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「異質な他者を認める」なんて可能なの?
※記事中の写真は、公文国際学園SNSより許可を得て引用しています。
みなさん、公文国際学園ってご存知ですか。そう、あの「公文式」で有名なKUMONが運営している中高一貫校なんです。先日、とても素敵なご縁をいただいて、その公文国際学園で講演をさせていただきました。いや、講演会というよりも「授業」でした。
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テーマは、「異質の他者を認める」。いやあ、難しいですよね。中高生だけでなく、大人だってどれだけできているかわからない。いや、もっと言えば、大人になってからのほうが難しいのかもしれません。もちろん、綺麗事としてはそれができたほうがいいし、そのほうが分断のない社会になるのは頭ではわかっているもののも、日常生活を送るなかでは、ついつい「異質を排除」してしまうことも。
では、「異質な他者」とは、どんな存在なのか。たとえば、共通点が10個あり、異質な点が10個ある相手は、「異質な他者」と言えるのか。そもそも、“いちばんの親友”は同質と言えるのか。「異質な他者」ではないのか。決して綺麗事にならず、それでいて自分事になるよう、生徒同士のディスカッションなどを交えながら「みずから考える」ことを大事にする授業をさせていただきました。
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公文国際学園では、日頃からディスカッションを大事にしているらしく、かなり異質なテーマ、異質な授業だったにも関わらず、生徒のみなさんとても積極的に、しかも楽しそうに取り組んでくれました。そして、授業終盤の質疑応答では、思わず唸らされる本質的な問いも飛び出しした。
「異質な他者を認めようとすることが大事なことはわかりました。その努力もしてみます。でも、それでも理解し合えなかった場合、異質な他者と距離を置くことはダメなんですかね」
さあ、みなさんはどう思いますか。生徒たちにも「綺麗事はやめよう」と言っていた以上、私も綺麗事を拝して、本音で答えました。
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「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.com/h_ototake/m/m9d2115c70116
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