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第二巻 巣立ち  9、文学青年の誕生

9、文学青年の誕生

※この小説は、すでにAmazonの電子版で出版しておりますが、より多くの人に読んでいただきたく、少しづつここに公開する事にしました。

 練馬高校は、俺の住まいである国立からは遠かった。国立駅まで歩いて二十分、中央線で荻窪駅まで四十分、荻窪駅からバスで西武池袋線の中村橋駅まで一時間くらい、中村橋駅から練馬高校まで歩いて四十分くらいだったろうか。大体、片道三時間くらいはかかっていた。中村橋駅から練馬高校までは、かなりの道のりだったが、俺は歩くのが好きで大して苦にならなかった。朝早く、この道を歩くのは、とても気持ちの良いものだった。初めのうちは、練馬駅から練馬高校までバスで行っていたが、いつも学生で一杯でウンザリしていて、地図を見て歩く道を自分で開発した。高校三年になると、同級の青山という友人が俺も歩いて帰りたいと言って、一緒に帰ることが多かった。特に仲が良かった訳ではなかったが、帰り道でいろいろ話せたのは貴重だった。

 あまりに通学時間がかかるので、特にバスと電車で片道で一時間半以上あったので有効に使いたいと思った。初めは英単語や基本構文の暗記などをやっていたが、面白くなく眠ってしまうことも多かった。なんかの拍子に小説を読んだら面白くて夢中になった。初めは、夏目漱石や森鴎外、芥川龍之介や樋口一葉、宮本賢治や宮本百合子などを読んでいたが、世界文学全集を借りるようになって、トルストイ、ドストエフスキー、スタンダール、ヘッセやミッチェルなど海外の名著は見境なく読むようになっていた。それほど、暇だったのである。俺は、それまでは、どちらかと言うと飛び回っている方が多く、読書はあまりしてこなかった。母親は、兄貴に比べて俺があまりに本を読まないので、随分と心配していた。ところが、練馬高校に行くようになってから、俺は不本意ながらも、文学青年に変身したのである。同時に、高校の現代国語も伊山の影響でかなり熱心に勉強するようになった。特に、山月記という小説には、不思議な魅力を感じた。

 それだけではなく、高校で哲学の授業を聴いて、特にその関係書も熱心に読んだ。中でも、ニーチェとショーペンハウエルは気に入っていた。ニーチェは、読むと元気が出てきたし、ショーペンハウエルの「意志と表象の世界」は繰り返し読んだ。超厭世的なところが好きだった。当時は、実存主義というのが流行っていて、サルトルやボボワールも熱心に読んだが、何となく波長が合わなかった。それより、フロイトがなんでも性的なことと関連づけるので面白かった。哲学の本を読み漁ったのは、心の中に何か満たされないものがあったのだろう、しかしそれはサルトルなんかでは満たされなかった。

 そんな中で、文化人類学者のレヴィ・ストロースという人に魅かれた。レヴィ・ストロースという人の「悲しき熱帯」というのを読んで、衝撃を受けた。彼は、サルトルと同期生で卒業して、哲学者ではなくて文化人類学者になった。そして、例の本では、文明は原点からいろいろな方向に発展していて、それはベクトルのようで、西洋文明で育った自分には、そういう方向の文明しか理解できないという悲しさを語っている。これは、構造主義と言って、全ての文明は、原点から3次元の空間に伸びたベクトルのようなもので、自分の文明から他の文明を見る時は、他のベクトルから自分のベクトルに落とした影としてしか見えない。このため、他の文明は常に自分の文明より劣って見える。そのため、他の文明の本当の姿を見ることは永遠に出来ないという考え方である。

 俺は、人間も同じで、みんな原点からのベクトルで表せると思った。ベクトルの長さは、その人の寿命で、人はお互いにいろいろな方向に発展している。ここで、人の理解と言うのは、相手のベクトルが自分のベクトルに落とした影、つまり写像で表せる。したがって、人は、自分の方向に発展したベクトルの長さは比較的正しく理解できるが、全然逆の方向に発展したベクトルは全く理解ができない。このように考えると、人の関係はよく理解できた。何か、そう思ったら急に気が楽になった。事実これ以後、俺は哲学書を漁ることを全くやめた。俺は、このレヴィ・ストロースの構造主義で、人間関係を理解することができたので安心したのだろう。

 その他、俺はトルストイにかなり傾倒していた。アンナ・カレーニナという小説があるが、ある時、俺はとても夢中になっていた。あまりに面白かったので荻窪駅に着いても気がつかずに、また中村橋まで戻ってしまったことがあった。トルストイはとても波長に合っていて、ほとんどの著作を読んでいると思う。それから、マルタン・デュ・ガールと言う人が書いたチボー家の人々という本があるが、これにもたいへん感動した。この本は全部で十二巻あって、とても長編の小説だった。初めの第一巻は、主人公の精神病院での話でとても退屈だった。何回も何回も途中でやめたけれど、読み続けてよかった。第一巻を読み終えてからは、あっという間に最後まで読み切ってしまった。その後、この著者の他の本も読んでみたいと調べたが、この人は、この本以外は書かなかったようであった。さらに、この本はノーベル文学賞を受けていることも知った。人生では、どの本がその人に合うかは、皆違う。その時期に、その人に合った本が見つかるというのは奇跡に近いが、そういう本に出くわせた人は幸せだと思う。

 俺は、大学への進路で悩んでいた。高校では数学が好きだったから、なんとなく大学の数学科へ行きたかった。親父に話すと、数学科は卒業してから生命保険会社くらいにしか行けないと言われ、考えてしまった。「理科系なんだから他にもあるだろう」と、言われた。次に行きたかったのは、文学部だったが、これは両親ともに大反対だった。文学部は、潰しが効かない、小説家では、生きていけない。俺は、不遜にもこの時小説家になりたかった。最後に、化学となった。俺は、高校では物理は嫌いだった。高校の物理は、歯切れが悪くてわかりにくかった。微分や積分を数学では習いながら、物理ではそれを使わない高校の物理がわかりにくいのは当然だと、後で思った。ともかく、俺は大学の理学部化学科に進む事を決めた。

 往復の 通学時間長かった ただ小説に のめり込んだよ  

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