ系呪文もヒャド系呪文も
熱エネルギーをあやつる魔法力を使うってことじゃ
”同じもの”だからさ))

 別々の2つの視点から”同じ”ものを見ると、それぞれが”違う”ものに見えるってことに気づかんとな。



分裂(≠) ⇄ 融合(=)

 日本の核融合技術は世界でも最高クラスらしい。原爆や今の原子力は核分裂やき核融合とは異なる化学反応が起こっとる。前の記事の言語の特性も併せて書くと、
 欧米… 核分裂(英語 - 具体と抽象を分ける
 日本… 核融合(日本語 - 具体と抽象を合わせる
となる。
 アメリカは政治でも左右にはっきり分かれとって、社会階級も上下に分かれとるやろ。まぁ最近は日本も分かれとるけど、アメリカほどにはなってないわな。分けると物事が”はっきり見える”ようになって分かり易いからな。でもそれは国や組織や思想を”分裂”することにもなる。合わせると協調性の高い組織ができるけど、いろんなことが”はっきり見えない”ようにもなる。そのせいで問題解決が遅れたりもする。一長一短やな。

 上下の分裂は共産主義の中国や、日本の会社もそうよね。同じ構造… それは同じ結果/結末に辿りつく… 情報の分断、赤ちゃん化、奴隷化、お母さん化、成長が止まる… 中央だけ栄えて地方は貧乏… 本社は悠々自適で現場は疲労困憊… 。
『中華思想』てのがあって、世界の中心は中国で周りは蛮族の住む土地って考え方や。自分が世界の中心ってのは天動説みたいやな。愛を叫ぶんやろけど、本当にそれは”愛”なのか、俺にはドス黒いものに見える。黄金やなくてうんこに見えるで。

錬金術師たちは、物質同士の結合に自分たちの心の中の対立する要素の結合を重ね合わせて見ていた。

精神科医 カール・グスタフ・ユング

 ずっと昔は日本列島の中も別々の国やったのが、だんだん合わさって1つの国になっていったやん。反対に、ヨーロッパでは国同士争ってばかりで統合が上手くいかんかったのや。戦って興って戦って滅びてを繰り返しとる。
 ちょっと前にネットでも話題になったけど、日本列島とヨーロッパの広さを比較すると、

https://www.thetruesize.com

 日本の北海道から沖縄までは、ヨーロッパではドイツ・フランス・スペインにまでまたがることになる。この広さの国同士が1つになることがいかに難しいかは、ヨーロッパを見ると分かり易いやろ。実際いまだに分かれとるわけやしな。
 今、戦争/テロをしとるウクライナとイスラエルは、日本で言えば北海道と九州辺りで戦っとることになるね。
 北海道… ウクライナ vs ロシア
  九州… イスラエル vs ハマス

 仕事のアイディアも知識や経験が分かれたままやと中々良いものはできんから、合わせる必要があるんや。でも合わせると前半に書いた”視野狭窄を取捨選択と誤認”してしまったりして、それも上手くいかん。料理人の言葉で言うなら、
「包丁の使い方を知れ」
ってやつやな。調理のための包丁は凶器にもなるき、使い方をちゃんと知らんとあかんのや。それと同じことが分裂と融合にも言える。核エネルギーとして使うなら尚更知っとかんとあかんわな。

 日本人がよくやる間違いは、日本語がそうなっとるからしょうがないけど具体と抽象を交ぜて考えてしまって、つなげたらいかんものをつなげてしまうことよね。簡単な例を上げると、
《抽象説明》
順番に行う作業
 1. あるものを、ひと山ふた山… と分ける。
 2. その山を1つずつ、水/お湯の入った機材に入れる。
 3. 一定時間入れたあと取り出す。

 これじゃ何のことか判らんやろうけど、これから連想できるものは2つあって、
《具体例》
 I. 洗濯
 II. 麺茹で(ラーメン)
と、まったく”違うもの”を連想できるのや。
 抽象説明やと同じ説明になるのに、具体例は全然違うことになるやん。でも日本語は具体と抽象を交ぜるから、思考でも交ぜる”癖”みたいなものができてしまってて、具体では別々に考えんとあかん洗濯とラーメン屋の麺茹でを同じに扱ってしまう。これが視野狭窄と取捨選択を混同してしまう一因なのや。
 洗濯と麺茹でを同じに扱うわけにはいかんから、ここでは融合したものを分裂する必要がある。一刀両断やな。

 抽象 - 融合 - 集(∀)
 具体 - 分裂 - 個(A)

 簡単に書いたけどこれは相当難しいことで、抽象ばかりやと合わせたらいかんものまで合わせたり、理想論で現実味がないものになってしまうし、具体ばかりやと分裂したままで新しいものなんかまったく生まれんことになる。
 融合した方が良いこと・悪いこと
 分裂した方が良いこと・悪いこと
と、これらを見極めることやな。相当難しいけどね。難しいから世界から戦争は無くならんし、新しいものが生まれんくて時代が進まんようになっとるんや。どいつもこいつも… やね。

 一般論(抽象)を述べた後に”例外”を持ち出して反論するのも、一般論と個別事例の区別がついてないからやろな。ここで持ち出す”例外”はまさに《具体例》のことよね。具体例は全部違うものやから例外になって当然なのよね。話が、一般論なのか個別事例なのか、抽象なのか具体なのかを最初にしっかり言わんとな。
 具体と抽象を混ぜてしまうのは、さっきの洗濯と麺茹でにアリストテレスの三段論法を使うと判りやすいかもね。具体と抽象、洗濯・麺茹で・作業の説明をABCで表して、
 具体 = 洗濯… A
 抽象 = 説明(の内容)… B
 具体 = 麺茹で… C
とする。んで、三段論法を使うと、
 1. 洗濯は説明である(AはBである)
 2. 説明は麺茹でである(BはCである)
 3. よって、洗濯は麺茹でである(AはCである)❓❓❓
となってしまうんや。現実には、

