ローマ帝国♯1
今日からは、ローマ帝国シリーズをやっていきたいと思います。ローマと言ったらもちろんイタリアですが、ここでは昔から、多くの人々が暮らし、戦ってきました。今日は、そんな古代ローマの成り立ちから共和政までを見ていきましょう。
〈ローマ王政〉
基本情報
公用語:古ラテン語
首都:ローマ
ローマ王
BC753年 - BC717年ロームルス
BC717年 - BC673年ヌマ・ポンピリウス
BC673年 - BC641年トゥッルス・ホスティリウス
BC641年 - BC616年アンクス・マルキウス
BC616年 - BC579年タルクィニウス・プリスクス
BC579年 - BC535年セルウィウス・トゥッリウス
BC535年 - BC509年タルクィニウス・スペルブス
変遷ローマ建都 紀元前753年4月21日
ザビニ戦争 紀元前752年選挙
王政の確立 紀元前715年
アルバ戦争 紀元前600年
代タルクィニウス即位 紀元前535年
共和政移行 紀元前509年
通貨:デナリウスほか
建国伝承
建国伝承:要約
なんか王様がいて、その王位を剥奪した人が色々制限かけたにも関わらず、その王様の娘に子供ができちゃって、その2人が王位を剥奪した人(大叔父)を倒し、復位に成功したんだけど、兄弟で仲間割れして生きてた方が作った都市が「ローマ」らしい。
エトルリア(Etruria)
この頃長靴半島には、エトルリア人という人々が住んでいました。彼らは、小アジアから移動したとされる説もあります。また、エジプト第20王朝に記録されている「海の民」は、これらエトルリア人ではないかという説も上がっている。少なくとも彼らは紀元前8世紀ごろにはアルファベットを使っていて、ギリシアの商人たちと貿易をしていたことも窺える。彼らはローマ王生の時に、さまざまな技術と文化に影響を与えていた存在である為、ローマ王にはしばしばエトルリア人がいました。
ザビニ戦争
当時のローマでは女性が少なく、国家存亡の危機になりつつあった。その為、近くで居住していたザビニ人に交渉をしたが、交渉は決裂。そのあと、ザビニ人は必死に抵抗したが、女性はどんどん誘拐されていくばかりなので、これに憤慨したザビニの王が、ローマの街に攻め込んだ。しかし、ローマはそれを迎撃するどころか、相手の街も征服してしまった。この戦争のことをザビニ戦争という。
まとめ
今日のまとめです!
ロームルスがローマの地に建国したのがローマ王政。
エトルリア人がローマの発展に貢献した
時には、対外との戦争にまで発展することもあった。
今回は以上です。次回もお楽しみに!