古代日本史 ~飛鳥時代のおはなし~
仏教伝来
6世紀の半ばころ、朝鮮半島を経由して伝わってきた仏教。
仏教は当時の日本人にすんなり受け入れられたと思われがちですが…
日本神道との対立
仏教とともに、寺造りや彫刻など優れた海外の技術も受け入れ、日本の発展を築こうとした蘇我稲目(そがのいなめ)。
一方、日本古来の神々を奉じる日本神道の代弁者である物部尾輿(もののべのおこし)。
「仏教など外国の神を信仰すれば、日本の神々がお怒りになるでしょう」と猛反対します。
蘇我稲目は天皇の命を受け仏教寺院を建立しますが、その直後に疫病が流行し多くの人々が亡くなりました。
物部氏はこれを日本の神々をないがしろにした「たたり」だと言い、兵を送って寺を焼き払い、仏像は川に投げ捨ててしまいました。
二代豪族の対立へ
大連という役職に物部尾輿の子の守屋が就任し、大臣の役職に蘇我稲目の子の馬子が就任しました。
仏教と日本神道の対立は、そのまま天皇家を支える二大豪族・蘇我氏と物部氏の対立となります。
物部氏をリーダーとする日本古来の神道を守ろうという立場の人々と、蘇我氏をリーダーとする仏教を積極的に受け入れようという立場の人々が以後、幾度となく対立・抗争を繰り広げていきます。
では、続きはまた今度!