仏教の前提知識④(仏教の言語と翻訳について)
はじめに
前回の記事は以下です。
今回は、現代仏教のそれぞれの系統で受け継がれてきた仏教の言語(パーリ語・サンスクリット語・漢訳語・チベット語)と、翻訳について詳しく書いていきます。
今回の記事では、以下の点が理解できれば十分です。
仏教を正確に理解するには、翻訳元の言語(=原語)であるパーリ語やサンスクリット語で書かれた原典から直接学ぶことが重要。
仏教の言語と翻訳(→)の関係は主に以下の通り。
パーリ語(南方上座仏教の系統)
サンスクリット語→漢訳語(東アジアの大乗仏教の系統)
サンスクリット語→チベット語(チベット仏教の系統)
聖典の翻訳は、新たな言葉や概念を生み、その国の言語を変えてさらには社会や文化に変革をもたらすなど、その影響力は非常に大きい。
ちなみに、現代における仏教の3つの系統の詳細は、以下の記事です。
仏教に関する言語を学ぶ意義
突然ですが、上の言葉を見てみてください。これらは、みなさん馴染みある言葉だと思います。実は、これら全てが元は仏教用語です。
歴史的に仏教は広まる過程で、多くの言語にその聖典が翻訳されてきました。
下図にもあるように、かつて仏教が伝播した多くの国々で活発に翻訳作業が行われていましたが、現在その多くが断片的にしか残っていません。
日本の場合、漢訳された経典から仏教用語が輸入されたため、必然的に漢字で表されています。
そしてそれらの多くは、元をたどればサンスクリット語という言語からの翻訳です。
つまり、主にサンスクリット語→漢訳語(古典漢語)→日本語という流れで日本に伝わっています。
こうした背景から、日本語で仏教を考える際には、「翻訳」という問題を避けては通れないのです。
この翻訳の過程で生じる問題を見ていきましょう。
サンスクリット語→漢訳語の翻訳の問題
まず、サンスクリット語→漢訳語を考えてみましょう。
サンスクリット語は、日本語のように助詞(いわゆる「てにをは」など)がない代わりに、名詞・形容詞に8つの格の語尾変化があります。
また動詞の形が多種多様に変化するため、文章上の意味の曖昧さはほとんどありません。
(※ただし2つ以上の単語を合わせた複合語などは、何通りかの解釈がありえます)
一方、漢訳語は、漢字一文字をとっても名詞・形容詞・動詞も兼ねるという多義性があり、語順によってはじめて意味が決まります。まさしく全く違う言語体系と言えます。
こうした言語の特性の違いによって、究極的には原文のリズムをそのまま翻訳することは不可能であり、正確性とわかりやすさを両立するような翻訳は困難を極めます。
特に偈頌などの歌の部分は、日本語で言うところの「五七五」のような詩歌のルールが、それぞれの言語によって全く異なっているため、原文のリズムも残すような完全な翻訳をするのは実質不可能と言えます。
それだけでなく、文化や地域の違いなどによる翻訳の問題もありました。
インドにおいては何度も何度も同じ表現をすることが好まれたため、原文では同じ文章が繰り返し表現されました。
しかし、中国では簡潔な表現を好むため、翻訳でわかりやすさを優先して、原文の繰り返しを省略することがしばしば行われました。
また、分かりやすさのために注釈的な要素を加筆したり、読みやすさのために原文になかった言葉を付加したことなども知られています。つまり脚色されることも多々ありました。
そのため、こうした漢訳経典をさらに日本語に翻訳するなら、原文からさらに遠ざかることが容易に想像できるでしょう。
漢訳語→日本語の翻訳の問題
次に漢訳語→日本語を考えましょう。
歴史的に日本において漢訳経典は、そのままの漢文の形で訓読して、書き下し文で受け入れられました。つまり、漢訳経典を漢文のままで理解しようとしてきました。
しかし、それは一部の仏教者以外は、日本語訳が分からない形で広まるということでもありました。
