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無職になってからの日々、意外と焦っている。

無職の嘆き、ぼやきです。
まとまりがない文章になっています。

アラサー、無職、恋人なし、スキルなし、貯金なし。
この先の人生があまりにも不安すぎる。
どうにかなるとは思えない。
焦ることはきっと「マトモ」なのだろう。
しかし、ここまで来てしまった人間が「マトモ」なのかはかなり怪しく感じる。

「将来」について考えながら生きていくことが「マトモ」で「普通」で「賢い」ことなのだと思う。
それは特に揶揄する訳でもなく、本当にそうなのだと思う。
しかし、私はいつも少し先の未来が不安で、自分自身を信じられず、物心ついた時から大きな目標などは立てずに日々を騙し騙し生きてきた。
後悔することも多いが(むしろ後悔の方が多いくらいである)、なんとかここまで健康に生きてこられただけでも御の字である。

私の人生がハードモードなのかイージーモードなのかはわからない。
自分の人生について他人に事細かに語って相談してみたことがないからだ。
親がいないとか荒れてるとか極端に家庭が貧しいとかそういう分かりやすいハードさはないのだが、
ボディーブローのように効いてくるダメージ要素が日常のそこかしこに散りばめられている中で生きてきた感じである。
こんな曖昧な言い方をしても全く伝わらないと思うのだが、どの要素によって大きなダメージを受けてきたのか実のところは自分でもよく分かっていない。

ただ、明らかに手放しで「超イージーモード」と言われる人生では無かったっぽいことにアラサーになってからやっと気付き始めているので、今、分析しているところではある。

まあ、そんなことはどうでもいい。

私は今、焦っている。

学生時代からの友人は留学して、就職して、結婚して、子どもが生まれて、家を買って、充実して幸せそうだ。
独身の友達も、海外赴任したり、海外の大学に社会人留学したり、転職したり、昇進したり、やはり順風満帆そうなのだ。

そんな中での私、何もなし。
何もなし女である。
次の仕事の当てもない。
仕事に誘ってくれる人もいない。
人望がないからこうなる。

前職の上司や社長はそれなりの肩書きがあり社会で活躍している。
先輩もなんだかんだ言って少しずつ活躍の場を広げているし、同僚も世間で少しずつ名を知られて有名になっていっている。
彼らは私から見ると仕事が出来る印象もなく、強い個性や魅力がある訳でもなく、どこをとっても全くピンとこない人たちであった。
しかし、現状では、私なんかよりも彼らの方が世間に認められ、求められている。
私が「しょうもない」と思った人たちがバリバリ活躍しまくっている。

それが苦しい。

私には何もない。わかっている。

口では虚勢を張って、「前職の人たちが全員、あまりにもしょうもなかったので耐えきれなくてこちらが辞めてやった」なんて言っているが、
内心では「本当にしょうもないのは自分なのかもしれない、いや、そうに決まっている」とどこかで強く思っている。
だから、反動でわざわざ攻撃的なことを言うのだ。
それは自分が一番よくわかっている。

だが反対に「どう考えてもあの職場はおかしかった」と揺らぐことなく強く思っている自分がいるのも事実だ。
その思いが消えないから辞めたのだし、判断が正しかったと思っているからこそ、将来が不安でも自分を責めず、日々正気を保って生きていられるのだ。
むしろ、信念を貫いて傷付けられながらも、間違った人たちに迎合せずに過ごした自分を褒めてやりたいくらいである。

しかし、現状、世間的に立場が弱いというか価値が低いとされているのは私なのだ。
無職でスキルなし、人望のない私がどう足掻いても、今は前職の「しょうもない人たち」未満なのだ。
現状がそうなだけで、将来的にはあの組織が崩壊することは確実なので、今の状況が長く続かないということも頭の隅ではわかっている。

でも、焦る。とてつもなく焦る。
どうしても、自分を責める。
自分が間違っていると感じてしまう。

わかっている、今はよく休むときなのだ。
頭の整理をして自分を取り戻す期間。
落ち着いたら、活躍できる日がやってくる。

仕事を辞めてから、私が「おかしいな」と思っていたことがやはりおかしかったのだとわかる出来事が立て続けに起こった。
それは世間の大きなニュースを通して感じたこともあれば、身近な出来事で実感したこともあった。

逆に「これはこういうことだろうな」とか「これは正しいだろうな」と感覚的に受け取っていたことが、本当に正しいということがわかる機会も少しずつ増えてきた。

自分と同じ境遇や価値観の人が身近にいないため、誰にも相談できないことが私の苦しさの原因でもあるのだろう。
まあ、こればっかりは耐えるしかないのでぼちぼち推し活して乗り切っていこうと思う。

旧態依然的な考え方や権威主義的な場所にいても今後はそのような在り方は通じなくなってくるだろう。
新しい社会のマインドに適合するべく、今は少し社会と距離を置き、自分自身をありとあらゆる面で見つめ直す時期だと思うことにする。

色々愚痴ったがやはり個人的な価値観で「ナシ」だと思った人は、どんなに世間から評価されて肩書きが立派でベテランでチヤホヤされていても、受け入れてはいけない。
「世間はそう言うけれど、自分はそうは思わない」のスタンスを保つべきである。
違和感は正しいので、長い時間がかかっても、その答え合わせをする時が来る。
自分に嘘をついて迎合すると、その答え合わせの時に損したり傷付いたり良いことがない。

こんな不利な状況になった時に、助けてくれたり支えてくれたりした人を私は大切にしていきたい。

昼夜逆転生活で眠れないまま寝ぼけて書いた文章なのでイマイチなのだが、とりあえずここまでにしておく。
何かあったら書き換えたり追加したりするだろう。

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