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帰る場所があるということ

母は婿を取り実家を継いだので、60有余年同じ町、同じ家に住んでいる。

昔、小さな商店を営んでいた我が家は、その当時はお店の入口が玄関代わりだったので、お客さんはもちろん誰もがガンガン入ってきていた。だってお店だもんね。

隣のおばさんは、こんにちはの代わりに「みっちゃ~~~ん!」と母の名前を叫びながら入ってきていた。

子供心に、いい年していつまでみっちゃんなんて呼ばれるんだろうかこの人は、と思っていた。

母は末っ子なので、結婚しても、子どもを持っても、両親や兄姉からみっちゃんと呼ばれ、親せきやご近所さんからも、とにかくどこでもみっちゃんみっちゃんと呼ばれ、本人も何の疑問もなさそうに、はーい、と応えてきた。

ただ、そんな風に見ていた私も既に子の1人や2人いてもおかしくない年になったが、帰省して近所の人に会えば、ああ餃子ちゃん帰ってたの~!と声を掛けられるのでそんなもんなんだなと分かった。

母はいくつになってもみっちゃんで、私はいつまでも餃子ちゃん。

帰る場所があるというのはそういうことなんだな、と思う。


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