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食べてはならない戒律と好き嫌いの違いを伝えるのは難しい?
世界にはいろいろな宗教や思想、信条があって、なかには特定の食べ物について「あれは食べてよい/これは食べてはならない」のような戒律があるものもある。
日本も国際化しているものだから、そうした背景を有するひとたちが入ってきて共に生活することも珍しくなくなりつつある。
そこで問題として出てきたのが、戒律などによって特定の食べ物を食べてはならないひとが学校給食のような場に含まれていたらどうするのかという点だ。
たとえば、ある肉だとか魚だとか野菜だとか、そうしたものを食べてはならないという姿勢をどこまで尊重するかという話なんだろう。
食べたら明確に害が生じるアレルギーでさえ、子供でも大人でも理解を示さないひとはそこそこいるという。では、そういう事情がなく、しかも多くの日本人にとっておそらく精神的に馴染みが薄いであろう戒律などにより食べられないものがあるという主張は、どれくらい受け容れられるか。
小学校で先生が「食べ物の好き嫌いはいけません」との食育をしたとして(実際の食育の理念や実践はもう少し丁寧だけど)、戒律などで食べられないケースが単なる好き嫌いやわがままとどのように違うのか、6~12歳くらいの子供らに納得してもらえるように説明するのは、もしかするとかなり大変なんじゃないかと思う。
また、仮にAさんの「食べてはならない戒律」とBさんの「食べないといけない戒律」が相対立したとしたら、どう対応するのかといった思考実験も悩ましい。
「食べられることに感謝して、なんでもありがたくいただこう」とするだけでは済まないところが、現代的な食べ物との関わり方の難しさか。
ルールが複雑になると大変だ。