たとえば現代でも、お経を読んでいるときも、日本語訳ではなく漢訳のままで唱えています。
そのため葬式や法事などでお坊さんがお経を読んでいると、ただ呪文を唱えているような状態になり、そのお経の日本語の解説もないため、意味も理解されないままに終わってしまうという事態が起こっています。
中国と違い、このように多くの人が日本語自体で仏教経典を理解しないために、仏教用語も元々の意味から離れがちでした。実際、仏教用語が茶化されたり低俗化されたりする現象が起きています。
たとえば、仏教の元とも言える「仏」という言葉があります。
元々の言葉で「仏」とは、「[真理に]目覚めた人(=ブッダ buddha)」といった意味でしたが、「ホトケ」と読んで「死んだ人」の意味も持つようになります。
他にも「釈迦」という言葉は、もともとは開祖ゴータマ=ブッダの出身である部族名を指す言葉でしたが、「お釈迦になる」=「台無しになる・使い物にならなくなる」といった意味になり、本来はありえない用法が派生しています。
このように、翻訳された言葉が本来の言葉の正しい意味で使われているとは限りません。
日本語で仏教を理解する際の最大の問題は、漢訳を経由しているため、漢字で表された仏教用語を見ても、それが元の言語でどのような文脈や意味で使われていたのかを正確に知ることができない点です。
だからこそ、仏教を正しく理解するには、翻訳元の原文から直接学ぶことが大切なのです。
そのためにも、前提となる「仏教に関する言語」について簡単に見ていきましょう。
まずは、翻訳元となる言語、つまり原語について見ていきましょう。
仏教の原語について
今回関係するのは、左上図の言語の部分(白枠青字部分)についてです。
歴史的には、初めに仏教の開祖であるゴータマ=ブッダ自身が、インドのマガダ地方と呼ばれるガンジス川の流域を中心として教えを説いてきました。
その際には、特権化したような何か一つの言語で教えを伝えようとはしませんでした。
それどころか、同様の提案をした弟子たちを叱りつけ、以後はそうしたことを戒律で禁じました。そしてゴータマ=ブッダは弟子たちに
という言葉を残し、それぞれの地域の言語で教えを伝えていくことを推奨しました。
そのため、ゴータマ=ブッダ死後の原始仏教や部派仏教の時代には、各地域に根ざした仏教教団で、それぞれの地域の言語(民衆語)によって教えが口頭伝承されていきました。
口頭伝承は、前回記事でも述べたように、口に出して何度も何度も暗唱して、長い文章でも正確に伝えていくことです。
当時でも文字はありましたが、文字で記録せずに聖典を口頭伝承することは、当時のインドの伝統的な宗教においてもオーソドックスな方法でした。
パーリ語
パーリ語は、このように、それぞれの地域の言語(民衆語)によって教えが伝えられていった流れにあった民衆語の一つです。
インドからスリランカに伝承され、更に東南アジアに広く伝わり、南方上座仏教(①の系統)の聖典語になりました。
そして現在でも、パーリ語によって仏教聖典がもれなく完備されています。
ちなみにパーリ語を伝えたスリランカでは、紀元前1世紀頃に長い飢饉などで仏教聖典を口頭伝承していた仏教者の多くが死んでしまうといった危機がありました。
この危機を脱却する苦肉の策として、書写でも仏教聖典が伝承されるようになったとされています(もちろん、依然として口頭伝承は続けられていきました)。
これが、いわゆる写本とよばれるものです。
これがやがてインド国内でも同様に、書写によっての伝承もなされるようになりました。
サンスクリット語と他の民衆語
インドのそれぞれの地域の言葉(民衆語)で口頭伝承されていたので、パーリ語以外の民衆語で伝承されていた仏教聖典も、かつては数多く存在していたとされています。
