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あなたはチョコを分けられますか?

中古で110円だった本を買った。

この中のベンチという話を子供のころ読んだ。
この本に入っていることも知ってはいたが、なかなか手を出せずにいたのだ。
国語の教科書の「戦争枠」の話だった。
私が義務教育を受けている頃は毎年国語の教科書に戦争がらみの話が載っていたのだ。
女の子といい感じになるが、同じベンチに座れない、何故なら彼女はドイツ人で自分はユダヤ人だからだというようなことを”聞かされる”話だ。
第一次世界大戦終結後、ドイツがファシズムに傾倒していく時代の話である。
ベンチという話は甘酸っぱい恋が戦争や国家と差別によって終わる、悲しい話だ。だがこの話だけでなく、本一冊を通しで読んでみると印象がだいぶ変わるように感じた。

主人公のぼくと本のタイトルにいるフリードリヒは幼馴染だ。
ぼく、はドイツ人でフリードリヒはユダヤ人。同じアパートに住んでいる。
その周りにいる大人たちはユダヤ人が嫌いだったり、同情的だったり、様々だ。
この本に出てくる人の誰の気持ちもわかるような気がするのだ。

ユダヤ人が嫌いな大家のレッシュ氏は、フリードリヒ一家をアパートから追い出すために裁判を起こした。

失業していたがドイツ労働者党に入ったら、仕事が与えられ貧乏な暮らしから抜け出せたぼくの父親。

下の階に住むフリードリヒとその母親に、同情的なぼくの母親。

熱狂してユダヤ人の寮をめちゃくちゃに荒らすドイツ人と、ぼく。

フリードリヒと同じベンチに座って、チョコを分けてくれたヘルガ。

自分の信条のために行動を曲げないフリードリヒの父親。

不当に差別されながら、必死に生きるフリードリヒ。

もしこの本を、子供のうちに読んでいたらこんなに怖い本ではなかったのだろう。
もっと子供のうちに読んでいれば「よーし、自分は差別なんて絶対しないぞ!そんなことする奴は最低だ!」くらいで終わっていただろう。

誰の気持ちもわかってしまう。誰にも感情移入できてしまう。
読了後「お前は本当に差別と無縁に生きていけるのか?差別せず、差別を許さず、差別されず生きていけるのか?」と問われたような気がした。

本当に、私は現代の日本で誰からも差別されず、誰も差別せず、生きていけるのだろうか。
今私の心に、排他的な気持ちはないのか、それは差別なのか。
とにかく恐ろしいのだ。

学校帰りに遭遇したドイツ人の集団と、ユダヤ人の寮をめちゃくちゃにしたぼくは、家に帰る。
家に帰ると一緒に寮をめちゃくちゃにしたドイツ人の一陣が、フリードリヒの家をめちゃくちゃにした。同じことをしているのに。
差別した人間も、された人間も、同じ人間で同じような暮らしを送っていたのに。
良き隣人として、友人として暮らしていたのに。

あなたは差別せずにいられますか?
あなたは差別されないでいられますか?
あなたは差別されている人にチョコを分け与えて、同じベンチに座ることができますか?
私にはわからない。
ただ眼前に、お前はどうするのか、と突き付けられた問いをひたすら考え続けるだけだろう。

私は差別される人を前に、同じベンチに座ってチョコを分け合うことができるのだろうか。

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