戦国武将に学ぶ!No.28~酒井忠次①~
”軍師” こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。
このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。
私は日ごろより周りの方々から
”軍師” というニックネームで、
お呼びいただいています!(笑)
社名であることもその理由ですが、
私は自他共に認める歴史好き!
とくに戦国時代が好きです。
今回は、私が好きで見習っている、
学んでいる武将や軍師を紹介するシリーズ。
ぜひ最後まで楽しんでいただけたら幸いです。
■徳川四天王のムードメーカー
前回の記事で
「織田四天王」の話をしましたが、
今回は「徳川四天王」の一人、
酒井忠次です。
酒井忠次は、「どうする家康」で
大森南朋さんが演じられています。
家康よりも15歳ほど年上とされ、
実は家康の叔父にあたる人物です。
幼き日の家康が今川家の人質と
されたとき、世話役として
付き添っていたのがこの忠次です。
家康と生涯を共にし、また家康が
信頼を置いていた人物でもあります。
武術にも長けたといわれる忠次ですが、
強いだけでなく、周囲を楽しませる
ムードメーカー的存在だったとも
いわれています。
「どうする家康」の中で
忠次が「海老すくい」という踊りを
披露するシーンがありましたが、
これは現代風にいうと、
一発芸や持ちネタのような感じで、
「忠次さん!いつものあれ、
お願いしますよ!」と、
宴席でせがまれて、鉄板ネタを
披露するようなイメージです。
徳川四天王という、いわゆる偉い人、
と思われるような立場の武将としては
想像しづらいかもしれませんが、
忠次は人を楽しませたり
喜ばせたりすることにも長けていて、
場を盛り上げられる人でした。
この「海老すくい」を織田信長の前でも
披露したともいわれていますし、
北条氏との大切な同盟を結ぶ際にも
北条氏から「海老すくいを見たい!」
とリクエストされ披露した、
という逸話も残っています。
忠次のこのギャップが
個人的に私は好きで、
現代の会社や組織にも忠次のような
ムードメーカーがいることは
とてもありがたいことだと思います。
■酒井の太鼓
三方ヶ原の戦いという、
徳川家康が唯一、負けた戦いがあります。
この戦いで武田信玄率いる武田軍に
負けた徳川軍が、浜松城まで
逃げ帰ったときのこと。
家康は後から逃げ帰って来る
兵士たちのために、
城の門を開け放したままにして、
門前で大きな火を焚かせました。
敗走した徳川軍を追ってきた
武田軍の兵士たちは、
負けたにも関わらず
大きな火を焚いているのを見て
「怪しい」と感じ、
攻めずに様子を見ていました。
すると、城の中から突然、
高々と太鼓の音が鳴り始めました。
これは、戦に負けて士気が
下がってしまった兵士たちを
元気づけるために、
忠次が鳴らした太鼓でした。
負けたはずなのに
浜松城では大きな火が焚かれ、
城内では盛大に太鼓を打ち鳴らして
大盛り上がり…
通常では考えられない状況に
不穏なものを感じた武田軍は、
城を目の前にして攻めるのをやめ
急いで浜松城を離れ、結果的に
徳川軍は守られたのです。
この逸話はても有名な話で、
忠次が兵士たちのために太鼓を
叩いたことが結果的に功を奏したのか、
あるいははじめから城を守るために
太鼓を叩いたのかは定かではありません。
しかしいずれにせよ、
忠次が明るく、機転が利く人物で
あったことが伺える
面白いエピソードだと思います。
そんな忠次は、
家康の天下統一を目前にして
亡くなってしまうのですが、
間違いなく生涯に渡り
家康をサポートした三河武将の
代表的な人物だと思います。
晩年には、家康との関係性が
上手くいかなくなってしまう
場面もありますが、またの機会に
ご紹介したいと思います。
毎週欠かさず見ている「どうする家康」。
作中で忠次がどう描かれていくのか、
今後も楽しみにしています!!