だから、A = B、B = C は成り立つんやけど、AとCは『≠』になる。三段論法を使ったときと違う結論になるやん。
 論法… A = C ❌
 現実… A ≠ C ⭕️
ってことや。
 これが具体と抽象を交ぜて考えたときの”欠点”なんやで。
 最近、とんでもない交ぜ方をしたのが鈴木エイト氏やな。山上と自分との関わりを書いた本を出しとる。全然関係ないんやけど、上段を『国』とかにしてむりくりつなげたんやろな。さっきの図を使うと、

 1. 鈴木は日本にいる(AはBである)
 2. 日本には山上がいる(BはCである)
 3. よって、鈴木は山上と関わりがある(AはCである)❗️❗️❗️❓
と、なってしもうたんや。かわいそうに… 。
 全然関係ないものを大きなものでつなげて話すことを『SY論法』と名付けようかね。S = 鈴木、Y = 山上 やで。

 知と行を合わせることを知行合一と言うなら、”分ける”と”合わせる”を合わせた言葉は『分合交叉』と名付けようかね。英語読みは”クロスロード”にしよう。伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソン🎵

 さて、日本が歩く道の先にある十字路にいるのは、悪魔か、それとも天使か…



🍁 『=』 & 『≠』

 次からは分裂と融合をそれぞれ取り上げていく。つながったらあかんものは断って、つなげてもいいものはつなげるんや。『≒』はつなげる方に入れた。どうも世の中にはつなげないかんものをつなげんと、つなげたらいかんものをつなげとる人がおる。

 紅葉と楓は見分けがつきにくいから、紅葉のことを楓と言ったり、楓のことを紅葉と言ったりしとる。絵文字に変換すると、
 紅葉… 🍁
 楓… 🍁
と、まったく同じ絵文字が出てくるしな。
 世の中はこんなことで溢れとるから、間違えてもしゃーないんや。でも、間違えたままってのはいかんな。気づいたら直さんとどんどん悪化する。

 それを整理していこうかなとね。


⚔️ 『≠』 一刀両断

🗡️ 劣化 ≠ 変転

 おっさんになると脳が劣化する。

 よく言われることやな。でもこれは間違いで、劣化したんやなくて脳が”変転”したのや。前半で言ったように、
 20代… プレイヤー… 一極集中
 30代… マネジャー… 広範分散
となるのは、脳が変転を起こして使い方が変わったのや。仕様変更やな。当たり前っちゃ当たり前の話で、20代の点しかなかった脳から点の数も増えとるし、点同士が結ばれて線や立体になって、実践の経験で脳内の動回路が結ばれとるんやから、見とるものも感じるものも違うに決まっとるわな。
 これは40代でも50代でも起こる。というか、脳はかなり高齢になるまでは進化を続ける。身体は20歳で成人やけど脳は30歳で成人になるってのを考えると、身体の年齢と脳の年齢は一致せんき、劣化と感じたときは劣化やなくて”変転”って捉える方が正しいのや。

 むしろ、30代になって「若い頃みたいに頭が働かないよ〜トホホ」ってなっとる方がおかしいのよね。脳が変転しとるんやからそれに合った脳の使い方をせんとあかんのに、30代になっても20代の脳の使い方が正しいと思い込んどるってことになるやんか。
 1つに集中する力は20代の方が圧倒的に強いわけよ。でもそれは単に脳の中に点しかないからってことも考えられるんや。点しかないから集中できるだけで、集中力そのものは、見て感じるものが違うだけで30代でも変わらんのや。集中力を広範に分散するから1つの点に対して弱くなった = 劣化した と感じとるだけやで。だから、
 ❌ おっさんになると脳が劣化する。
 ⭕️ おっさんになると脳が変転する。
と捉える方が自然なんや。

 20代の脳の使い方が正しいと思い込んどるからトホホになったり、無駄に張り合って余計な力を使うことになるんや。劣等感も余計な力もさっさと捨ててしまえばええで。

 年齢と共に”張り合う場所”を変えなあかんってことよ。
 一極集中と広範分散の脳内を比べると、

 このぐらい違う = 変わるき、同じ『A』から始まったとしても出す答えは『Z』と『Ω』と、まったく違うものになるのや。

 マネジャーはスペシャリスト(専門家)やなくてジェネラリスト(万能家)って捉えられがちやけど、視点を変えるとマネジメントのスペシャリストって捉えることもできるやんか。だから、
 A. プレイヤー… 一極集中のスペシャリスト
 ∀. マネジャー… 広範分散のスペシャリスト
とすることができる。
 『』は論理学で”全称記号(universal quantifier)”って呼ばれるもので、意味は「すべての」やで。(´∀`=)

 ちなみに”因果応報”とか”自業自得”って言葉は「やったことが跳ね返ってくる」って捉えられとるやんか。一方、脳の神経回路は、学問でつながる静回路と実践でつながる動回路の2つがある。2つの回路はやらない限りつながらない… ってことは「やってないことが跳ね返ってくる」のや。やってないなら自分の脳の回路はつながってないんやからどうしようもないわな。

 因果応報や自業自得ってのは、やったことが跳ね返ってくるだけやなくて、やってないことも跳ね返ってくるんやで。


🗡️ 見えない ≠ 存在しない

 総務省の国政選挙投票率(衆議院)を見ると、ざっくりと、
  昭和… 70%
  平成… 60%
  令和… 50%
となっとる。(https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/index.html

 だんだん下がってきてて、50%ってことは今の政治は半分の人たちが決めた政治ってことよね。有権者の半分の意見しか入ってない政治なんや。んで、よく”野党第一党”で立憲民主党が挙げられるけど、ホンマの”野党第一党”は見えない半分の人たちなんや。見えないからといって存在せんわけやないわな。確かにそこにおるやろ、見えんけど。

 この”見えない党”は、支持政党がないとか政治に興味がないとか理由はいろいろあるやろね。でも、そこを取ることが今の政治には求められとるんや。選挙でどれだけ圧勝しても全体の半分しか取れてないんやから、みんなの意見を集めたとは言えんやろ。バンザイしとる場合ちゃうで。
 政治に興味を持ってもらうにしても、政府の”役所気質”が故に広報が下手なのとか、マスコミが変な”操作”をしてるとか、なかなか問題が多いけどやるしかないわな。新党なんかはこの”見えない党”にいる人たちを取ればすぐにでも筆頭になるから、狙えばええと思うで。ちょいちょい新党ができとるってことは、これからは群雄割拠、動の時代になるかもしれんね。