しかし、紀元後4~6世紀頃のグプタ朝の時代になると、宮廷で学術語や公用語として特別視されたサンスクリット語と呼ばれる言語が、国内でも優先される風潮が生まれました。
いわば、サンスクリット語が特権階級的な言語となったのです。残念ながら、当時の仏教教団もその流れには逆らえず、徐々にサンスクリット語で仏教聖典を伝承するようになっていきました。
これは、それまで伝承されてきた各地域の民衆語から、サンスクリット語に翻訳して伝承するようになったことを意味します。
そしてもともと民衆語だった証拠として、仏教聖典の中でも歌の部分(偈頌など)の部分だけは、民衆語→サンスクリット語の翻訳が難しかったために、元となった民衆語の痕跡が伺えることが知られています。
こうした流れから、民衆語とサンスクリット語との中間のような仏教の言語(仏教混淆梵語)も生まれています。
またその頃には既に大乗仏教も存在しており、書写が中心の大乗仏教の経典も、サンスクリット語のものが主流となっていきました。
このようにして、徐々に民衆語による仏教聖典の伝承はなくなっていき、現在では、インド民衆語の仏教聖典はパーリ語のものを除いてほとんどが失われてしまいました。
パーリ語が失われなかったのは、スリランカという島国に渡っていたため、インドの影響をあまり受けなかったこと。
むしろ同時期の5世紀頃にスリランカでは、サンスクリット語ではなくパーリ語が権威ある言語として確立したためです。
当時は、スリランカ現地の言葉(シンハラ語)でも伝わっていましたが、それをパーリ語に逆翻訳作業なども行われ、現在ではパーリ語の聖典として残っています。
パーリ語が民衆語・俗語・自然語であるのに対して、サンスクリット語は紀元前5~4世紀頃の文法学者パーニニによって人為的に完成された人工語・雅語・完成語・標準語であるとされています。
つまりは、サンスクリット語は、パーリ語といった民衆語のように自然と人々に話されて生まれた言葉ではなく、人工的につくられた規範的な言葉ということです。
ただし、パーリ語もサンスクリット語も、同じインド=ヨーロッパ語族に属しているため姉妹言語といってよく、共通する部分がかなり多いです。
またパーリ語は、民衆語の中でも最古の層に属していて、サンスクリット語よりも古いとされています。
現在では、サンスクリット語の仏教聖典は、ネパール・日本・中央アジア・チベットなどで断片的に発見されています。
これはインドで仏教が滅亡した影響で、本来の体系化された仏教聖典が消失してしまい、断片的にしか残らなかったためです。
パーリ語は、ゴータマ=ブッダの話していたとされるマガダ語と全く同じではありませんが、上のような事情からゴータマ=ブッダの言葉に最も近いと言えるため重要視されています。
基本的に、こうしたパーリ語とサンスクリット語が仏教聖典における翻訳元になった原語になります。
仏教の翻訳された言語
こうした原語から、歴史の中でそれぞれの地域でその地域の言葉で翻訳されていきました。それが現代でも残っているものとしては、前にも述べた3つの仏教の系統になります。
その中でも、下の②③に対応する系統の仏教での翻訳された言語が漢訳語とチベット語です。
漢訳語(古典漢語)
中国で、当時の中国語に翻訳されたものが漢訳語(古典漢語)の仏教聖典です。
②の大乗仏教の系統を引き継いだ東アジアの仏教は、この漢訳語が、仏教聖典を伝承された言語となります。
漢訳語は、簡単に言えば、古い時代の漢語のことです。
ちなみにサンスクリット語→漢訳語の翻訳において、翻訳者は一人で翻訳したわけではありません。
複数人が、役割(総監督である「訳主」・訳文の質を左右する書記長としての「筆受」など)分担して翻訳したと言われています。
中国において、この翻訳期間は千年以上もあり、前述したような言語特性の違いによる翻訳の困難さに立ち向かいながら、まさしく心血を注いで翻訳作業が行われていきました。
