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イベントの仕事でスタッフやキャンギャルをやった話

イベントスタッフのバイトを始める


ネトゲ廃人となり、

引きこもり生活を送っていた状態から社会復帰をしていく際、私が選んだバイトは日雇いのイベントスタッフのバイトだった。

イベントスタッフのバイトを選んだ理由は三つある。

まず、体調が悪くなった時、鬱っぽくなった時にすぐに日程を調整して長期休みが取れる仕事が良かったこと。当時まだ、突然鬱状態になってしまったり、体力がなく非常に疲れやすかったため、体調が悪くなった時にすぐに休める必要があった。イベントのバイトは日雇いであり、一案件大体3日ほどで(やりたければ長期もある)案件への応募や決定が実際の仕事の1、2週間前くらいであるため、調整がしやすかった。

また、私がお祭りやフェスティバルを行っている会場というものがとても好きであったこと。
展示会もイベントもどれも主催者や参加者から見ると年に一回とか2回のお祭りである。なので大体会場は『陽』の空気が漂っていた。イベントで陰鬱としている人はあまりいない。私はそのお祭りやイベント会場に漂う『陽』の雰囲気が昔から好きだった。
また、お祭りというものは、誰でも受け入れてくれる空気感があった。
仲間とか、知り合いでない、見ず知らずの人でもその時だけは輪に入れてくれる、そんな空気があり、ミソっかすになりがちだった私も、輪に入れてもらえる場所だと感じていて、お祭りの雰囲気が好きだった。

三つ目は、メイド喫茶でバイトをしていた時に、

他のスタッフがキャラホビやゲームショーでコスプレをしてコンパニオンをしていたのが羨ましくて仕方がなかったこと。
アニメ関係のイベントなどでできることならコスプレしてコンパニオンをしたちという密かな夢があった。


イベントスタッフのバイトとは

イベントスタッフのバイトは登録制で、一度登録会に参加して登録すれば、メールで募集中の案件がどんどん送られてくる。(当時はガラケーの時代だったので、今はもっと違うシステムなのではと思う)
その中から応募したい案件に返信をすると、確定のメールがきて、仕事がもらえる。そんな仕組みだ。
人が足りなかったり、急な案件の場合、事務所から直接電話がかかってくることもあった。

応募案件の分類は、撤去搬入(これは大体男性)イベントスタッフ、キャンペーンガール、コンパニオンの4種類。
宣材写真さえ出せば、キャンペーンガールやコンパニオンにも応募できたのだが、仕事を始めた当初の私にはそんな度胸はなかった。
というのも、イベントスタッフの仕事に行っても、現場には女子大生が多く、かなり可愛い子もおり、その子たちがキャンペーンガールやコンパニオンもやっていたのだ。当時23くらいだった私は、自分が少し老けていることを気にしていた。(今から見れば誤差なのだが、若い時分は1歳2歳の差が大きく感じた)

イベントスタッフとは何をする仕事なのかというと、ビックサイト、国際フォーラム、パシフィコ横浜、ホテル、街中で行われているイベントなど、ありとあらゆる場所で開催される、展示会、イベント、フェスティバル、新商品発表会、会議、等々の、受付、誘導、クローク、案内係、物販、等々現場によりけりで、色々を行う。

催し物会場で、そのイベントのTシャツなどを着て働いている若い子たちは、主催の人間ではなく、イベントスタッフである。

イベントの種類や業種は本当に豊富で、IT関係の大規模イベント、癒しフェア、介護用品の展示会、ギフトショー、おもちゃショー、ゲームショー、商社のファミリーバサール、美容師のイベント、秋葉場で新作ゲームのデモの見張り、パチンコの新機種のお披露目会なんていうのもあった。

服装はほぼ、スーツパンプスかベージュのチノパンだったので、私は一着しかないスーツとパンプスを着まくって仕事をした。

しんどかったのは、パンプスでずっと立っていなければいけなかったこと。
(受付など見えない場合、段ボールを敷いて脱いでることもある)
あと、イベント関係の仕事は朝が早く、7時台に集合などもあったので、朝が苦手な私にはこれが辛かった。たまに残業があるのもちょっとしんどかった。

仕事は登録制で誰でもすることができるが、現場で動きが良ければ事務所の人に顔を覚えてもらえるので募集人数の少ない仕事を担当さんから直で回してもらえるようになったりする。さらに気に入られると内勤といって事務所で働く仕事があったらしいが、私は個人で仕事をまわしもらえるくらいに信頼はしてもらえたようだが、そこまで仲良くなかったので、内勤の仕事に誘われたことはなかった。(電話対応苦手だったので、内勤はしなくて良かったと思うけれど)

最初のうちは体調に合わせて調整しながら仕事をしていた。仕事に行くとぐったりしてしまうことが多く、少し休んでまた仕事に行った。
でも、いろいろな仕事をやらせてもらってるうちに、少しづつ体力もつき仕事もこなせるようになって至った。
仕事では、なかなか見ることのできないいろいろな世界に触れることができ、また、毎回一緒に仕事をする人が違うため、いろいろな人に出会うことができて、一度限りのことも多かったけれど、自分の世界を広げることができたと思う。