 三原色の真ん中は黒と白でどっちも見えないんや。んで、見えないといえば『御神体』よね。古墳時代か弥生時代からあったものや。神社では、
 見える… 狛犬・獅子
 見えない… 御神体
となっとる。
 見える狛犬・獅子から見えない御神体を導き出す… 見えるものから見えないものを紡ぎ出す… これは『推理』と同じことをすることになる。現行の与野党(見えるもの)を見て推理していって、”見えない党”を見えるようにしていくのや。

 見えないものを見る

 こういう話をするとカルト宗教っぽいことになりがちやから、そっちには行かんようにして、火と水を使った修行で”護摩行”とか”滝行”があるやん。煩悩を祓うとか精神を研ぎ澄ますとかいろいろ効能はあるけど、個人的には、
「脳を”起こし”とるんやろな〜」
と考えとる。
 人間の脳は自分が考えてる以上に”眠った”状態なのや。いろんなアンテナが起きてない、神経回路がつながってない状態なんや。それをいろんな刺激を与えて起こしていくんよな。修行じゃなくても日常生活から仕事まですべての脳への刺激が起こすことにつながっとる。んで、この”刺激”ってのが厄介でね。弱すぎてもいかんし強すぎてもいかんのや。筋トレだって弱いと効果がないし、やりすぎると筋肉が萎縮するやん。それと同じことよ。

 脳に与える刺激も弱すぎると眠ったままやし強すぎると壊れてしまう。たまに、護摩行やと思うけど手に火傷の痕がついとる人がおるやん。でもあれは意味ないと思うけどね。修行でどうにかするようなもんやない。その段階ではない気がする。修行的な宗教チックなものやなくて、もっと平坦に治す/祓う方がええで。

 そこでオススメなのが外に出るってことや。身近な狭い領域から外に出て、知らない知識や情報に触れて、自分の身体を動かし、目で見て耳で聞くことや。修行よりはるかに簡単やろ? 少なくとも宗教チックやないき、変なカルトの心配もないしな。

 政治には統一教会とか創価学会が関わっとるし、テレビ業界にもありそうよね。んで、政治とテレビ業界の共通点は”閉鎖空間”になっとることや。局所的な狭い領域が外界と遮断されとる。2つの場所は扱う情報が大きいから、ついつい「これが世界のすべてだ」って考えてしまうんやろな。すべてどころか0.000…1%くらいなんやけど。
 閉ざされた場所って悪いものが繁殖し易いわけよ。害虫も閉ざされた場所で繁殖するやろ。だから害虫が入ってこないように空間を”密閉”するけど、それが間違いなんや。害虫は閉ざすと繁殖するき、閉ざすのは逆効果になる。むしろ逆に”開け”た方がええで。開かれて常に空気が入れ替わる場所では害虫は繁殖できん。だからもし入ってきてもすぐに出ていくのや。

 これは飲食店で学んだことやけどね。経験者はみんな知っとるけど、害虫が入ってくることを100%防ぐってのはなかなか難しい。けど、害虫が繁殖しにくい環境なら比較的簡単に作れる。よく素人は「害虫が入ってきたらどうするんだ」って言って”隙間”を埋めようとするんやけど、問題なのは隙間やなくて”全体的な環境”の方なんや。『構造』と言ってもええ。

哲学の課題というのは、選択によって隠された全体性を取り戻すことである。

『過程と実在』 アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド

 害虫に「ここにいても繁殖できない」って思わせる環境を整えることが大事なんやで。害虫はそういうことにはなぜか”敏感”やからな。

 隙間ってのは”点 = 部分”であり”見えるもの”よね。人間っておもしろくて、見える部分に注意を向けると、見えない全体が意識の中から消える。これはマジシャンも使う手法やな。
 A. 見える部分… プレイヤー
 ∀. 見えない全体… マネジャー
となる。
 一応言っとくけど、ドブ川につながっとるような隙間は埋めるやで? そうやないからな? 判っとるな?

 見えない真ん中、見えない人たち、見えない御神体… これらは、
【見えるものを増やすこと = 外に出ること = 脳を起こすこと】
で見えるようになっていくんや。

 護摩行や滝行は”大人”になった脳でやることで、”子ども”のままの脳では意味ないし逆効果になる。なにより修行をカルトと間違われるのもイヤやしな。

 多数の支持が得たいなら効果のない修行をするより、さっさと外に出たらええんやで。


🗡️ 悔しさ ≠ 妬み

 ☆ 同じくらい動いたり考えたりしても、負けたときに抱くのが”悔しさ”
 ★ 同じくらい動かないし考えないで、負けたときに抱くのが”妬み”

 行動しない人が、行動する人に対し”悔しい”と感じる ❌ 
 行動しない人が、行動する人に対し”妬み”を感じる ⭕️
 考えない人が、考える人に対し”悔しい”と感じる ❌
 考えない人が、考える人に対し”妬み”を感じる ⭕️

 動いたり考える人は、負けたときはいつも”悔しい”と感じとるのや。妬みなんてドス黒いもんを感じとる余裕はないからな。ってことは、妬みを感じる人は余裕なわけよ、そりゃそうよね、だって何もしてないんやから。何もしてなくて余裕があるから、妬みが生じるんや。そしてそれを”悔しさ”やと誤認しとる。視野狭窄と取捨選択を誤認したのと同じことや。
 でもこれって”矛盾”よね。余裕があるのに妬むって意味不明やろ。だったら余裕がなくなってでもやったらええだけやで。

 ”しない人”が感じるのは、悔しさやなくてただの妬みなんや。

 自分に対して → 悔しさ… 発展につながる💊
 相手に対して → 妬み… 滅亡につながる☠️

 さて、どっちを捨てるかは火を見るより明らかやろ。


🗡️ 叱責 ≠ 罵倒

 相手を黙らせるために”怒鳴る”ことがある。これは小学生のやることで『相手が喋ろうとした瞬間、声を出して遮る』ってのと同じ行為なんよな。だいたい誰にでも覚えはあるやろ。相手が喋ろうとした瞬間に遮って喋れんようにして、からかうみたいなね。ケタケタケタ〜🎶 ってなるわな。これも広義の言論弾圧やから、言論弾圧をする人は小学生レベルとも言えるね。