この翻訳不可能性の問題に対して密接に関わるものとして、音で訳した言葉(音写)があります。つまり、音で訳すしかない言葉というものが存在していたということです。
例えば『西遊記』のモデルにもなった玄奘三蔵(602 - 664)は、五種不翻といった翻訳のルールなどを制定したと伝承されています。
これは、そのまま音で訳する言葉(音写)は、どういう言葉なのかを規定したものです。
たとえば「薄伽梵」は、サンスクリット語の「バガヴァット(bhagavat) 」の音写語ですが、これは6つの意味を持つため、あえて意訳はせずに音で訳すとしています。
(※ちなみに赤塚不二夫『天才バカボン』の「バカボン」は、この薄伽梵に由来しています。)
このように、翻訳不可能性に対しても立ち向かい続けながら、長い期間翻訳をし続けて生まれたのが漢訳聖典なのです。
チベット語
同様に、チベットで翻訳されたのがチベット語の仏教聖典です。
③の後期密教の系統を引き継いだチベット仏教の系統は、このチベット語が仏教聖典の言語です。
チベット文字は、「当時のチベット(吐蕃王国)の開国の王ソンツェンガムポ(581-649 ) がトンミサンボータ(生没不明)をインドに留学させ、帰国後に彼がチベット文字を作った」という伝承があります(史実かは不明)。
このように、まさしく仏教経典を翻訳するためにチベット文字が作られ、文法の一つ一つも対応づけを明確に定めました。
そのため、サンスクリット語の翻訳語としてチベット語は、原文の一語一語を忠実に解釈・翻訳したものとなっていることが知られています。
その精度は、元になったサンスクリット語の原文まで、ある程度復元可能なほどだと言われています。
また後には、翻訳だけでなく、中国・チベットなどにおいてその国独自の仏教文献も作られていきました。
それらは前回の記事で説明した「三蔵」の範囲を超えるため、「大蔵経」と呼ばれています。これについては詳しくは次回の記事で書こうと思います。
このため現在、仏教聖典の言語は、パーリ語・サンスクリット語・漢訳語・チベット語という4つが基本になります。
まとめると、パーリ語が南方上座仏教(①)の系統のもの。漢訳語が東アジアの大乗仏教(②)の系統のもの。チベット語がチベット仏教(③)の系統の仏教の聖典語です。
サンスクリット語は、翻訳の元になったものとして②③の系統の仏教を考えるときに、今も重要な資料として参考にされています。
翻訳の意義と影響力
こうした原語から翻訳された言葉の影響力は絶大です。
たとえば仏教に限らず、キリスト教においてマルティン=ルター(1483-1546)が新約聖書をラテン語からドイツ語にわかりやすく正確に翻訳しました。
この出来事によって、翻訳された新約聖書における慣用句・ことわざなど様々な言葉がドイツ語に浸透して、現在でも使われています。
それだけでなく歴史的には、翻訳された新約聖書の内容が活版印刷機によって民衆に広く普及した結果、キリスト教の宗教改革(プロテスタント派誕生)の一因となりました。
このように、聖典を翻訳をすることは、その国の言語そのものを変えていくということに相当します。さらに聖典の内容によって、社会にも変革をもたらすというのが聖典翻訳の意義と言えます。
今までになかったものを正確にわかりやすく翻訳することで、その国の言葉そのものを変えていき、新しい言葉が作られ、その概念が浸透していき、慣用句・ことわざ・熟語などになっていきます。
そしてわかりやすく聖典の内容が伝わることで、社会に変革を与えていくのです。
漢字で言えば、「梵」・「塔」・「魔」・「鉢」・「僧」など、仏教経典の翻訳のために新字が作られたことが知られています。
他にも仏教聖典で初めて成立した熟語(「縁起」・「世界」・「煩悩」など)や、もともとの意味とは別の意味に転化した熟語(「衆生」・「精進」など)や漢字(「業」・「禅など)が多く生まれました。
