一過つづり

パッと浮かんでサッと書く。 きっとそんな感じ。

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最近の記事

セールだから何か買うものないかな、みたいなのは引っかかる

 ブラックフライデーである、セールである、と世間もチラシもネット広告も賑わっているようだ。数年前から日本では唐突に出てきた感のあるブラックフライデーとやらがセールを指すのは未だに馴染まない。なんならブラックと付いているだけで、お得よりも邪悪を含意しているような気さえしてしまう。  それはそうと、ブラックフライデーなので何か買うものないかな、みたいなスタンスの発言や投稿をちらほら見聞きしたので、やや首を傾げてしまった。  元々欲しいものがあって、それがセールで安くなったから買

    • 思い込みで生きたり死んだり

       人は思い込みの中で生き、思い込みによって死ぬ。  思い込みで人が命を落とす例として、ある囚人実験が挙げられる。  いわゆる『ブアメードの血』だ。  まず、囚人の手だか足だかを軽めに斬り、血が滴り落ちる状態にする。  ただし、囚人からは自分の傷口や出血部分が見えないようにされている。  囚人は事前に、人間は○%の血液を失うと死ぬ、と聞かされている。  この状態で、すでに血が止まっているが、囚人には水音を聞かせ続ける。  囚人はその水音を、自分の血が流れている音だと思い込む

      • 歌のすごさについて

         歌と言えば、中学校や高校の合唱以来ご無沙汰という人も、それなりに多いかも知れない。それだけ「歌う人」と「歌わない人」はくっきり分かれている。  当たり前のように学校で歌わされるものだからあまり感じにくいが、実は歌ってけっこうすごいと思う。何がすごいかって、いろいろあるけれど、とりわけ感じるのが「歌にするだけでどれほどヤバい歌詞でも受け容れられてしまう」効果だ。  実際、世に流れる歌の歌詞だけ取ってみると、意味不明な電波だったり、何が言いたいのかわからなかったり、非常に暴

        • 良いものは薦めたいが、良すぎると伏せたくなる

           良いと思ったものは他者に紹介して広めたくなる。大抵のものは広まって知名度を獲得することがプラスに働くので、応援の意味でもお薦めするのはいいことだろう。  そうしてお薦めしたものが相手にも喜んでもらえると、それもまた嬉しく感じられる。良いものを薦めたり薦められたりするのは好循環を生み、互いに知見が広がるため、積極的にやっていくのがいい。  ただ、それはあくまで「良いもの」の範疇だった場合の話だ。自分にとって「良すぎるもの」は、逆に誰へも教えず伏せておきたくなる。  理由

          書店はいいけどよくない

           故あって書店へ行き、中を歩き回ったのだが、本当によくない。書店はよくない。これをわたしは常々言っている。目の毒だからである。  たくさんの本が並んでいる。新刊は平積みになり、既刊は棚差しになっている。見て回っていると、だいたいは何かしら欲しくなる。目の毒である。  つくづく、紙の本は贅沢品だと思う。もともと書物など贅沢品で、活版印刷の技術などを経て一般に広がったわけだが、それが一周してまた贅沢品になって来ているのじゃないか。  紙の本を我がものとするうえでの3要素があ

          書店はいいけどよくない

          「他人に興味がない」というのはダサいか

           少し前、「他人に興味がない」と公言するのは格好悪いといった趣旨の意見を見かけた。他人に興味がないこと自体はともかく、それを公言して憚らない――しかもどこか得意げに――メンタリティが仄かに気色悪く、ダサいのだという。  これはわからないでもない。誰かからしつこく問いただされたならともかく、聞かれもしないのに自ら興味がないことをアピールしているのなら、それはむしろ逆の内心を吐露しているように見えてしまうからだ。一種のイキりと捉えられても仕方がない。  けれども、他方で「他人

          「他人に興味がない」というのはダサいか

          貸金庫からの盗みはミステリに似て

           銀行の貸金庫から行員が窃盗を、しかも数年にわたって行っていたというニュースが巷を騒がせているけれど、元行員などの関係者が一様に首を傾げているのが興味深い。曰く「あり得ない。どうやって?」と。  銀行の貸金庫なんてセキュリティがガチガチで、一度盗むだけでも相当難しく、ましてや複数回繰り返し、年度をまたいでも発覚しないなんて極めて異常だというわけだ。  関係者は大慌てだろうし、被害に遭った方は非常に気の毒と思うのだが、第三者の立場からすると、かなり興味を惹かれる話だ。なんと

          貸金庫からの盗みはミステリに似て

          単に偉そうなだけなら案外嫌われない

           偉そうな態度の人は嫌われる、という。本当か。  逆に好かれる能力に特化した「人たらし」は、特段謙虚でも控えめでもない気がする。  むしろ、ぐいぐいと他人との距離を縮めたり、思わず呆れるほど図々しい一面があったりすることも珍しくない。  それに「下々の者です」「召使です」みたいに、自分が下の立場であることを強調する(つまり「偉そう」の正反対の)姿勢でいる人が嫌われないとも限らない。  そうすると「偉そう」なのは、それ自体が嫌われる要素じゃないんだと思える。  偉そうな

          単に偉そうなだけなら案外嫌われない

          食べてはならない戒律と好き嫌いの違いを伝えるのは難しい?

