本屋に漫画が売ってることを知らなかった話
ひたすら母の買い物が終わるのを待つ
小学校に上がる前や、小学生低学年の頃、母は私をつれて買い物によく出かけた。(まだ家に一人で居られないので、一緒に行くしかないのだけれど)近所のスーパーのこともあったし、自転車に乗って少し遠くの安いお店に行くこともあった。電車で出かけることもあった。
一緒にでかけたところで、何か買ってもらえるわけではないのだが、出かけること自体は嫌いではなかった。
母は手芸や編み物が好きだったため、月に一回くらい蒲田にあるユザワヤにいった。ユザワヤに行くと、毛糸コーナーなどに行き、何十分も毛糸などを見ていた。子供の体感なのでもっと長く感じただけかもしれないけれど、当時の私にとって毛糸売り場はあまり楽しいものではなかったのでとても長く感じた。ただただ高い棚にいっぱいの毛糸が詰め込まれている世界で、早く終わらないだろうかと思いながら母の買い物が終わるのを待っていた。
母が出先でおやつやおもちゃを買ってくれることはほとんどなかったが、蒲田に行った時はたまにクレープを買ってくれた。それが楽しみで行っていたところがある。あと、うちの両親はデパートの屋上などにある、硬貨を入れて動く遊具に乗せてくれることはまずなかったが、一度だけ母が気まぐれで蒲田の観覧車に乗せてもらったことがある。すごく嬉しかったので、よく覚えている。
本屋に漫画が売っていることを知らなかった
本屋といえば、両親は私におもちゃは全然買い与えなかったが、児童書は一冊読み終われば次をといった感じで、エンドレスで買い与えていた。青い鳥文庫や岩波文庫などの児童書だ。私は本が好きだったし、現実のしんどさを紛らわすために本の世界に逃避していたところがあったので、本を買ってもらえたのは正直ありがたかった。
なので、本屋に立ち寄った時は児童書コーナーで次に読みたい本を選ばせてもらった。児童書に関しては好きなものを選んでいた記憶がある。
でも、児童書を選び終えた、もしくはまだ今ある本を読み終わっていない場合は、婦人雑誌コーナで母が立ち読みが終わるのを延々と待っていた。本屋の中でも私に自由はなかったので、母の横にただ立って待っていた。婦人雑誌コーナーの雑誌の表紙というものは子供にとっては本当につまらないもので、母も立ち読みもなかなか長くて、早く終わらないかなといつも思っていた。
漫画が解禁になった日
本屋に行っても毎回そんな状況だったので、実は私は小6になるまで漫画が本屋に売っているということを知らなかった。
ちなみに我が家は漫画も禁止されていた。正確にいうと禁止された記憶はないけれど、小6まで漫画というものはうちに存在していなかった。そもそも存在をしらなかったし、アニメが見れない時点で、そういうものを買ってきていい雰囲気ではなかった。なので、本は小学⚪︎年生という雑誌が祖母の家にあったのと、学研の雑誌がうちにあったのと、あとは図鑑や児童書があった。
漫画は小学6年生の時に、兄が突然買ってきた、それがOKとなり始めて漫画が我が家で解禁となる。私は小6だけど、兄は中3である。兄は私より長い間漫画読めていなかったのだなと思う。(その後それを取り戻すかのようにお小遣いを全て注ぐ勢いで鬼のように漫画とライトノベルを買いまくっていた)私もその辺りのタイミングで、アニメに原作の漫画があるということを知り、ふしぎ遊戯というアニメの原作漫画が読みたくて、そう言ったら祖母が探して買ってくれてとても嬉しかったのを覚えている。(小6ではビデオを使えるようになったので、宿題とピアノの練習が早く終われば30分くらい好きなアニメが見れた)その後、小学⚪︎年生をなかよしに変える許可をもらい、自分のお小遣いでも漫画を買うようなった。そこから私の人生は漫画に彩られるようになる。
買い物に一切ついていかなくなる
話は戻るが、母との買い物には小学生の中学年になると、ずっとそばで親の買い物を待っていなければならないことが苦痛となり、その後は一切一緒に行かなくなった。何か買ってくれるわけでもない(服などもお下がりだったので、必要最低限の靴とかのみ)、見たいものがあっても見に行く許可ももらえない、自由にどこかにもいけない、荷物持ちをさせられる、商品に触れることも禁止されていたので、しんどかったのだ。
でも、この親との買い物に小学生〜高校までほぼ一切一緒に行かないという行為は、その後社会に出た時に、いろいろ不便が生じたので(世の中のことを知らなすぎて、つまづきが多かった)一緒に行っていた方が良かったかなと思っている。買い物も社会勉強だなと思う。