社会変革に関して言えば、例えば玄奘三蔵(602 - 664)に並ぶ、二大翻訳僧の一人・鳩摩羅什(344 - 413)は、その後の中国仏教の形を作ったとも言えるほど、後世に絶大な影響を与えました。
その翻訳は名訳として名高く、それまでに翻訳された仏教経典を駆逐するほどの勢いを持ち、その後に翻訳が別に新しく出ても羅什の翻訳が受け継がれ続けました。
彼がいたからこそ、後の宗派が成立したと言っても過言ではありません。
多くの中国仏教独自の宗派が、彼の翻訳した経典を根拠にして生まれたからです。
ちなみに、中国が大乗仏教国となったのも、この鳩摩羅什の影響によるところが非常に大きいです。
こうして、かつて中国には翻訳の影響によって、仏教が中国思想界・文化の中心に位置し、凄まじい影響力を誇っていました。
また中でも天台宗は、平安時代に最澄によって中国から日本に伝わりました。
そして天台宗は、現代の日本仏教の中核を担う鎌倉新仏教を作り出す土台となっており、そのため日本の歴史にも間接的に大きな影響を与えています。
また上でも述べたように、日本で日常的にも使われる「有難う」・「安心」・「意識」・「有耶無耶」などは元を辿れば仏教用語ですが、他にもそうした日常に溶け込んだ仏教用語が数多くあります。
中には意味が変容してしまったものも多いですが、たくさんの仏教由来の用語が、現在では自然な日本語として定着しています。
このように、聖典翻訳の影響力は計り知れないのです。
そして、こうした翻訳された言葉が本来の意味から変容してしまっているからこそ、仏教を正しく理解するためには、翻訳元の原文のものから知る必要があるのです。
まとめ
仏教を正確に理解するには、翻訳元の言語(=原語)であるサンスクリット語やパーリ語の原文から直接学ぶことが重要です。
なぜなら、多くの仏教用語は「サンスクリット語→漢訳語→日本語」の順で翻訳される中で、元の文脈や意味が失われることがあるからです。
歴史的に仏教は地域の言語で広まりましたが、インドではサンスクリット語、スリランカではパーリ語が特権的な言語になりました。これらの原語は、現代仏教の三系統(南方上座仏教・東アジアの大乗仏教・チベット仏教)の翻訳元となっています。
また翻訳は、新たな言葉や概念を生み、社会や文化を変革しました。
たとえば、中国では翻訳によって仏教が思想界・文化の中心となり、日本にも多くの仏教用語が伝わり日常生活に溶け込んでいます。
このように聖典の翻訳は、新たな言語や概念を生み出し、社会変革などの大きな影響を与えています。
こうした翻訳された言葉が、本来の意味から変容してしまっているからこそ、仏教を正確に理解するためには、原典から直接学ぶことが大切なのです。
参考文献
以上の内容は、主に大学の授業で学んだ知識を自分なりにまとめ直したものです。正確さと分かりやすさを心がけて書いたつもりでしたが、分かりづらい点やおかしな点があったらコメントなどでお教えください。以下は、他に参考したものです。
高楠順次郎監修『南伝大蔵経第4巻律蔵4小品』大蔵出版(1939年) (※ゴータマ=ブッダが「各自の言語で仏の言葉を学ぶことを許可する」という旨の発言をした部分の訳がp.211で、翻訳の参考にしました)
水野弘元『パーリ語文法』山喜房仏書林 (1996年)
水野弘元『経典はいかに伝わったか 成立と流伝の歴史』佼成出版社(2004年)
植木雅俊『仏教、本当の教え インド、中国、日本の理解と誤解』中央公論新社(2011年)
船山徹『仏典はどう漢訳されたのか―スートラが経典になるとき』岩波書店(2013年)
「じつは身近な仏教用語」https://www.nichiren.or.jp/glossary/ (2024/12/26 最終閲覧)