 んで、職人にも
 🇯🇵 職人
 🐷 職人もどき
の2つがおる。両方とも”怒鳴る”ことが多いから、知らん人は見分けが難しいかもしれんね。職人がしとるのが”叱責”で、もどきがしとるのが”罵倒”やな。どう違うかというと、
 💊叱責… 成長させるため → 伸びる → 大人になる → 自立する(独立)
 ☠️罵倒… 萎縮させるため → 縮む → 子どものまま → 依存する(支配)
となる。表面上は似とるけど効果が真逆なんや。
 両者の簡単な見分け方として、
 ・”手本”を見せてくれるか
 ・”基礎”を大事にしているか
 ・”及第点”を持っているか
とかが上げられる。
 手本は、自分がやってる姿を見せることで”動作”を教えとる。動回路 = 暗黙知は言葉では伝えられんことの方が多いから、やって見せた方が早いからな。
 基礎は、すべての仕事の基本になるもっとも重要なことや。だから蔑ろにしとるヤツは職人とは言えんな、もどきの方やな。
 及第点は、最初は”点”やなくて”面”で当てればいいってことよ。最初から100点を狙うんやなくて、”徐々に”100点を目指せってことや。

 こういうことを知ってて自分でもやっとる人がホンマの”職人”やで。反対に、もどきの方はどれかが抜けとるんや。手本を見せないとか、基礎をやらないとか、最初から点で当てることを要求するとか、言ってるけどやってないとかね。こういう人に会ったら、
「職人の”フリ”をしとるもどきの方やな」
ってことでさっさと他に行ったらええで。時間の無駄や。現代は”早さ”を求められとるから早く成熟してほしいみたいやき、そんなとこで時間かけるわけにはいかんからな。

 かなり難しいけど”怒鳴る”のは、
  行動に対して怒鳴る → 職人
  人格に対して怒鳴る → 職人もどき
になる。
 職人は”行動を否定”することはあっても、人格を否定したりはしない。まぁこれは行動を起こすのは人格やから、判断が難しいのよね。特に子どもやと、行動を怒られたことを人格を否定されたと捉えてしまうからな。悔しさと妬みを混同したり、視野狭窄と取捨選択を混同する人は見分けがつかなくて当然やな。
 職人の仕事すべては脳を起こすためのものでもある。そして、職人が怒鳴るときは”行動”に対して。その行動とは、

 周りが見えてない行動 = 無意識に気づいてない行動 = 脳が起きてない行動

と、できるき、職人は脳を起こそうとしとるのや。脳が起きてない奴ほど怒鳴られる頻度は多いやろね。脳を起こさんことには仕事はできんからな。それが判らんかったヤツらが怒鳴る”形だけ”真似してやっとるのが”もどき”なんや。サブいわ〜、引くわ〜、うざいわ〜。

 脳を起こそうとして怒鳴ることを、人格を否定されたと捉えてしまうのは、さすがの職人にもどうしようもないことなんや。それは専門医の力が要る。

 発達障害は、職人では治せなかった… むしろ、治せなくて当然… ってことやろな。

 ここから先は専門医のやることや。




🌉 『=』 IA(Intelligence Aggregator)

🚗 無意識 = 無知の知

 哲学の祖ソクラテスは”職人”やったやんか。この人はいろんな人と議論をするのが好きで、知識人とも話とった。そのときに、議論の相手が”気づいていない”ことがあることに気づいたんや。これを『無知の知』と言った。気づいていないこと = 知らないこと がある、そのことに自分自身では”気づいていない”

 これについて、もしかして”無意識”のこと、脳が起きてないことなのかな〜と
考えた。
 当時のギリシャは支配階級(市民/知識人)と労働階級(奴隷/職人)に分かれとったやろ。だから、知識人たちは身体を使った労働ってものをしてなかったんや。職人は身体を使う仕事やき、もちろんソクラテスは身体を使って仕事をしとった。無知の知について、
 👫身体を使ったソクラテスは、それに気づいた
 📚身体を使わなかった知識人たちは、それに気づかなかった

 これって子どもの頃の「おもちゃが勝手に動いた!」ってのと同じよね。おもちゃで遊んどると、そこにあったはずのおもちゃがいきなり”別の場所”にあったりする。それを子どもは「勝手に動いた」と思うけど第三者視点から見ると、自分で持っていっとるだけなんよな。
 これが無意識を自覚してない状態、脳が起きてない状態なんや。そこから何回もおもちゃの勝手な移動を経験すると、どこかの時点で気づくやん。気づいたときが無意識に目覚めたってことで、脳が少しだけ起きたってことなんや。子どもはまだこれくらいが精一杯やけど、成長とともに”気づく範囲”が広がっていくわな。

 ここで大事なことは身体を使って経験したってことよね。自分自身でやったことに自分自身で気づいたんや。でもこれが”知識人 = 身体を使わない人”やと気づかんのや。
「身体を使わないなら、おもちゃを持っていくこともない」
って? 違う、それが言いたいんやなくて、自分で持っていくことがあるということに気づかないって言いたいわけよ。身体を使わない人は、

 人は無意識で動くことがある ← こ の 事 実 に 気づ く こ と が な い んや。

 ソクラテスの無知の知は無意識のこと、脳が起きてないって捉えることもできるのや。
 実際、実践をやったことがない人ってあらゆることを”知らない”んよな。説明せんでも判るようなことさえ、いちいちいちいち言葉で伝えなあかんし、その中にちょ〜〜〜〜〜っとでも不自然なところがあったら丸ごと否定してくるしな。めんどいねん。常に警察の事情聴取をやっとる感じよね。キショ。
 だったら自分でやればええのに、それだけは絶対やらんやろ。脳が起きてないんやって、そいつら。だからどんだけ話しても意味ないんや。無意識に気づいとる人と気づいてない人の話が折り合うことは永遠にないね。知行分裂やな。