           世界にはいろいろな宗教や思想、信条があって、なかには特定の食べ物について「あれは食べてよい/これは食べてはならない」のような戒律があるものもある。  日本も国際化しているものだから、そうした背景を有するひとたちが入ってきて共に生活することも珍しくなくなりつつある。  そこで問題として出てきたのが、戒律などによって特定の食べ物を食べてはならないひとが学校給食のような場に含まれていたらどうするのかという点だ。  たとえば、ある肉だとか魚だとか野菜だとか、そうしたものを食べて

          食べてはならない戒律と好き嫌いの違いを伝えるのは難しい?

          高評価と低評価の口コミを見て思った

           旅行するにあたって、宿泊予定のホテルの口コミを眺めた。☆5から☆1まで幅広い評価とコメントがレビューサイトに連なっていたのだが、見事にコメント内容が分かれているのである。  とりあえず圧倒的に☆5の数が多く、☆2や☆1は少なかったので、総合的には良いホテルだと思っていいのだろうが、コメントの内容はわりと正反対で、それが不思議だった。  「食事の量が多い/少ない」「手の込んだ料理が多い/出来合いの料理が多い」「大浴場がきれい/汚い」「スタッフが親切/不愛想」といった具合で

          高評価と低評価の口コミを見て思った

          普通レベルのことでも、いい感じ

           教育する人、あるいは理想が高めの人なんかだと、普通レベルのものを称賛することに難色を示す場合も多い。 「そのくらい普通でしょ」 「できて当たり前」 「その程度でいちいち褒められるわけがない」  みたいに。  確かに「身だしなみを整えられています」とか「寝坊しないで出かけることができました」とか、そんな程度のことを大袈裟に褒めるのはどうもね、というのはわかる。  ただ他方で、何かができたことに対して「そんなのは普通だ」と言うことがポジティブな効果を生むとは思えない、って

          普通レベルのことでも、いい感じ

          丁寧な対応は接客側の豊かさから生まれる

           以前、高級ホテルのスタッフの給料はそのホテルのランクに比してあまり高くない、といった話題を見かけたことがある。宿泊客は1泊数万円、十数万円という金額で泊まっているのに、スタッフは安めの給料で働いているのだという。  実際どこのホテルの給与水準がどうとかいう話でもないけれど、スタッフの働きには自分の勤めるホテルには泊まれるくらいの対価が支払われていてほしいなと思う。  これは何もホテルに限った話ではなく、車を売る人は自社の車を、家を扱う人は自メーカーの家をそこそこ余裕で買

          丁寧な対応は接客側の豊かさから生まれる

          人生って詰め放題に似ている

           人生は詰め放題に似ている。いや、人生は詰め放題そのものだと言っても過言ではない。……過言かも知れない。  ともあれ、詰め放題だ。詰め放題の本質とは何だろうか? 定額でどれほどの量でも詰め込める楽しさか。たくさん詰め込めるようでいて、案外そうでもないことか。それとも詰め放題に目の色を変えて無理やり詰め込もうとする人の浅ましさか。  どれも違う、と言いたい。  詰め放題に本質があるとすれば、それは「同じ容器に詰め込むにもかかわらず、人によって詰め込める量に大きな差が表れる

          人生って詰め放題に似ている

          待ってもいいかな、と思える秒数

           パソコンやスマホでネットにつないでいて広告を一度も「邪魔だ」と思ったことのない人というのは、そうそういないんじゃないか。  大抵の人はコンテンツを無料または安価で享受するためにやむを得ないからと許容しているだけで、自分のネットライフ上、広告があったほうがいいか無いほうがいいかの二択を迫られたら、たぶん広告ナシを選ぶだろう。  その広告を出している会社の社長さんや、広告を制作しているデザイナーやクリエイター本人でさえ、プライベートのネット利用で広告を積極的に見たいとは思わな

          待ってもいいかな、と思える秒数

          学校制度はもっと柔軟でもいい気がする

           人によって成長のスピードが違うというのはわりと常識の部類だろう。  小さい子供なら、3月生まれと5月生まれとで学年が1年違って発育に影響を及ぼすという話もある。いわゆる早生まれと遅生まれの問題だ。  人間をどこかの時点で区切って分けて同じ学年にする、という学校の仕組み自体は別にいいと思うけれど、同じ年数で卒業しなきゃいけないっていうのはもっと柔軟に変えていい部分なんじゃないか。  肉体の発育もそうだけど、頭脳の発育だって人それぞれだ。  ゆっくりペースで知識を学ぶ子供が

          学校制度はもっと柔軟でもいい気がする

          微笑ましいからって笑っていいとも限らない

           笑顔というのは基本的に喜びや幸せを示すもので、家族なり友人なり恋人なりの親しい相手と笑顔を交わすのは心の温かさをもたらす。  が、それは親しい相手だからこそ、という面もあるようだ。  不仲な相手はもとより、別に親しくもないが仲が悪いわけでもないといった中立的な相手でさえも、理由なく笑われると落ち着かない気持ちになったり、気まずい感じになったりすることがある。  笑われたことで何かバカにされたような気がした経験のある人もわりと多いんじゃないだろうか。  よく、大人が子供

          微笑ましいからって笑っていいとも限らない