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ドッペルゲンゲルの歌を聴く

前からずっと気になっていた「乙女の本棚」シリーズ。
ついに購入しました。『Kの昇天 ――或はKの溺死』(梶井基次郎・著、しらこ・画)。

夜の海岸で満月の光に象られた自分の影から出現するドッペルゲンガーに導かれて昇天してゆく青年Kについて物語る書簡体形式の作品。
自我の分裂と魂の昇天という神秘的な主題の中に、病死の運命を薄々感じ取っていた基次郎の切ない思いが籠っているファンタジックでミステリー風な短編である。
月を題材にした詩的作品・幻想文学としても人気が高く、アンソロジー集で取り上げられる名作でもある。

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とにかくお洒落な一冊です。
『Kの昇天』という作品自体は短編ですので、さくっと読めてしまいますが。「ザ・大正文学!」という感じの、研ぎ澄まされた感性が刺さるお洒落な文章。
そして、贅沢に使われたイラストが、作品のイメージにぴったりで、雰囲気を盛り上げてくれます。
ドッペルゲンガーが本体から分離するシーンや、最後の昇天のシーンのイラストは特に、凄みがある美しさです。ぞくっときます。

自分の影を見ながら歩いていた子供時代を思い出しました。

文章も絵もファンタジックで美しい。誰か大切な人にプレゼントしたくなるような本です。


主人公が夜の砂浜でKと初めて出会ったとき、シューベルトの『海辺にて』と『ドッペルゲンゲル』を口笛で吹く、という場面があります。
「海辺」も「ドッペルゲンゲル」もこの作品の重要なモチーフです。小説のテーマを音楽のタイトルに託して小説内に登場させる、ということは私も時々やりますが。あまりにぴったりすぎる『ドッペルゲンゲル』などという曲が、本当に存在しているんだろうか? と疑問に思ったので調べてみたら、ありました。

(私が知らなかっただけで、クラシック好きな方なら常識の範疇なんでしょうね)

そんな特徴的なメロディではないので……これを口笛で吹かれただけで曲名がすぐにわかるなんてすごいな、当時の知識人なら当たり前に知っているレベルのものなのか? といろいろ考えてしまいましたが。

大正15年にこの小説を書いた作者と、同じ音楽を自分が聴いている、という事実に強い感動を覚えました。
梶井基次郎も、確かにこの曲を聴いて、この小説を書いたのに違いないのです。
前奏からして陰鬱なこの曲。これを聴いて梶井が何を感じたのだろう、と思いを馳せてみると……抉るように事細かに描写されるラストの「昇天/溺死」が、いっそう戦慄すべきものに感じられました。

梶井基次郎といえば有名なのが、国語の教科書にも出てくる『檸檬』。

ヤマもオチもイミもないのに雰囲気と文章がめったやたらと素敵。
そんな感想しか持てなかった非文学的な私ですが。

大学生のころ、京都の丸善にはよく足を運んだので、「ここに檸檬を置いたのか……」という感慨にふけらずにはいられませんでした。
ある時、とうとう我慢できなくなって、本の上に黄色い折り紙で作った紙風船を置いて立ち去ってしまったことがありました(丸善の店員さん、ごめんなさい)。本を積み上げたりはしませんでしたが。

「くすぐったい気持」にはなりませんでしたね。ドキドキはしましたが。

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