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小学1年生の「学校行きたくない」に必要なのは安全基地と言われてやってみたこと
小学1年生だった息子の行き渋り。当時は、行きたくない理由が分かればなんとかできる気がしてしまっていて、私は「何が嫌なの?何が解決したら行けそう?」と自分が知りたいことをダイレクトに息子に聞きすぎていたように思う。追い詰めてしまっていたかも。行き渋りの理由は本人も言語化できておらず、あまりはっきりとした答えが聞けずに焦りが募る。
学校に行けない日が1週間、2週間と続いて、ベテランの担任の先生と面談してもらえることになった。
教室での息子は、忘れ物をしたとかそういう困りごとは先生に伝えられても、人間関係の困りごとは一切言ってこないということで、もしかしたらここに何か糸口があるのかもしれないと。SOSを出せない事は本人にとってもストレスである。
それから、学校に来ることは、子供にとっては冒険のようなものである、ということも教わった。大勢の人がいて、どういうことが起きるかわからないところに出かけていくのは、子供にとっては勇気がいること。勇気を出すには、何か問題があったらすぐに戻ってこられる「安全基地」があることが大事だということ。息子にとっての安全基地は、まだ十分に出来上がってないのではないかと言うことを言われた。
これは私にとってはかなりの重たい言葉であった。
私は息子にとっての安全基地にはなれていない…。
確かに、ひとり親になってからは3人の子供を育てるのに手一杯であった。末っ子にとっては、母1人になってから、心許ない気持ちもあったとて不思議はなかったかもしれない。
さて。どうすれば息子の安全基地を取り戻すことができるのか。
その答えは、子供のSOSを受け止めること。具体的には、もし学校で困ったことがあったら、大人に言えばいいんだよと言うことを伝えて、経験してもらうこと。だから、もし教室で辛くなってしまって学校から帰りたいと思ったら、私はいつでも仕事を投げ出してすぐに迎えに行くから大丈夫だよ、という約束をすることにして、担任にも職場にも理解をしてもらった。
これはともすると甘やかしに映るかもしれないけれど、安全基地を作り上げるための大事なステップとのこと。
それと同時に、基本的な社会のしくみは正しく毅然と伝える。小学生は学校に行って学ぶのが役目であること、大人は仕事に行って家族のためにお金を稼いで帰ってくることが役目であること。「学校に行きなさい」と言う事は何も間違っていないというのが担任の意見であった。私はいまも「あなたの役目は学校で賢い頭を作ってくること」「お母さんの役目はお仕事」「今日もお互い頑張ってえらいね」をことあるごとに刷り込みのように繰り返している。
そして、息子はまた学校に行くことができた。最初のうちは給食の前になると「お母さんに電話して迎えにきて欲しいです」と担任にSOSを出すことができた。会社に電話がかかってきて、私は約束通りすぐに仕事を切り上げて小学校に迎えに行った。迎えに行ったときの息子の嬉しそうな顔は今でも覚えている。続けて3日ほどSOSの電話がかかってきただろうか。私はその都度仕事を投げ出して(職場の皆さんには迷惑をかけたけれども)迎えに行った。
困ったらSOSを出していいんだ。SOSを出したら助けてくれるんだ。息子はそれをわかってくれたと思う。それからは、たまに行き渋る素振りをみせることはあっても、また学校に行けるようになった。安全基地の土台はできたのかな、と感じる出来事であった。