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手前味噌の話ですが

去年の冬から我が家は
自家製味噌を作り始めた。

そのあと、約1年寝かした味噌を
今年の2月ごろから食べているが、

今現在、我が家の食卓で
味噌は一番活躍してる食材
と言ってもいいすぎない。
 
切っただけのトマトやキュウリの
ディップのソースにしても
食べ飽きた鍋に足し
味を変えるにしても

手作りの味噌を
ただ入れただけ
だというのに

ガラッと素材をご馳走に変えてしまう

それくらい我が家にとっての
味噌は現在魔法のような、
なくてはならない
秘密兵器の立ち位置にある。

しかしそもそも、ほんの少し前まで
私にとって味噌は
特段無くても困らない食材だった。

スーパーに並ぶ
お財布に優しい価格かつ
ダシまで入ってる良心的な味噌でも

ラベルがゴージャスで
お高めの(頂きものの)味噌でも

あっても、なくても変わらない。」
ずうっと、そう過ごしてきた。

そんな影の薄い存在だった。

だから子供の頃に読んだ
宮沢賢治の風の又三郎で、主人公が
「ごはんと味噌を夢中で食べました」
という情景が出てきた時

あぁ、なんて
貧しい農村の描写風景なんだ、と
これまでずっと思い込んでいた。

おかずがなくて仕方なしに
味噌を食べ合わせにしているんだ、
そう勝手に受け取っていた。

ところがどっこい。

我が家でできた
味噌を初めて食べた時

これまでの私の無知を
宮沢賢治様と彼のファンに
心の底から謝りたい想いでいっぱいになった。

だってほんっとうに
美味しかったんですもの。
 

100年前とほぼ同じ素材でできた
味噌が乗っただけの白ごはんは

お代わりを止めることができないほど
贅沢な一品となってそこにあった。

あったかな白いご飯の温度によって
ゆっくり溶けるように
崩れていく味噌を
箸の先で広げて伸ばし口に運ぶと

香ばしい甘みが広がり
まさに味噌の
価値観が変わるほどの衝撃だった。

確か、みじん切りにしたネギも
パラパラかけていた気がする。

うん、あの味
今思い出しても最高だ。

・・・・・・・

食卓がこうもガラッと
幅が広がったのには
きっかけがある。

料理好きで何かと徹底してる知人から
素材にこだわった
「日本一受講料が高い味噌教室」
を開きたい。

そう言われた一言が始まりだった。

妥協を許さない知人が
選りすぐった味噌の原料となる
塩、水、大豆、麹は

どれも「自然栽培」「有機」の
文字表記が並んでいた。

さらに味噌を入れる樽は
プラスチックケースでもできるそうだが
我が家にお迎えしたのは
100年使える味噌専用の木桶の樽。

実は木樽お値段を聞いた時、
吝嗇な人間の私は
一瞬、腰が引けるくらい驚いた。

しかしあの時、その価格を受け入れた
自分の勇気と判断力を褒めてあげたい。

味噌の美味しさを噛みしめるたびに
友人に、職人さん達に
農業を営む皆さまに
感謝の思いが浮かんでくる。
 

3年前の私が聞いたら
大げさに聞こえるかもしれないが

先日の台風や大雨注意報の時にも
かなり早い段階から
高い場所へ避難させた。

それくらい現在の私にとって
味噌は大切な存在の一つなのだ。

・・・・・・・

さきほど前日の残り物の
豆乳鍋に味噌を足し雑炊にしたのが
あまりに美味しく嬉しくて
手前味噌の自慢話を
書き出してしまったわけだが・・・

「味噌自慢」が今回
最も伝えたかったわけ
だけでは無い。

私もオトナと呼ばれる年齢になって
それなりに経ったと思う。

そんなこれまでにできあがった
世界観や価値観で生きていくのは
安心で安全、安定感。

だけど、
そこから一歩踏み出して

得られた世界や
広がる喜びは
幾つになってもいいもの
と気づかせてくれたのが
この話のミソなのだ。

味噌だけに。

食卓を豊かにしてくれたきっかけと同じように


そしてここまでお付き合いくださる
あなたにお伝えしたいのは

今回私に味噌の世界を広げ
食卓を豊かにしてくれたのは
知人のお誘いがきっかけだったが

きっともしかすると
あなたの「●●したい!」という
希望の発信が


あなたを待つ誰かの
新たな豊かで広い世界の扉を
開けるパワーを
宿しているのかもしれない。



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