 だから仕事は”自分で使ったものは自分で片付けろ”なんや。無意識に気づかせるための体制でもあるんや。自分が使ったものを片付けたのに”片付いてないもの”がある、それが無意識でやったことなんや。だからその人は無意識に気づいていくってことよ。
 今みたいに他の誰かに片付けさせる体制やと、本人が自分の無意識に気づくことがないき、脳は永遠に眠ったままやな。

「IQが20違うと話が成り立たないんですよ〜」

 ときどき見かけるけど、それは”どっち”なんやろね。自分が、
 ・20高い or 20低い
 ・脳が起きてる or 脳が眠ってる
 ・無意識を自覚 or 無意識に無自覚
 ・全体で見る or で見る
 ・五感を使う or 視覚だけ使う
 ”どっち”やと思うかね。

 IQなんて気にするより、実践する方が先じゃないっすか? って話よ。


🏍 批判禁止 ≒ 言論弾圧

 言葉による暴力はダメってことは大前提。でもそれで批判までダメってのはただの言論弾圧になるね。悪いことを悪いと言えんかったら修正や改善ができんから、どんどん悪い方へ向かってしまうやろ。
「指摘されないならこれでいいんだ! じゃあもっと! もっと!!」
と、際限なくいってしまう。特に猿はこうなってしまう。前頭葉 = 理性がないからな。

 んで、言論弾圧は”情報の分断”で真価を発揮するんや。上層と下層で情報の共有ができないのは途中で止められるからやろ。この”途中で止める”ってのがまさに言論弾圧よね。言ったはええけど伝えたいところに伝わってないんやから、それは言論弾圧と同義。中国がこんな感じよね。
 会社でもあるやん。「現場の声は役に立たない」ってのも聞いたことある。それで、なんでそうなったのかな〜と考えてみて、1つの可能性として、

《流れ》
 下層 身内で売上を上げる方法を使う
 上層 その売上を真に受ける
 下層 中層に上がる
新下層 問題点に気づき、上層に知らせようとする
 中層 下層からの報告を上層には知らせない
 上層 中層・下層に能力がないとし、話を聞く気がない
新下層 何度も知らせようとする
 中層 何度もねじ伏せる/もみ消す

《中層》
 上層に対し、「下が育たなくて〜」「全力で指導します!!」
 下層に対し、「上がうるさくて〜」「黙ってやれコラー!!」

 こういうのがあるかもな〜とね。原因は一番最初の”身内を使う”ってやつやけど、ちょっと気になるのは「上層は知っていたかどうか?」なんや。まぁこれは知ってても知ってなくても問題なんやけどな。それは置いといて、これが分裂の構造よね。頭と身体が分裂しとるやん。
 人間も頭と身体が切り離されとったらまともに動くことなんてできんやん。それと同じことが”会社”でも起こるし、”国”でも起こる。全然機能してないやん。

 国やと中国や北朝鮮の共産主義/独裁国家では言論弾圧、上下の分裂が起きやすいみたいやね。共産系と関わったFacebookやツィッターは同じことが起こっとるやろ。み〜んな働かんなって幼児化するんよな。ツィッターなんて本社の人員を1/5くらいまで減らしたのに、まだまだ動いとるしな。ホンマにまったく何もしてない人だらけやったんやろな。日本の会社でもおそらくいろんなところで、テレビ局や電通では起こっとるやろね。
 上層(日本)に対して「あなたは特別な存在だから、そんな仕事はしなくていいですよ〜」と言って、どんどん仕事を奪っていく。”産業の空洞化”とか”中抜き”がこれよね。日本から奪った仕事を自国で”奴隷”にやらせればええだけ。ここでは、
 上層 日本
 中層 中国
 下層 中国の奴隷
と、なっとる。仕事をしなくていい日本はご満悦やけど、本質は豚もおだてりゃ木に登るってやつやな。
 んで、これと同じことを会社でもやり出したのが、外国人労働者とか”アウトソーシング(社外委託)”やろね。これは自社でできないことを委託するのはええけど、できることさえ委託するのはただの天竜人化やな。お母さ〜ん、これやって〜! … 愛着障害… 。
 そして天竜人は”奴隷を飼う”んやったな。

 上層と中層に対して気になるのは、アイデアさえも下層から得ようとするところやな。頭が上で身体が下なのであれば、考えるのは頭の役目やろ。それやのに、考えることも下層にやらすなら少なくとも中層は要らんと思うけどね。実践も思考も下層がするなら、お前ら一体何をやっとんねん!? って話よ。なんでもかんでも下層から獲ればええってのが”奴隷思想の人たち”って感じやな。
「頭も身体もすべてを”主”に捧げよー!」
みたいに見えるで。底無しの欲望を持つ豚か。

 どうも中国にしろ欧州にしろ奴隷 = 職人を蔑ろにするところがある。人を上下でしか見ないところがあるやん。そういえば、犬や猿って”対等”って概念がないから相手を上か下かでしか見んのよね。
 対等とは等価交換のこと、人間やと5歳くらいからでき始めることや。相手の立場に立って考えることは、等価交換による作用やな。んで、等価交換は発想の転換にも重要な役目を果たす。アイデアを考えるときに大事よね。
 ・相手の立場に立って考える
 ・新しいアイデアを考える
 これらができなくなったのは、なんでやろね? これらができんなってから日本は衰退していったようにも見えるで。

 中国、共産主義、情報の分断、上下の分裂、幼児化、天竜人化、奴隷…

 さて、欧州・中国と日本の歴史を比べてみると、
 🇯🇵 職人を敬ってきた日本は、滅んだことがない
 🐷 職人を蔑んできた欧州・中国は、何度も滅んでいる

 果たしてこれは偶然なのか、それとも必然なのか… 海外の制度を取り入れるときは、こういうことも考えてやるべきやな。”移民”にしても、何度も滅んできた地域の人たちがやったことやで。

「生き残りさえすればいい」
 たまに聞く言葉やけど、欧州や中国には「お前ら生き残ったことないやんけ!」と言いたいね。


🚗 普通 = 家族連れ

 これはただの経験論やけど、俺が今まで働いてきた店で必ず起こったことは家族連れが増えるんや。これは因果を証明することはできんし、ただの”偶然”でもええけどね。主観では店に入ってからしばらくすると、家族連れのお客さんが多くなるのや。でも、特別なことなんか1つもしてないんや。普通をやっただけや。

