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おじいちゃんの誕生日

今日は父方の祖父の誕生日。

生きていたら今年で100歳。でも生きていない。

24歳で戦死した。

24歳で死んだのに、会ったこともない、しかも30歳を優に超えた私におじいちゃんと呼ばれている。不思議だ。

しかし、私から見た彼を形容する言葉はおじいちゃんしかない。

昨年の春先、二人の祖父の軍歴証明書を取得した。

戦死したことしか知らなかった祖父にも誕生日があった。当たり前のことなのに、妙に、感心した。ああ、実在したんだな、と訳の分からない感想を持った。

今年初めて、祖父の誕生日を祝う。もちろん何かするわけではなく、今ここに書き、思いを巡らせているだけだが。

どんな人だったか、聞いたこともない。父も会ったことがないのだ。



祖父の墓は、祖母の墓と同じ場所にない。と気付いたのもここ数年のことだった。いつもお参りしていたお墓に祖父の名前がないと気付いた時驚いた。

父の家はやや複雑で、祖父のお墓は別の場所にあり、長年祖母と同じ墓所へ移したいと思いながら実現していないと聞いた。

それを知りいつかお参りしたいと思ってはいたが場所が分からない。調べれば分かっただろうが、そこが複雑な部分で積極的に調べるのは難しく、結局有耶無耶になっていた。


そんな状態だったのに、私が軍歴証明書を取得して少しも経たない頃、お墓を移したと連絡がきた。

単なる偶然だが、私にはそう思えなかった。

結果的には何十年とそのままだったお墓を、孫の私が気まぐれに軍歴証明書を取得した途端移すに至ったことに、不思議な巡り合わせを感じた。

もちろん、お墓を移すなんて生きている人間でなければできない。父方の叔母がやってくれた。叔母は私が証明書を取得したことは知らない。本当に偶然、たまたまの出来事だった。


戦死日は1945年8月8日だった。
あと1週間、たった7日間を無事に過ごせたら終戦を迎えたのに。

タラレバを言い出すときりがないが、そう思わずにはいられなかった。

でも、仮に生き延びていたとしても私が会えていたかどうかは分からない。でも、もしかすると、今日100歳を迎えていたかもしれない。

人の世はままならない。明日、いや、今この瞬間何が起きるか分からない。心からそう思う。


会ったこともない、おじいちゃん。孫は何とか毎日を過ごしております。

コロナで1年以上も帰省できていない。次、帰れた時にはおじいちゃん、必ず会いに行きます!


おわり

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