母校で講演
母校で講演
私は名城大学附属高等学校の卒業生です。勉強面ではムラがあり、やるときはやりまくるのですが、やらないときは全然やりませんでした。
学年で上位まで行ったこともあれば、四隅に座ったこともあります。当時は四天王の席と言って、下から四番が座りました。一目でわかります。しばらく恥を晒すわけです。しかしながら、社会に出る前にこういう経験もできてよかったです。反骨心も養われます。
合コンで
中学生の頃、大学だけは出ておけとせがむ両親に、学歴なんか関係ないんだと反抗したこともあります。しかし思春期の少年の叫びは虚しく、世間はまだまだ肩書きに弱いのだと大人になって知りました。
それに自分だって合コンにモデルが来ると聞けば、その肩書きに気分を高揚させていたじゃないか。人は、よくわかっていないことには肩書きで判断し、肩書きに弱くなります。
キックボクシングに関しては、本質で判断できるようになっていると自負しています。当たり前か(笑)
勉強に目覚める
中2の終わりに野田塾へ通い始めてから勉強に目覚め、成績を急激に上げたことがあります。つまらない勉強を面白いと感じるようになったのです。ゲームと変わらんぞ、と。目の前の物事は、つまらないと思えばつまらないし、面白いと思えば面白くなります。
とはいえすぐに飽きてしまって、成績はまた下がりました。そのせいで公立には落ちました。しかし結果的にはよかったです。そのおかげで附属高校へ入り、大学にも上がれたのだから。これはついてる。
落ちた瞬間は不幸に感じましたが、今はそれでよかったと思う自分もいます。まさに人間万事塞翁が馬。良いも悪いも、全部自分が勝手に決めていることなんです。
高校2年のとき、なぜか古文だけ面白くなってしまい、順位をかなり上げたことがあります。不思議なことに他の教科も追随して上がりました。勉強の根本は同じだから、一つのことを掘り下げたおかげで他のことも理解しやすくなったのかもしれません。
古文で調子に乗り、学年で一番を目指したこともあります。しかしそれは敵いませんでした。日頃から勉学を積み重ねた秀才たちに、突破できない壁を感じたのです。
日頃の勉強、鍛錬がいかに自分の血肉となっているのかを経験しました。私は諦めて、キックボクシングに邁進しました。
デザインに目覚める
このブルート通信は、コロナ禍の窮地からデザインを学んだおかげで、誌面もだいぶスッキリしました。
また、辞書の旅と書道の組み合わせは新しい学問の誕生だと思っています。
よし、と意を決して母校の高校と大学に、ブルート通信を送ってみました。すると驚天動地、すぐに高校から連絡が来て、あれよあれよと今年1月に講演することになったのです。「辞書の旅をしている元キックボクシング世界王者」という摩訶不思議な題で。
常日頃から勉強している生徒たちは、キックから辞書の話になった途端、テンションが落ちたように見えました。しかし、辞書の面白さが徐々に伝わっていたようで、生徒たちからいただいた感想の数々に感動しました。熱弁して私を紹介してくれた先生もいて、感激しました。ありがとうございます。
ワークショップ誕生
高校の教頭先生から、辞書の旅と書道のワークショップの提案があり、ビビッと来ました。ぜひやってみたいですね。
好きなページを開き、1ページ読み、筆で書き(筆ペン可)、感想をつぶやく。インプットとアウトプット、自分で調べて読んで書いて考える。たまに小説すら降りてくることもある!
また続報をご期待ください。
そして、なにとぞ君、まずは名古屋東京ラーメン対決をよろしく。
なにとぞ〜