 なんか知らんけど、俺が行った店では”基礎が抜けとる”んよな。なんかそこだけキレイに”スポッ”と抜けとる。だから当然、店は”ぐちゃぐちゃ”やな。”異常な店”と化しとる。そこで基礎を教えていくんやけど、まぁ〜〜〜〜〜〜根づいた文化とは恐ろしいもので、全然直らんかったりもする。こういうのは総じて子どもほど直りやすくて大人ほど直りにくいね。見事に大人は直らんからな。
「これ、間違ってますよ」
とか言うたら大問題みたいになるし、誤りを正せないのは言論弾圧よね。カルト宗教ならぬ、カルト店舗になっとる。そりゃ潰れるわな。まぁそれでも直った子どもにつられて大人まで直ったりすることもあるのがおもしろいのや。俺(おっさん)に言われても直さんのに、子どもがやっとるとやったりする。

 推測やけど、過去に独裁おっさんがいたりしたら、おっさんの言うことは聞かなくなるわな。子どもは数年で入れ替わるし、まだ良くも悪くも頭が柔軟やから、直る方向にも行ってくれる。でも大人は頭が硬いし、独裁おっさんのせいでおっさんって生き物に一種のトラウマみたいなものを持っとると、そりゃ言うことは聞かんわな。

 異常な文化に慣れすぎて、普通が無くなっとるのや。お客さんの立場に立って = 相手の立場に立って考えたらすぐに判ることやけど、子どもを連れて店に行くなら異常な店やなくて普通の店に行くやろ。子どもを連れてわざわざ異常な店に行く親はおらんわな。だから、普通にすればするほど家族連れが増えるのや。
 犬が叫んだり猿が喚いとる店には誰も来んわな。大声で怒鳴っとるのは”他人のせい”にしようとしとるんやろ。バレてるで。
 表面「お前何やってんだー!!!」← お客さんに聞こえるように言う
  ↓
 真相「こいつのせいなんですよ〜お客さん、俺のせいじゃないんです〜」
ってことね。小学生くらいのときはやったりするけど、おっさんがやったらあかんやろ。

 独裁おっさんの作った異常な文化を、普通に直すだけで、家族連れが来れる店になるってことや。


🚗 クレーム = 目隠し

 クレームを本社に対する”目隠し”で使う場合がある。これも身内を使うんやけど、ある店舗に問題があってクレームが本社にいったときに、他の店舗に身内からクレームを出すんや。そうすると”紙の上”しか見ない本社は、どこの店舗に問題があるのか判らなくなるんや。目隠しやろ。
 1店舗だけならそこの問題だけやけど複数にくるき、何が問題なのか判らんなる。本社に隠して身内で売上を上げとる店は問題だらけになるき、クレームが発生しやすいのや。本来、店は”他人用”やのにそこでは”身内用”の店になるやろ。だから他人のお客さんからしたら異常に見えるんや。んで、クレームがいくき、それを隠すために他店舗にクレームを入れる。

 簡単な見分け方は、クレームが入った”時期”を見ればええ。まるで複数の店舗が呼応するかのように、同じ時期にクレームが入るんや。そして、同じ時期にクレームがパタっとなくなる。身内の売上と同じことよ。一瞬ドカンと売れてすぐ萎む。

 証拠が残らないのであれば、残った証拠から推測していけばええだけやで。

 クレームにしろ売上にしろ、必ず記録が残るやろ。だったらそれを使うべきや。残ってない証拠は使えんし故意に作ると偽証になるき、残ったもの = 記録でやるべきやな。個人的には、
 身内で売上 = 営業妨害
と考えとるね。だって他人のデータが取れんやろ。なんの役にも立たないデータを集めとることになるやん。現代の”VUCA”ってのも身内のデータばかり集めたからそうなっただけやないのかね。

「売上になってるならそれでいいじゃないか」って?
 いやいや、それやと次がないんや。三擦り半で終わる猿みたいな売上はいらんねん。
「身内じゃなくて店長の”ファン”なんですよ〜」
だったらその店長は店にいた方がええよな、永遠に。出世して”本社に引きこもる”みたいなことになったら会えんなるから、ファンが会うためには店におった方がええやろ、永遠に。その方が、
 会社… 売上になる
 ファン… 憧れの店長にいつでも会える
となって、『win-winの関係』になるやん。だから憧れの店長は店におった方がええんや、永遠に。ん? ”会社”のファン? だったら尚更その売上は店長が上げたわけやないんやから、評価するわけにはいかんわな。

 クレームって嫌がられるけど有意義なクレームもあるき、聞かんわけにはいかんし、もし聞かんかったら言論弾圧にもなる。良いことばかり聞きたいけど、悪いことも聞くから発展していけるんや。両方聴くことを忘れたらいかんで。


🚗 人に迷惑をかけるな = 八つ当たりするな

 人に迷惑をかけるなって言葉をそのままの意味で受け取ったらあかんのや。これは自分がイライラしとるときに”他人に八つ当たりするな”って捉えんといかん。怒っとる理由は何であれ他人は関係ないし、「それって自分が悪いだけやろ」ってことで怒っとることもあるしね。精神が子どものままの人はすぐに八つ当たりするからな。小学生くらいやと喚いたり暴れたりするやん。その頃から脳の成長が止まってしもうたんやろな。

 他人のせいにするなってのも、八つ当たりするなってことよね。精神が子どものままの人は、何か間違いがあるとすぐに他人のせいにするやろ。自分のミスを他人のミスであるかのように言うのも、八つ当たりしとるだけなんや。キショいわ〜。

 逆恨みするなってのもそうよね。自分が悪くて注意されたのに、それを根に持って見当違いの恨みを抱くのや。小学生よね。

 八つ当たり = 他人のせい = 逆恨み

 この3つはすべて同じことなんや。”やったらいかんこと”よね。んで、これらをまとめて「人に迷惑をかけるな」って言葉で括っとるんやで。ホンマの小学生ならまだ判るけど、おっさんがやっとることがあるきめんどいんや。歳を考えろって話よね。