キャンペーン、コンパニオンの仕事を始める

一年ほど仕事をしてみて、慣れていくと、私は勇気を出して、渋谷の安いスタジオに宣材写真を撮りにいき、キャンギャルやコンパニオンの仕事も始めた。キャンギャルやコンパニオンの仕事は宣材写真という写真が必要なのだ。
そして応募してみたところ、オーディションがないキャンギャルの仕事に普通に通った。自分でも行けるのか!と少しキャンギャルの仕事もするようになった。
ちなみに仕事のギャラは
イベントスタッフ(8000円)<キャンペーンガール(10000円〜)<コンパニオン(13000円〜)<ナレーター(15000円〜)
の順で高くなっていくが、
仕事の大変さは
イベントスタッフ>キャンギャル>コンパニオン=ナレーター
と真逆をいく。
確かにコンパニオンは高いヒールの靴で立ち続けなければならないので辛いのだが、1時間立って30分休憩とか、そんなゆるい勤務時間で組まれている。イベントスタッフでパンプスで何時間も立っている方が辛い。
お昼の豪華さや待遇もだいぶ違う。
コンパニオンは大事に扱われるが、イベントスタッフは駒のように雑に扱われがちである。

キャンペーンガールは、当時は携帯電話会社のキャンペーンガールの仕事が多かった。今はめっきり見なくなってしまったけれど、家電量販店の携帯売り場で、各電話会社のコスチュームを着て、マイクで宣伝していたりするあれである。
他にも、該当でコスチュームを着て、撒きもの(ティッシュとか、うちわとか、新製品の試食とか)をまいたりする仕事もあった。
当時、人恐怖症な私は撒きモノとか絶対にできないと思っていたが、やってみると意外といけて(撒くものにもよるけれど)たまにやっていた。

キャンギャルをやるようになってから、しばらくしてコンパニオンの仕事もするようになった。といっても、展示会でスーツで企業ブースの受付とか、オーディションのないものが大半のコンパニオンの中でも比較的敷居の低いものをやっていた。
(コンパニオンの上位の仕事はレースクイーンやモーターショーのコンパニオンなどがある。オーディションのあるものもたくさんある)


コンパニオンの仕事をしている時に、ナレーター(企業ブースで商品のマイクを使って商品の説明などのパフォーマンスをする人)で35歳の人に出会ったことがある。コンパニオンという仕事はとにかく見た目重視であるため、若い子が多く、仕事ができる年齢にかなり限りがある。
ナレーターは見た目も必要だけれど、喋れる能力がいるので、コンパニオンより長く続けられるのだろう。その人曰く、大体同じ企業が毎年同じイベントに出ていたりするので、常連客になってもらえると毎年仕事がもらえるらしい。35歳とは思えない見た目の人ではあったけれど、衝撃的だったのを覚えているし、自分でもまだまだできるのでは?と思った。
私は声優になりたいとこの頃もまだ思っていたので、ナレーターの仕事を実はかなりやりたかった。
この人を目指してナレーターになっていたら今の人生ももう少し違かったのかもしれないなとも思う。


指名をもらう

仕事を始めて一年半ほど立った時、
住宅展示場の受付けの仕事で目指しの指名をもらった。
これは、私の前任で行った子がかなりポンコツで、色々トラブルがあったらしく、担当さんに直で頼まれていった案件で、いったところ毎週お願いしたいと、名指しで指名をしてくれた。
流れで指名されたとはいえ、名指しで私がいいと言ってもらえたことは私にとってはとても自信がついた出来事だった。
場所が遠かったのだけれども、10時スタート17時上がりで日給も良かったので、毎週その現場に行くこととなった。


コンパニオン事務所に所属するがすぐに辞めて正社員になってしまう


コンパニオンやキャンペーンの仕事をしていると、コンパニオン同士顔見知りになったりするのだが、そのうちの一人にうちの事務所に来ないかと誘われた。できたばかりの事務所でまだスタッフが少ないそうで、私はなんと、その事務所に所属させてもらえることになった。
新しい宣材写真もとり、始めてオーディションというものを受けた。めちゃく緊張して何をいったか覚えていなかったけれど、オーディションに通り仕事はもらえた。結局オーディションを受けたのはその一回だけだったけれど、貴重な経験だったと思う。

けれど、結局、この事務所に私は2ヶ月くらいしか所属をしていなかった。
実は住宅展示場で知り合った営業の人と、いい感じになり付き合うことになって、一緒に住むことになったのだ。(私が転がり込んだだけだけれど)
そうなったとき、私はやっぱり、ちゃんと正社員になって働かなくてはと思ってしまったのだ。
この選択が正しかったのか、正直振り返ってみてもなんともいえない。

所属していた事務所の人は本当にいい人でマネージャーもいい人だった。
あの人たちともっと一緒に仕事をしていればよかったんじゃないか、せっかく夢のコンパニオンになれたのだからもっと謳歌すればよかったのではないか、その先の未来を知っているのでそう思ってしまう。

当時世間にニート、フリーターという言葉が生まれ、語られるようになったちょうどその頃だった。今ほど、ニートもフリーターも一般的な存在ではなく、社会人にならない異質な存在としてそう呼ばれていた。当時の私は、18歳からバイトしかしたことがなく、周りの同世代の子達が正社員になっていき、親から言われた呪いの言葉もあり正社員じゃない≠大人じゃないと思い込んでいたところがあった。

なので、その時偶然TVでみたとある高級筆記具専門店の中途の募集を見つけ、応募したところ、高倍率を潜り抜け、内定をいただけてしまったのだ。

安心したい、安定したい、社会的に認めてもらいたい、親にも認められたいに自分が突っ走った結果だけれど、当時の自分の心情からみるとしょうがないのかなとも思う。


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