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【読書メモ】ショック・ドクトリンーー惨事便乗型資本主義の正体を暴く

カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインが、世界を席巻している新自由主義、市場原理主義を鋭く批判した名著。

新自由主義の教祖ミルトン・フリードマン。彼は、「真の変革は、危機状況によってのみ可能になる」と提唱し、過激なまでの自由市場経済は市場原理主義、新自由主義などとも呼ばれ、急進的な民営化や規制撤廃、自由貿易、福祉や医療などの社会支出の削減を推進し、世を席巻した。
しかしこうした経済政策は、大企業や多国籍企業、投資家の利害と密接に結びつくものであり、貧富の格差拡大や、テロ攻撃を含む社会的緊張の増大につながる悪しきイデオロギーだ、というのがクラインの立場である。自由市場改革を目論む側にとってはまたとない好機となるのが、社会を危機に陥れる壊滅的な出来事であることから、クラインは危機を利用して急進的な自由市場改革を推進する行為をShock Doctrine(ショック・ドクトリン)と呼び、現代の最も危険な思想とみなしている。

ショック・ドクトリンの例として、過去数十年の現代史を総なめにするごとく、政変、戦争、災害などの危機的状態を挙げ、広範囲にわたるケースを本書では検証している。綿密な事件の裏にショック・ドクトリンと惨事便乗型資本主義という明確な一本の糸が通っていることを暴いていく。

・ピノチェト将軍によるチリのクーデターをはじめとする70年代のラテンアメリカ諸国
・イギリスのサッチャー政権
・ポーランドの「連帯」
・中国の天安門事件
・アパルトヘイト後の南アフリカ
・ソ連崩壊
・アジア経済危機
・9・11後のアメリカとイラク戦争
・スマトラ沖津波
・ハリケーン・カトリーナ
・セキュリティー国家としてのイスラエル

自由と民主主義という美名のもとに語られてきた「復興」や「改革」や「グローバリゼーション」の裏に、人々を拷問にかけるに等しい暴力的なショック療法が存在していたのだ。

本書が出版された後にも、未曾有の大災害に見舞われた国や地域がある。2011年3月11日の東日本大震災とそれに伴う津波及び福島第一原発事故が起こった日本や、コロナに喘ぐ世界、ロシアに侵攻されているウクライナなど、壊滅的な被害を被り危機的状況に陥った地域に対して、復興や再建は一体どのような道筋を辿ってなされるべきなのか。復興の名を借りて住民無視・財界優先の政策を打ち出す自治体も出てきており、予断を許さない状況である。ショック・ドクトリンの導入が行われないよう、私たち市民は心して目を光らせていく必要があろう。

以下、印象に残った箇所をメモがてら引用;

フリードマンによって始められた改革運動は、その提唱者たちが有権者に、自分たちの世界観がいかに優れているかを説得したわけではない。彼らは危機から危機へと巧妙に渡り歩き、経済的緊急事態における人々の絶望感を利用して、誕生してまもない脆弱な民主主義政権の自由を奪うような生産を強引に推し進めてきた。一旦この手法が出来上がると、チャンスは次々にやってくるように見えた。ヴォルカー・ショックの後、1994年にメキシコでテキーラ危機が起き、1997年にはアジアで連鎖的な通貨危機が発生、1998年にはロシアの経済が破綻し、その直後にブラジルが続いた。やがてこれらのショックや危機の力が弱まると、さらにインパクトの大きい変動が襲うことになるーーー津波、ハリケーン、戦争、そしてテロ攻撃。こうして惨事便乗型資本主義が次第に形をなしてくるのである。
過去、サンティアゴからモスクワ、北京、そしてブッシュ政権のワシントンまで、世界各地で見られた企業上層部と右派政権の結託は、一種の逸脱行為ーーーマフィア資本主義、大富豪(オルガルヒ)資本主義、そしてブッシュ政権下では「縁故資本主義(クローニー・キャピタリズム)」ーーーとして片付けられてきた。だが、これらは例外的な逸脱行為などではなく、シカゴ学派による改革運動が、民営化、規制撤廃、組合潰しの三位一体政策によって導いてきた結果に他ならない。
ラムズフェルドが徹底して無駄を省く「ジャストインタイム方式」の戦争を構想し、戦闘の中核を担う少数の兵力しか送り込まなかったこと、そしてイラク戦争初年度に国防総省と退役軍人省合わせて55,000人の人員削減を断行したことにより、あらゆるレベルの業務を民間が肩代わりするようになった。イラクが混乱のスパイラルに陥れば陥るほど、最小限に抑えられた軍隊をバックアップするために、いっそう緻密に整備された戦争民営化産業が形成されたのだ。イラク現地でも、本国アメリカで傷病兵の治療にあたるウォルター・リード陸軍病院でも事情は同じだった。
バグダッドやニューオーリンズ、そしてサンディ・スプリングスといった都市は、惨事便乗型資本主義複合体によって築かれる未来の要塞社会を垣間見せてくれる。だが要塞化がもっとも進んでいるのはイスラエルだ。なにしろ国全体が要塞化されたゲーテッド・コミュニティーと化し、壁の外には永久に見捨てられた人々が暮らすレッドゾーンが広がっているのである。分断された社会である。
国民の25%~60%にも上る人々を切り捨てるという考えは、まさにシカゴ学派の改革運動の特徴だ。その結果、70年代以降、「打ち捨てられた村」が続々と出現した。南アフリカでも、ロシアでも、ニューオーリンズでも、富裕層は自らの周りに防御壁を築いてきた。だがイスラエルの切り捨て策はその一歩先に踏み出した。自分の周りではなく、危険な貧者の周囲に壁を築いたのである。
イスラエルの例は極端かもしれないが、そこに作られつつある社会のあり方は決して特異なものではない。惨事便乗型資本主義複合体はいわゆる低強度紛争と言われる状況を好むが、ニューオーリンズからイラクまで、災害や惨事に見舞われたあらゆる地域が行き着く先もそこにあるようだ。2007年4月、米軍はバグダッドのいくつかの危険区域のゲーテッド・コミュニティー化に着手した。その地域の周辺をコンクリートの塀で囲い、検問所を設け、生体認証技術を使って住民の出入りを管理しようという計画である。バグダッドを第二のドバイに変えたり、ニューオーリンズをディズニーランド化したりできないことが明らかになれば、次なる計画はコロンビアやナイジェリアのようにすること、つまり「終わりなき戦い」を継続させることだ。戦闘は概ね民兵か傭兵に任せ、紛争をあるレベル以下に抑えつつ、傭兵たちにパイプラインや発射基地や水資源を守らせて天然資源を首尾よく手に入れようという寸法である。
ショック・ドクトリンが最初に導入される20年ほど前、悍ましい人体実験が米ソ冷戦下の1950年代にカナダのマギル大学で密かに行われていた。洗脳や拷問のノウハウを得るためにCIAの資金援助を得て行われたこの一連の実験は、被験者に電気ショックや感覚遮断、薬物投与などの「身体的ショック」を過剰なまでに与えることによって、その人の脳を「白紙状態」に戻すことを目的としていた。実験は無惨な失敗に終わるが、「ショック」を与えて全てを消去し、白紙に戻したところに新しいシステムを植え付けようという試みは、個人と社会全体という違いはあるものの、70年代のラテンアメリカから9・11後のアメリカやイラク戦争に至るまで、ショック・ドクトリンが発動したところ全てに見られる共通の図式である。


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