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雨と虹|3.11に思うこと

9年前の3.11 〜東日本大震災〜

9年前の今日、15時になる前のこと。何が起きたのかは日本人なら知らない人はいない。大きな地震が起きたあと、街は広範囲に渡って波にのまれ、船も人も建物も、街ごと流され、更には福島第一原発で最悪の事故が起きた。震災による死者・行方不明者は1万8428人、建築物の全壊・半壊は合わせて40万4893戸が公式に確認されている。震災発生直後のピーク時においては避難者は約47万人、復興庁によると、2019年7月30日時点の避難者等の数は5万271人となっており、避難が長期化している。

地震から思い知らされたこと

大切なものが瞬時に消えてなくなってしまうこと。明日も会えると思っていた友人に、一生会えなくなってしまう日が突然訪れること。安全だと信じて疑わなかったものが、一転してこの世で一番恐ろしいものへと変わってしまうこと。生まれ親しみ愛した土地が汚され、その大地を再び踏めるのがいつになるか分からない状況が訪れること。わたし達は9年前に学んだ。いや、地震から身をもって知らされたのだ。

私たちは何を選択していくのか

それから時間が経ち、その間に少しずつ静かに、戦争しやすい環境へと力が加わりはじめ、国家権力を縛るものである憲法が国民を縛るものに変えられようとしている。そして新型のウイルスに世界がおどらされ、怯えている真っ只中に9回目の3.11を迎えた。

9年前に感じた、恐怖や悲しみや苦しみ、それどころか助け合い、愛し合う心さえ誤魔化し、見て見ぬふりして過ごしてきたものが、ここになって膿として出てきているのではないかと思う。本当に恐ろしいものは新型ウイルスなどではない。今、本当に恐ろしい物体の影がついに現れようとしている。本質を見ようとする目を養わなければならない時が来た。

わたし達の常識がすべて壊されていく、新しい世界への創造の前の破壊が始まった。これから世界レベルで地球がどのような方向へと向かっていくのかは、わたし達ひとりひとりが何を選択するのかにかかっている。そんなことを言うと、責任が重くのしかかり、足がすくむ思いもするのだが、わたし達には「優しい世界で生きる」という選択肢も残されている。

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そう、雨が降れば虹も出るのだ。2020.3.11.14:46を過ぎた頃、被災地及び東日本各地で虹が観測できたという。「虹は凶兆だ」と言う人がいるが、この虹を吉兆とするのか、凶兆とするのかは、わたし達次第である。

受け入れ、感じる、各々の女性性を活かす時

まずは置き去りにしてきた、悲しみや恐れを受け入れ感じよう。この9年間でなく、これまでの、一生分の感情。普段、頭を使いすぎて感じることがおざなりになり、あらゆる刺激に鈍感になっている、わたし達。全ての物事に良い、悪いもないのだから、まずは頭を空っぽにして感じることが大切だ。湧き出す感情と共に丸ごと自分を抱きしめ、愛そう。

破壊は創造のはじまり。わたし達が望めば、自由で優しい世界を創造することができるのだ。

それからは生み出す時代。今感じる悲しみや恐怖を受け入れ、感じ、自分から新しいものを生み出すためにじっと堪えて、エネルギーをためよう。生み出し、力を発揮する時が来るまで、己の中の男性性を育てようではないか。生み出すことはひとりではできない。自我だけでは達成することのできなかったことを、仲間やパートナーと共に達成する時代がやってくる。そこに己も他人もない、全てひとつ。統合された優しい世界が待っている。これはわたし達の選択次第だけれど。

今起きていることにも色々見方がある。ネガティブな見方も、ポジティブな見方も。何が本当で何が嘘なのかなんて、もはや一般人には見当もつかないし、わたしが知る情報は大きな中の一端でしかないのだろう。だからこそ迷わず自分のことを信じて進むのが1番だと思う。もはや誰のせいにもせず、目の前に起きたことを淡々と受け入れていくしかない。その波の中で自分はどう在りたいのかを模索しながら、その中でも幸せを味わうことはできるのではないのだろうか。




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