懐古主義? 思考停止? みんな、騙されるな! (好きなものを語る大切さ)
ネットの海を漂っていると時々目につく投稿があるのですよ。
懐古主義ばかりでは駄目だ!
や
そんなことでは思考停止しますよ!!
とかの言説を。
なんの話しかというと具体的には絞りにくいのですが要は「古いもの、ジャンルとして狭いもの、年齢に見合ってないものを語ってばかりじゃ人間成長しないよ。」的な問いかけです。
要はもっと高尚な事をやりましょうという自己実現的な盛り上げとでも言うのでしょうか?。
これらはある側面では気付きとして大切な面もあるとは思うのですよ。でも一見ためになるっぽい金言の様で本当にそうなの?というのが私個人の感想です。
たとえば私は(今でこそおっさんですが)年齢の割に古いものが大好きだったので当時から今に至るまでこの手の言葉を実際にかけられた事も一度や二度ではありません。
噛みつき具合は様々なれど要は「昔語りで生産性が無い」的な価値の低いものを揶揄する言葉を投げつけられるわけですね。
今も昔もそのジャンルを語る際にひとつだけ守り続けている矜持が「昔は良かった」的な旗印を下に新しいものを貶したりはしないことだけは注意しています。
いや、注意もなにもやろうとする動機すらないですね。良いところは良く、悪いところは悪い。それは古い新しい関係ない話で時代や立ち位置に即して評価する事は貶すのとはまた別なお話ですし。
とにかく私は良いと思ったものがたまたま「古いもの」が多かっただけで場合によっては「新しいもの」についても同様に語るわけなのです。
まぁそんな状態でも噛みつかれる時は噛みつかれたりと(TдT)
他にも「古いもの」ばかり語って「未来をみておらず発展性がない」的な指摘を受けたこともありますが、その指摘こそ頭が固過ぎて発展性がないのでは?と珍しく攻撃的になってしまいそうな感想を相手に持ったことすらあります。
歴史というのは過去を見るだけではなく、同時に未来を見ることだと個人的には考えています。過去を知るからこそ未来に知恵を活かし、同時に過去に囚われないよう新しい試みに挑むわけです。
要はバランスなんですよ。
もし私の文章をよく読んだ上での感想でしたら単純に私の文章力の問題なのかも知れませんが、自身の受け取り方に思い込みが無かったかも考えて頂きたいなと当時は強く思いましたね。
というか、未来って絶対見なきゃいけないものなの?というそもそもな話も。内容はともかくその人の中で、勝手に結論が出来ているパターン?
さて、何でメンタルも不調な最中こんな記事を書いているかというと、この手の言説で筆を折る方をこれまでチラホラ見かけた事を思い出し、それは世界の損失だと声を上げたい気持ちが抑えられなくなったからです。そう、冒頭にも書きましたがまだ情緒不安定なので抑えが利かないのです(笑)
まぁ筆を折る・・・は大げさにしても、「そうか、自分は発展性のないことをやっていたのか・・・」的な反応をちょくちょく見かけると面識がない相手でも「待て待て待て待て待て!」と押し留めたくなる気持ちが生まれるわけですよ。
否定的な空気の中で好きを呟くことを控えだす人達を見ると「懐古主義やら発展性がない」的な発言をした方に「なんてこと言ってくれてんねんワレェ!」なんて気持ちになるわけです。
勿論その発言者の言動もまた相手を揶揄したり小馬鹿にしたり等の攻撃的なものでなければ尊重すべき提言ですし、嫌な空気の流れになってしまったとしてもそれは受け取り側の問題とは思います。
その程度のことで語れなくなるならそれは好きではないとかの味方?からの背中撃ちもあるけど。
だからこそ自分の「好き」に自信を持って欲しい、せっかくの皆の栄養を他人の言葉で納得しないままに封印しないで欲しいと願うのです。
とはいえここまでの話だと「やれるやれる頑張れ頑張れ出来る出来る〜」といった根性でどうにかする感情論でしかないので少し方向を変えまして・・・
その提言をした人自身が言うほど生産的な事をしているのかをストーカー観察してみるのも良いのかなと。
人間一方では生産的な事をやってたかと思えばもう一方ではその真逆だったりとそうそう完璧超人はいないと思います。口だけ達者で有言不実行な地獄もあるぞ!
要はその人の発言の説得力をなくせばいいのですよ。あ、あくまで自分の心の中の話なので弱点を見つけてこちらからも噛みつきましょうとかの話ではないですからね?(;´Д`) ウラハ ナイカラネ
え、観察したけど完璧超人だったって?
もしかしたら裏アカウントがあったりや、本当に完璧超人かも知れませんね。
それならそれで完璧超人から良い手法だけは学びましょう。その上で自分の好きと改めて向き合えばいいんですよ・・・だって別に勝負ではないのだし、生産性が上がった上で好きを語ればより最強じゃないですか。(そもそも生産性を上げる必要があるかどうかの話もある。)
そんな簡単に割り切れないよ・・・たしかに仰るとおり。では歴史を振り返った事例をひとつ。
今や老若男女大人気なサブカルチャーに漫画というものがありますよね。この漫画も一昔前は生産性のない低俗な文化と呼ばれたらしいです。
それが今や日本という国の個性と認識され、低俗どころか高尚な芸術とも言える領域で扱われてすらいます。メディアも手のひらクルクルでこぞって話題にしてますよね。
ちょっと話が大きくなりすぎましたが、作り手と受け手、「自分の好き」に胸を張る人々がいたからこそ漫画は不動の文化と成り得たのかなぁと妄想するのです。
(脱線しすぎたので閑話休題)
自分の好きを語る / 他人の好きを眺めるというのは歴史の声を残し、同胞に栄養素をお裾分けし、自分を表現する最高の娯楽のひとつだと思います。
ゾーニングを守りつつ相手の好きなものに泥をかけたりしない限りは人からとやかく言われる筋合いのものではありません。(但し押し売りはあかんけど)
というか、その好きを体感した人々が語らないのはその熱量を後世に残さないという事になり、寧ろ自分達が残さなくて誰が残すねん!といった話だと思うのですよ。
なので私はこれからも自分の好きを折れず曲がらず人様の邪魔をせず語り続けたいと思います。
なのでもし迷っている方がいらっしゃれば無差別に投げられた指摘なんて気にせずに、思うがまま好きを語って皆や私に栄養を分けてほしいなぁと思うのです( ˘ω˘)
<別視点での記事を書きました>
<次のお話>
<前のお話>
<どくのぬまちをあるくのにそんなそうびでだいじょうぶか>
私のマガジンの中で唯一笑えない話や真面目な話を纏めています。 まぁフィクションですし(゚∀゚) シカタナイ