アニキのオムライス。男の舌はいつまでも子供だという話・・・当家比85%
『アニキのオムライス』当家比85%
「今夜は遅くなりますから、お夕食はご自身でお願いしますね」
そんな事を言うと、夫は、困ったような嬉しいような複雑な顔をして、
「ああ。」
と一言答える。
当然のように外食をするのだが、自分の小遣いの中から支払う事になるので、財布の中が心配な月末には、ちょっと不安になるらしい。つましい限りだ。
その一方で、外食を楽しみにしているのも知っている。
駅前の中華飯店だ。
楽しみ、と言っても贅沢な北京ダックを食べようという訳ではない。もっとも、そんなものを一人でこっそり食べてたら、翌日からお弁当のおかずを一つ減らしてやるんだから。
ごくありふれた中華屋さんで、カウンターと四人掛けの赤いテーブルが三つ四つ並んでいるだけの小さなお店だ。
トイレの横の大きな業務用のクーラーが「昭和」を感じさせる。
以前、同じように外食をお願いした時、たまたま早く帰って来た私は、夫がその店のカウンターに座っているのをガラス越しに見かけたことがあった。
中に入って声を掛けようかなとも思ったけれど、こちらは友達と夕食を食べた後だったし、店で浮きそうなコートを着ていたので気後れして、そのまま先に帰ってしまった。
夫が頼んでいたのは、ビールとオムライスだった。
「中華屋なのにオムライスなの?」
と、見た時は思ったのだけど、男の子はいくつになっても
オムライスが好きなのだ。
それも、真ん中に、たっぷりとトマトケチャップがかけられた
オーソドックスなオムライス。
薄い卵の皮の中にはやはりトマトケチャップで味付けられた
チキンライスがくるまっている。
この卵の薄皮は家庭では中々真似できない。
単純に卵の量を減らせばよいという訳ではなさそうだ。
火力だとか、油の量だとか、何よりあの重たそうな中華鍋を
軽々と振れないと出来なそうだ。
ところが最近はこんなオムライスが食べられる店は
少なくなった。
オムライス専門という店は我が家の近所にも新しく出来ているのだが、それでは夫は満足しないのだ。
一度、『オムライス好きなのは分かってるわよ』という気持ちで
誘ってみたことがある。
チキンライスの上に乗ったオムレツのようなふんわりした卵を
ナイフで切り目を入れ、とろりとした反茹での卵が左右に広がるタイプのオムライスだった。
私はそのイベント性が楽しくて、「うわ~」っと声を上げたのだが、夫はいつものように、「うん」と答えただけだった。
嫌ではないのは分かる。味も美味しいと言っている。
それは、味覚視覚嗅覚どれをとっても100点なのだが、
85点のオムライスを食べたいと夫は思うタイプなのだ。
「そいつはアニキのオムライスですね」
職場の後輩の女の子に相談すると、そんな答えが返って来た。
彼女も、オムライス好きの彼氏を
オムライス屋に連れて行ったのだが、
「美味しいけど、これじゃあ無いんだよな」
と言われたらしい。
その彼氏は、親が金持ちで自身も相当稼いでいるのだが、
無駄にお金を使わないタイプ。
ケチでは無いが、ものの値打ちに厳しいのだそうだ。
デートだからと言って高級レストランに行くわけでもなく、
日常でブランド品を身に着ける訳ではなく、
仕事の時だけは厭味の無い程度にそれなりのものを着こなしている。
彼女は、ご両親に紹介されるまで、お金が余り無い人なのだと思っていたほどなのだ。
その彼が、やはり薄皮卵のオムライスを
「アニキのオムライス」と呼ぶらしい。
幼い頃、近所に住んでいた大学生が
美味しそうにオムライスを食べているのを見て、
そう名付けたのだという。
なるほどね、いつの時代、どの家庭でも
男の子のオムライス好きは変わらないのだろうか。
そういう訳で、今夜も夫は、駅前の中華飯店に行き、
我が家比85%くらいの気持ちでオムライスを注文するだろう。
85%が夫にとってのど真ん中。満足度では100%の外食なのだ。
そしてもし、私の用事が早く終わったなら、
今度こそあの中華屋の重いドアを開けて、
一緒に「アニキのオムライス」を食べようと思う。
おわり
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