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安い早い美味い…という幻想。ワクチン接種予約システムの報道に思うこと

防疫と権力監視せめぎ合い

2021年5月。新型コロナウイルスワクチンの予約システムをめぐり、架空の市区町村コードなどでも予約受付が完了してしまうという点が報道され、大きな議論を呼んでいる。接種体制に悪影響を及ぼすことを防ぐため、当該記事の引用はあえて行わないが、その記事では虚偽予約を行うための手法と手口が非常に丁寧かつ事細かにまとめられていた。

防衛相は朝日新聞社・毎日新聞社に対し「虚偽予約を喚起する悪質行為」と厳重注意。朝日新聞社・毎日新聞社は「虚偽予約はすでにキャンセルしている」「公益性のある報道」と真っ向から対立している。

市井でも賛否両論に分かれており、「杜撰なシステムである事実を報道して何が悪い」「有事に虚偽予約を行う手口を事細かに報道するのは悪質」など、各所で議論が紛糾している。

筆者はこの7年、IT業界に身を置きプログラマーとしてWebシステム開発に従事しているが、確かにシステム単体としてみると杜撰で穴の多いものという認識がある。

ただ、システム開発とは出来上がったシステム単体の品質だけで良し悪しが判断できるものではなく、どういった要件でつくられたのか、要件に則って仕様が定まっているか、どういう運用をしているのか、どれだけの開発期間があったのか…といった非システム的な部分も大きく絡んでくる。

今回の件は、「杜撰なシステム」という評価もそう間違ってはいないものの、その背景には白黒つけられない多くの背景があることも留意する必要がある…と強く感じている。

デリバリー重視か品質重視か

システム開発というのは、単にプログラムを組み上げるだけにとどまらず、そのシステムがどういった目的で作られ、誰に恩恵を与えるのか、何を重視しないといけないのか…といった複雑な評価と判断が数多く要求される。こういったシステム開発の上流に位置する部分は極めて重要な工程であり、認識合わせや判断は腕の見せどころだ。

例えば、とあるシステム開発でバグが発見されたとする。そのバグ自体はシステム利用者に不自由を伴うものではあるものの、システムの要件としては満たしており、また後続の業務で巻き取ることができるものであったとする。このバグが見つかった時点ではすでにリリースが迫っており、対応するならばリリースが遅れる、そのままリリースするならばユーザーに不自由が伴う…といった判断が迫られた場合、どういった判断が正しいかは一概には言えないのである。

勿論ユーザーとしては「バグなんだから修正して当然」「バグがない状態で私たちに使わせるのが当たり前」と、リリースを先延ばしにしてもバグ修正を迫る人が多いだろう。しかし開発側からすると、リリースを伸ばせば伸ばすほど開発費用が膨らむに加え、システムの需要が過ぎ去ってしまう危険性も伴う。それらを踏まえると、まずは粗削りでもユーザーにシステムを提供し、その後順次改修を行うという判断も、そう間違っていないのである。

勿論、結果論で語ると「そもそもリリース直前にバグが見つかること自体おかしい」「もっと早く開発を始めて、潤沢なリソースを使えばどうにかなったはずだ」といった声も出てくるだろう。しかしこれにはシステム開発の見積もりの難しさ、という問題も出てくる。

これは作ったことのないプラモデルを渡されて「お金出すから作って。何日で作れる?」を精査するようなもので、これを分単位で正確な工数を見積もることができる人は皆無だろう。作成中に不意のトラブルが発生するかもしれないし、組み立てがある程度終わってから間違いに気づくことも往々にしてある。組み立て説明書の読了や検品に時間をかければ、それらリスクを軽減することもできるが、長い工数を提示すれば依頼者は納得しないケースもある。そしてシステム開発には、プラモデルのような組立説明書は存在しない。プラモデルの箱にある完成図のみを見て作ることを考えると、その見積もりの難しさは理解できるだろう。


ワクチン予約システムの背景

今回のワクチン予約システムについては、その背景や開発経緯などを鑑みても、非常に複雑である。「もっと早くから開発しておけばよかったのに」という声もあり、それも結果論としては正しいかもしれない。しかしワクチン自体この1年足らずに出てきたものであり、2020年の時点ではまだ明確なものではなかった。

