音楽トリビア🎵日本で最初のコマーシャルソング、的なもの💊(ムシコナーズ的な?)
みなさま、お久しぶりです😊
月より一時帰還した、マイトリの音楽トリビアのお時間です。
金魚売りの「きんぎょ~~え~~~~金魚!!」
竿竹売りの「竹や~~竿竹ぇ~」
焼き芋屋さんの「い~~しやぁ~~~きぃ~~も~~」など、
何を売っているのか遠くにいてもわかる販売方法、ガマの油売りの口上など、宣伝の音楽的なものは昔からいろいろありました。
これらは「音楽」とはちょっと違うかもしれませんが、独特の音程、節回しやリズムがあり、単なる宣伝文句とは異なると言えます。
放送において特定のメーカーの特定の品物を宣伝する音楽というのができたのは、ラジオ放送が開始してからです。
では、日本で初めて放送されたコマーシャルソングは?
民間ラジオ放送がスタートしたのが1951年(昭和26年)9月1日。
この日開局したのは、CBCとNJB(現:毎日放送ラジオ)の2局。
そして9月7日に、初めてCMソングを使ったラジオCMが、この2局で放送されました。
その最初のCMソングとなったのは、
小西六写真工業のCMソング「僕はアマチュアカメラマン」でした。
(作詞・作曲:三木鶏郎/歌:灰田勝彦)
軽快な音楽で、歌詞は「僕はアマチュアカメラマン~」で始まり、彼女の写真を撮ったけど最後は「みんなピンボケだぁ」という、ユーモアあふれる歌です。
今日は、この「放送ににおける日本初のCMソング」ではなく、
広義の宣伝曲として、一番古いと言われているものをご紹介します。
🎈諸説あります
それは、1769年(明和6年)、歯磨き粉『漱石膏』のために平賀源内が作詞作曲した宣伝曲と言われていますが、残念なことに歌詞と譜が残っていません。
現在検索すると出てくる「漱石膏」の曲は、昭和の時代に、
いずみたく&三木鶏郎たちが、平賀源内の曲をイメージして作った、
別の曲です。
これ以降では、明治後期の『オイチニの薬屋さん』が一番古いとされています。
明治の末に生盛薬館(せいせいやくかん)という薬屋が行商で歌っていた口上をもとに作られます。
軍服の傷病兵が、手風琴を弾きながら歌って売った、当時の名物でした。
1993年の映画「まあだだよ」の中で歌われているので、↓にニコニコ動画を貼ります。
この映画は、内田百閒の随筆を元に作られたそうです。
🎵「手風琴」=アコーディオンのこと。
よく見るアコーディオンより小型で軽量なタイプ、下のイラストのようなものです。
歌 詞
♪ オイチニ、オイチニ
生盛薬館(せいせいやくかん)製剤は親切実意旨となし
ハイ オイチニ オイチニ
病の根を掘り葉をたずね その効験を確かめて
ハイ オイチニ オイチニ
売薬商たる責任を 尽くし果たさんそのために
ハイ オイチニ オイチニ
春夏秋冬へだてなく 貧苦の人に施薬せん
ハイ オイチニ オイチニ
オイチニの薬を買いなさい
オイチニの薬は良薬ぞ
ハイ オイチニ オイチニ ♪
そして、薬といえば思い出すのが正露丸ですよね?
この正露丸、「ラッパのマークの大幸薬品」の薬で、ラッパの演奏のコマーシャルで有名ですね。
1951年、ラジオでのコマーシャルとして作られています。
正露丸の説明
『正露丸』は、日露戦争開戦2年前の明治35年(1902年)に発売されました。
日本薬局方木クレオソートを主原料とする薬を国産化し、『忠勇征露丸』として製造販売を開始したのが始まりです。
当時、日本の軍隊にとって衛生状態の悪い外地において兵士の死亡原因が、戦闘での戦死より病死の方が多いということは大きな問題でした。
江戸時代末期にドイツから入った木クレオソートは、胃腸病だけではなく肺炎や肺結核にも用いられていましたが、この木クレオソートをカンゾウ末などの生薬末で練って丸薬にし、兵士が戦地に携行して服用できるようにしたのがクレオソート丸すなわち『正露丸』です。
商品名は、日露戦争開戦前という時代背景から、ロシア(露国)を征伐することと、将兵の士気高揚の意味を併せて命名されたと言われています。
『忠勇征露丸』の発売以後、その効き目から、日本国内において常備薬として愛用されるようになりました。
第二次世界大戦後の昭和21年(1946年)に、大幸薬品の創業者である柴田音治郎が忠勇征露丸の製造販売権を継承し、『中島正露丸』として製造販売を再開しました。
その後、昭和29年(1954年)に『正露丸』の商標登録を行い、現在の『正露丸』という名称になりました。
~HPより引用~
ということで、本日は、
「日本で最初のコマーシャルソング的?な、オイチニの薬屋さん」と、
昭和26年にコマーシャルソングが作られた「正露丸」の、
薬つながりコマーシャルソングのトリビアでした。