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幸せスパイラルと文化年表で探る自己の足跡

別に重い話をするわけでもないのですが、私は幼少期の生育状況が少しばかり特殊でして・・・その影響で小学生の途中に一息つくまでの人生の足跡がかなり曖昧だったりします。

まぁどのみち幼児だと記憶も限られているわけですから普通なら周りの大人に聞くという当たり前の選択肢が出てきます。

しかし残念ながら私はその選択肢を取ることは出来ず、ぽっかりと空いてしまった自分の足跡を埋めるには自力でどうにかするしかないわけです。

とはいえ曖昧な思い出だけでは主観的な思考に左右されるので手がかりとしてあまり役に立ちません。美化や悪い方へ解釈したりと記憶者自身の願望や意図が反映されてしまうからです。

念の為、別に食うに困りつつ橋の下等の厳しい環境で育ったわけでもなく、ちょっと難しい家庭環境と時折死にそうになること以外はそれなりに恵まれた子供時代を過ごさせて貰ったと思っています。


たとえば「公園で友達の〜ちゃんと遊んだ!」という記憶があるとして、その〜ちゃんの年齢やその公園の場所等は人と地域の繋がりが途切れている場合は確証が持てる話ではなくなってしまいます。

まぁ誤差としては数年程度なのですが、幼少期の数年とは大人になって感じる以上の時代の隔たりがあるわけです。


そんな時に役立つのが文化年表・・・今回の場合はテレビ番組やゲームによるマーキングです。

私は幼少期は外に出られないことも多かったのでテレビにはとてもお世話になりました。アニメや特撮に海外ドラマ、コントに現代劇や時代劇と幼時にとって当時のテレビは飽きずに眺めていられるだけの魅力的なびっくり箱でした。


ゲームもまたデパートの試遊台にゲームセンターとマーキングに大活躍ですね。当時普及していたゲーム機や各種ソフトに触れた年代をキーに当時の自分を推察することが出来るわけです。


勿論テレビ番組なら再放送やゲームにしても発売年に遊ぶとは限らない等の誤差の要素はあるのですが、他の記憶と繋げていくことで精度はそれなりに上がっていくわけです。

私の記事は昔語りが大きな割合を占めるのですが、それは昔のものが好きであると同時に今でも自分の足跡を探った際の副産物として思い出せたものをそのまま記事にしているという側面もあったりと。

あ、誤解を避ける為に補足しておくと別に昔は良かった的な思考では書いてはないですね。あくまで「良いものは良い!」という単純な話でその良いものを皆にも共有したいなという。

そう、私人生は逆風のお陰で後ろ向きなんですが、思考は常に前向きなつもりなんですよ(笑) ダークポリアンナの良かった探しレベルで



(閑話休題)


自分の足跡を調べるというのは自分自身を知る以外にも新たな記憶の掘り起こしに繋がることがあります。たとえばある記憶周辺を時系列化していると「あれ、なんでこの時期にこの文化と触れることができたんだ?」とか「なんでこの文化のことを強烈に覚えているのだろう?」と違和感を感じることがあります。

そうして深掘りしていくと・・・単純に眠っていた記憶や当時の隠れた文化を思い出したりとアドベンチャーゲームの「フラグが立った!」状態になるわけです。


ダンジョンにはお宝が眠っている(かも)


特にSNSで繋がっていると記事や呟きに反応してくれた人々が新たな気づきを与えてくれます。もうそうなると幸せスパイラルな状態になるわけです。鬼ころは飲まないけど

そんなわけで私のように幼少期の足跡が不透明な場合だけでなく、がむしゃらに生きてきてふと「あれって何年頃の話だっけ?」と思った方は自分にとっての身近な文化から年代を特定してみるのも面白いのではないでしょうか?

自分のルーツを探す旅は天寿を全うするその日まで終わらないのかも知れません。終わりの始まり始まりの終わり。

今回の記事を書いててこぼれ話が幾つか出たのでまた形を変えつつ続きを書こうかなと思っています。


<次のお話>

<前のお話>

<どくのぬまちをあるくのにそんなそうびでだいじょうぶか>
私のマガジンの中で唯一笑えない話や真面目な話を纏めています。 まぁフィクションですし(゚∀゚) シカタナイ

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