本当にワクチン開発が成功するのか、そのワクチンは使えるのか、どれぐらいの量を調達できて。どれぐらいの接種コストがあるのか…といったことも不明な状態で、投機的なシステム開発を行う…というのは非常に大きなリスクである。民間ならばまだしも、国民の血税を取り扱う国家がそのような投機的システムの開発を独断で行うのは、たとえそのシステムの重要性が明らかでも慎重にならざるを得ないだろう。仮に開発を断行したとしても、おそらく「無駄だ」「公平な発注とは思えない」とマスコミが嬉々として叩くのは明らかだろう。

またシステム開発は「スーパープログラマーが1日で完璧に作った」といった、なろう系小説のようなヒロイックなケースは非常に稀で、実際は数か月単位での泥臭く地道な作業の積み重ねで行われることが大半である。ワクチンの一般流通が現実的な話になり、そして調達の目途が経ったとしても、そこからどういった形でワクチン接種を行うかといった運用フローを組み立て、要件を整理しない限りはシステムの開発は行えない。

各種現場や自治体との調整も並行して行われることになることも考えると、堅牢で完璧なシステムをつくるにしても、時間が明らかに足りないのは容易に想像できる。

また、そもそもシステムの要件を考えると、最低限は満たしているともいえる。今回の集団接種は、市井におけるワクチン接種の浸透を優先させるものと考えると、その運用フローも確実性よりスピード感が重視されるべきものとなる。システムはまず虚実関係なく申請を承り登録、現場は登録された情報をもとに窓口で確認。不正なものはその場で弾き、誤入力は再申請で再度接種を試みるものとする…と考えると、性善説に基づいた穴の多いシステムであっても、とりあえずの要件としては事が足りるようにも思える。

勿論、プログラマーとしては「せめてSQLインジェクション程度はつぶしておくべきでは…」と苦言も呈したくなるが、それが対応されていないからワクチン接種を遅らせるというのも本末転倒に感じる。ワクチン接種は病災収束には欠かせない手段であり、経済や社会の立て直しのためには何よりも優先されるものである。確実で完璧な予約システムができるまで待つのは、あまりに非現実的かつ呑気すぎるのではないかと思う。

公益性から生まれる悪意の波

今回、朝日新聞社・毎日新聞社は「公益性が極めて高いと判断した」と述べている。無論システムの穴や仕様不備を指摘することは公益であるし、ましてやそのシステムを運用しているのが国であるならば、そういった問題はより積極的に報道されるべきというのは賛同できる。

ただし、今回の問題は、朝日新聞社・毎日新聞社が報道に、虚偽予約の手順を非常に事細かに丁寧に載せていたことが問題のようにも感じる。意味合いとしては、麻薬の購入方法を事細かに説明するようなもので、それを世間に知らしめることは悪意のある操作を喚起することにもつながる。仮に運用として虚偽予約は現場窓口で弾くことができるとしても、現場の負担が増すことには想像に容易い。

また先述の通り、今回の接種体制は浸透速度を重視したものであり、その内容も完璧なものではない。改善点を報道することは、マスコミとしての重要な役割ではあるが、それがワクチン接種を阻害するものであってはならない。虚偽予約を喚起する報道で疲弊するのは、日夜命を削りつつもワクチン接種のために尽力して頂いている医療従事者たちと、接種現場の人たちである。報道するにしても欠陥があるという点のみにとどめ、ワクチン接種を阻害せず、接種現場に負担をもたらすことないよう配慮するのが、公益性のように思う。

いたずらに疲弊をもたらす報道を公益性と言ってしまうのは、それはあまりにも倫理観が欠如しているのではないだろうか。それは「虚偽予約はしっかりキャンセルした」から良いという問題ではない。

マスコミは今一度、市井との倫理観のずれと真摯に向き合う必要があるのではないかと感じる。事後諸葛亮たちによる、下種の後知恵の披露会に徹するのであれば、いよいよ信頼できない。

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