「勝四郎の決断」・・・時として、大切な人の忠告を裏切っても果たさねばならぬ事がある。
今回は久しぶりに、地方の藩に残る伝承に基づいた時代劇。若き侍が心に秘めた秘策とは・・・
「勝四郎の決断 江戸屋敷始末帳」 作 夢乃玉堂
古今東西、身だしなみを大切にする事は
いつの時代でも変わらぬものでございます。
戦国の終わりごろから、武士の間でも
身なりを気にする武将がちらほらと出始め
江戸時代に入り、三代将軍の頃となりますと
八百八町を闊歩する姿も徐々に派手になり、
見た目を気にする武士が増えて参ります。
そんな平和な時代の武士の矜持を守ろうとした
お話でございます。
× × ×
冬の終わり、激しい雨が軒を叩いていた。
その雨音に包まれた加賀藩江戸屋敷の一室に
切羽詰まった若者の声が響いていた。
「父上。藩の一大事でございますぞ!」
江戸屋敷 留守居役、村井勝四郎は、
父、村井勝正に食ってかかった。
「勝四郎。おぬし、怒って真っ赤になると
元服したばかりの月代の青さが余計に目立つなぁ」
勝正は、火鉢で焼いている団子をひっくり返した。
「団子など焼いている場合ですか。
明日、 殿があのような・・・、その、は、は・・・」
「何を言うておる。ただの見間違いであろう。
物事は落ち着いてよ~く見なければいかん」
勝正は、勝四郎の言葉を遮って
焼き上がった団子を顔の真ん中でブラブラさせて、
おどけて見せた。
『いつもこうだ。
自分の言葉など真剣に聞く気など無いのだ』
勝四郎は、怒りに任せて早口にまくしたてた。
「父上。私の見間違いであれば何より。
もし見間違いでなければ、江戸屋敷留守居役全員が
責任を問われまする。
いかな名君と申せども、うっかりという事はございます。
此度、殿が江戸屋敷まで下られたのは、
昨年、幕府にうっかり無届けで行った、
お城の改修工事の釈明をなされるため。
ならば明日、上様の前にお出になられる時には
ことさらに襟を正す必要がございます。
それなのに殿があのような・・・。
もし釈明が通らず、
謀反の疑いあり、二心ありと思われれば、
殿は切腹、藩はお取り潰し。
藩士たちも浪人。冷や飯食いの憂き目に逢ってしまいます。
そのような事になったら、父上はどうするおつもりなのですか!」
そこまで聞いて勝正、団子を動かす手が止まった。
火鉢の網に団子を戻すと、大きく溜息をついた。
「ふ~む。おぬしは本当に面白くないのう・・・。
仕方ない。
勝四郎。これ以上の議論は無用じゃ。
殿が国元にお帰りになるまで、この部屋で謹慎を命ずる。
良いな。一歩も部屋を出てはならぬぞ」
そう言うと、すっくと立ちあがり
勝正は奥の間に消えていった。
柔らかな口調だったが、その実は厳しい。
勝四郎は、呆然とその場に座り込み、
残った団子を頬張って独り言ちた。
「父上はどうして分かってくれぬのであろう、むぐむぐ。
普段はぐうたらなくせに、ふぐむ。
今日に限って、うんぐ。なぜ頑固なのだ。
殿が他藩の笑いものになっても、うぐ。良いと言うのか。
むぉ~し。うんぐ、決めた・・・」
元服したばかりの若侍は血気盛ん。
懐の短刀をぐっと握り、一つの覚悟を胸に秘めた。
それほどまで勝四郎が殿に伝えたかったこととは
一体何であろうか。
翌朝、江戸屋敷の上には青空が広がり、
藩の存亡がかかる大事な日とは思えぬほど
涼やかな空気が満ちていた。
梅鉢の家紋が入った立派な駕籠が玄関に据えられ、
殿のお見えを静かに待っている。
駕籠の横には国家老の横山横山康玄。
一人置いて村井勝正。
そしてそれらを取り囲むように、
数十人の御用人や側女たちが控えていた。
その様子を大門の脇から、じっと見つめる黒い人影。
謹慎を命じられているはずの村井勝四郎である。
昨夜は一睡もできなかったのであろう
真っ赤に充血させたその目を見開き、
息を飲んで駕籠の方を見つめている。
その表情には鬼気迫るものがあった!
半時ほどたったであろうか、
奥の間の気配を察した勝正が身構え直すと
ほどなく加賀藩主、前田利常公が姿を見せた。
「雨も止んだようじゃの。幸先が良い」
「御意」勝正が答えた。
お駕篭の戸が開かれ、
利常公が乗りこもうとしたその時、
大門の脇から勝四郎が脱兎のごとく駆け出した。
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