 なにより「人に迷惑をかけるな」って言われただけやと、何をどうすればええのか判らんやろ。言うとることが抽象的過ぎて具体性がないからな。そんなときは、
 い. 八つ当たりしてはいけない
 ろ. 他人のせいにしてはいけない
 は. 逆恨みしてはいけない
って捉え直せばええんやで。

 他人のせいにしとるから、精神が子どものままで止まってしもうたんやしな。



繁栄 🌀 滅亡

 前に、
 洗い場の仕事 = マネジャー/店長の仕事の基礎
ってことを言ったことがあるけど、それにも通じる話し。

 会社には知の人、行の人、その2つを合わせる人がおる。スポーツや音楽もそうやって考えることができて、図にまとめると、

 こんな感じになる。主役(赤)に”お客さん”や”視聴者”を入れとるのは、そのことを忘れとる会社も多いやろな〜と思ったからや。”社内”だけを考えると主役は社員なんやけど、本当の主役はお客さんや視聴者やからな。それを忘れるとどんどん売上が落ちて最悪の場合は倒産するわな。
 店舗の調理場のところを見ると補佐役(青)に洗い場があるやろ。んで、その両隣には店長とマネジャーがおるんや。だから、
 洗い場の仕事 = マネジャー/店長の仕事の基礎
になるんや。
 洗い場の仕事を軽んじたりやったことない人は、店長やマネジャーになってから相当苦労するやろね。”補佐役の動き”ってものを身体で覚えてないき、頭だけで考えたようなことしかできんのや。でも理論ってものは実践をやると全然変わることがあるから、理論と実践の整合性が取れないなんてことが起こる。身体で覚えた人は”覚えたことを理論にする”から整合性が取りやすい。
 身体で覚えた人… 実践 → 理論🎶  = 面
 頭で考えただけの人… 理論 → 実践♪  = 点
ってことや。
 会社によっては『現場をやったことがないSV』とかおるけど、小学生が監督の立場に就いとると思っとけばええ。上手くいくわけないわな。

 んで、3つの役割には自然な”回転”とか”流れ”みたいなものがある。会社を取り出してみると、

となって、起点は社長でも経営陣でも株主でもええけどここで言いたいことは、
 Δ. 自分より”上”の者に対して… 自分は”主役”か”融合役”
 ∇. 自分より”下”の者に対して… 自分は”融合役”か”補佐役”
になることや。
 これによって最終目標のお客さんが超主役になるき、望むものを提供できて会社の利益も上げられるから、win-winの関係になるんや。良かったやん。

 これを【繁栄の回転】と呼ぶことにする。

 んで、ここでこの回転を”逆”にすると、

となって、ダメな会社になる。これが奴隷制度 = 独裁国家、共産主義の完成形なんや。Δと∇も、
 Δ. 自分より”上”の者に対して… 自分は”補佐役 = 奴隷”か”融合役 = おこぼれ”
 ∇. 自分より”下”の者に対して… 自分は”融合役 = おこぼれ”か”主役 = 貴族”
となって、主役と補佐役の位置が逆になっとるやろ。
 『身内で売上』ってのはお客さんを奴隷化することと同義なんや。そんな会社が繁栄すると思うか? 猿でも判ることやろ。だから身内を使うなって言ってるわけよ。データは取れんなるし、動機はどうあれ奴隷化することになるからな。

 身内を使うにしても、最低でも社長には知らせておかんとあかんのや。組織の長が知らんことがあったら組織が成り立つわけないやん、当たり前やけど。基礎中の基礎や。

 ”融合役 = おこぼれ”ってのも、その役目がいかに難しいかってのと、漁夫の利の立場なのかってのが解るやろ。んで、難しいのを簡単にする方法が”分断”なんや。
「困難は分割せよ」- デカルト
 本来この言葉は分断するための言葉やなくて、別々にして問題をはっきり見えるようにすることで、問題を解決するためのものや。でもここでは分断されとるからお互いに相手の問題が見えなくなって、問題を大きくする = 解決できないように
なってしまうんや。
 分割… 問題を解決するため
 分断… 問題を解決させないため
になっとるやんか。分割と分断は全然違う。
 分割 ≠ 分断
やで。お題を3つのステージに分けて、それぞれに違う問いが立ったとしても、同じお題であることに変わりはない。そんな基本すら判らなくなったのか? まったく、落ちぶれたもんや… 。

(2000年以上の歴史を経て”この程度”かよ)

 これを【滅亡の回転】と呼ぶことにする。

 こっちやとお客さんは”超奴隷”なんやからどうでもいいって考えになってしまって、貴族である上役のことしか見んようになるんや。
「上に気に入られることが最優先だ客なんてどうでもいい奴隷なんてどうでもいいとにかく上に気に入られることが最重要事項だ!!!」
と、なっとる。
 んで、結果を出すために奴隷に無理やり買わせようとしてお客さんが超奴隷として買うことになる。でもそんなものを普通のお客さんが買うわけないき、どんどん行き詰まっていくんや。共産主義が破綻する流れもこれやろな。

 供給側が売りたいものを押し付けていくんや。誰も興味が無いのに、興味が有る前提でやっとるんや。頭おかしいやろ。先ずは興味を持たれるものを作る努力をせーよって話よね。興味が無いうちから有る前提のことすんな、始皇帝かお前わ。

 今の日本、自分の会社、世界…. は、どっちの回転をしとるんやろね。




Ending.

The Bob James Trio - Rocket Man


〜おわりに〜


今回はいろいろ混ざっちゃいましたね〜。

(これぞ、笑王志村拳 最大最強奥義 ”汰成仏陀空”である)

 笑王志村拳 → 邪王炎殺拳
 志村拳 → 志村けん
 汰成仏陀空 → だいじょうぶだぁ
ですね。効果はなんですか?

(そりゃもちろん、魔界の炎でこの世の”悪しきもの”を燃やし尽くすんや
そのためにいろんな”方向”を見るんや)

いろんな方向を見ることが破魔につながると。

(そういう設定や! 👁クワッ!)

