![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/151113831/rectangle_large_type_2_f6c29b6c2ae65a1233e1a286367ee4ee.jpg?width=1200)
【甲陽軍鑑】信州・海尻合戦
甲陽軍鑑品第二十に書かれた戦いを紹介します。
信州海尻の合戦
天文9年(1539年)の正月晴信の重臣である板垣信形の巧妙な策略により、信州海尻の侍たちを説得し、晴信の陣営へと引き入れることに成功します。これにより、海尻の城は無血で開城され、晴信に献上されました。
海尻の本城の守備は、日向大和守が二の丸、長坂左衛門と三の丸を担当しました。
本丸の守備は板垣信形、飯富兵部、甘利備前守、小山田備中の4人の家臣によって分担されることになり、くじ引きの結果、小山田備中がその責務を担うこととなりました。
その後村上氏の軍勢が反撃があり籠城することとなりました。
この事態を知った晴信は、自ら馬を駆り、一騎がけのごとく先陣を切って攻め込みました。彼は七千余りの軍勢を率いて敵を圧倒し、1月31日の午後には、敵兵313人を討ち取るという大勝利を収めました。この勝利により、海尻の城は完全に晴信の手中に収まり、その支配を確固たるものとしました。
なお、別の資料によれば、この戦いで晴信は正午頃に敵三千を攻め崩し、雑兵九百十三を討ち取ったとも伝えられています。
いいなと思ったら応援しよう!
![ざっくり甲陽軍鑑紹介](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/139345324/profile_b8b55391216da4193baa570edef50442.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)