じゃあそういうことにしておきましょう。

(マジレスするとバカ殿様のコントで
いろんな方向にいく”ボケ”があったんや
今思うとあれはADHDやな)

ADHDは頭の中があっちこっち行きますからね〜。

(最後の「… とまぁ、歯応えと。ハングリー?」
ってセリフくらいしか覚えてないけどね
そのセリフのあと、シャカシャカシャカって前に擦り出てくるコントや)

ADHDがいろんな方向にいくとただの”支離滅裂”にしかなりませんが、
上手いこと”つないで”いくと良いコントができるのです。

(ADHDが元ネタとしても”悪い気”はせんよな)

そこが志村さんの”天才”なところじゃないですかね。
ダウンタウンとかがやると悲惨に感じることがありますから。

(ホンマにかわいそうになるのよな
志村さんは”笑いが起こる組合せ”を探しとったのかもね)

計算して笑いを起こすタイプだったみたいですから、
笑いの”理論”を作ろうとしてたんでしょうね〜。

(ここからここにいくと必ず笑いが起こる… みたいなね
でも理論ができてもそれを扱えるのはやっぱり志村さんだけやろな)

でしょうね〜。
唯一無二、天下無双です。

(具体と抽象を交ぜるのはコントではええけど
現実でやったらあかんで)

交ぜてはいけない組合せがあるってことです。
これは頭の良い人でも結構やってますよ。
「いやいや、交ぜちゃってるし」みたいな。

(やっぱり「バカって言う方がバカ」なんや
ざまーみーボケー、言うこと聞かんからやー
左利きやからっていっつも仲間外れにしよってからにー)

左利きはあらゆることを”逆”に見る癖がついてますからね〜。
逆になっていることに気づきやすいのです。
まぁ”左利きは天才”ってのは違うと思いますが。

(右利きには『A』に見えることが
左利きには『∀』に見えるからな
”1つに揃える”ってことがいかに危険かよね)

飲食業界が壊滅してるのも右利きばかりに揃えて
”思考回路”まで一方通行になってしまったからですよ。

(一方通行の道路は”狭い”んや
独裁国家を見たら猿でも判ることや)

”視野の狭さ”につながりますね〜。
点ばかり見て全体を見てないのです。

(うんこを黄金やと見間違えとるからな、あいつら
自業自得やな フフン♪)

うんこだけに。
まぁとにかく、”それしか”見ないとか”それしか”やらないってのは
本当にやめてほしいですね。

(それはむしろ”サボり”やろ)

サボりといえば、ダウンタウンはもう勉強しないまま終わるつもりなんでしょうかね〜。浜ちゃんが俳句だかの番組をやってるので、松ちゃんは科学番組でもやればいいのにと思います。

(浜ちゃん… 文学
松ちゃん… 科学
ってことか
芸人も勉強せないかん時代やな
それによって勉強する人が増えるかもしらんし)

知行合一ならぬ”文理合一”です。
お笑い科学ができると良いですね〜。

(ホンマに解らんときのために
カズレーザーあたりを入れとけばええんや
そこそこ頭ええみたいやしな
『科学入門💊松本レーザー❗️』みたいなね)

”そこそこ”は余計ですがカズレーザーさんはもう
科学系の番組をやってますよ〜。

(そうなん?
ん〜じゃあ、塾とかやっとる芸人を呼べばええか)

いますね〜。あれはどういう経緯でそうなるんでしょうね。
でも松ちゃんがやれば一緒にやる芸人はいますよ、きっと。
芸人の発達障害気味の人の治療にもなるかもですしね。

(芸人にはADHDとかの発達障害も多いみたいやね
”爆弾ゴリラ”みたいな名前の人とかそうやろ)

名前は違いますけど、そうでしょうね〜。
ちょっと前に見たときにはかなり改善されてたようですが。

(子どもでも見やすいのがええな
そういや松ちゃんは左利きやから俺も天才かもな)

そういうのを『SY論法』って言うんですよ〜。
自分で言ってたじゃないですか。

(ぬぅ… 俺としたことが…
番組の内容はどうしようかね)

東京大学教授の戸谷友則さん(物理学者)が著書の中で『理科基礎』の位置付けで、物理・化学・生物・地学の4つの教科を網羅した科目を推奨していましたが、それに数学を合わせたようなものがいいでしょう。

(やっぱ”基礎”は共通しとる方がええからな
性教育の番組に出とったし、科学くらいやるやろ)

自分の専門ではないにしても基礎はやっておいた方が、
全体をつなげるときに役立ちますよ。

(お笑いの基礎やって「みんなを楽しませるため」ってのがあるしな
もうほとんど絶滅しかけとるけど)

志村さんとダウンタウンの違いって
 志村さん… 小学生向け
 ダウンタウン… 中高生向け
なのかもしれませんね。
小学生に”悪意”は見せたくないですからね〜。

(たしかに志村さんはドリフターズの時代から
想定視聴者を小学生にしとったような気がするね
んで、子どもは中高生あたりから悪意に目覚めるからな
だからダウンタウンのお笑いには悪意が入っとるんや)

「君らのお笑いはチンピラの”戯言”やないかー!!」
って、やすし師匠にブチ切れられてましたね。

(ダウンタウン… チンピラ
やすし師匠… ヤクザ
みたいなね
それはともかく、お笑いが中高生向けなら
勉強も中高生レベルのことをやらんとな)

講師には村山斉さん(物理学者)とか津田一郎さん(数学者)が良いですね〜。
両者の著書を読むと”楽しい”ですから。

(読者のことを考える
視聴者のことを考える
相手のことを考える
すべて”同じこと”をしとる
今の社会全体に必要なことやな)

木を見て森を見ずをしてるから
逆回転になってしまっていることに気づかないのです。

(全体を見る練習として三原色の連想ゲームをやるべきやな)

それでは最後に”四字熟語”でやってみましょう🎶

(ほなまたな〜🕊)





*参考書籍*
 ・科学哲学への招待 野家啓一 ちくま学芸文庫
 ・J•S•ミル 自由を探求した思想家 関口正司 中公新書
 ・宇宙になぜ、生命があるのか 戸谷友則 講談社ブルーバックス

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