『ルックバック』『水車小屋のネネ』
『ルックバック』
2025/1/4
脚本,監督=押山清高、原作=藤本タツキ、主演=河合優実
コンパクトにまとまっていて飽きずに観られた。ifの世界線への接続とタイトル回収が鮮やかでわくわくした。創作をめぐる同性の子ども同士の結びつきと、なぜ描く(書く)のかという純粋な問い立てに、野﨑まど『小説』を思い出した。
60分だし読み切り原作だし、あれこれテーマを盛り込みすぎると回収しきれないから1つに絞るのはアリだと思うけど、私は藤野と京本が生きている外の世界も見たかった。
『小説』の前半についてはむしろあの、薄暗い書庫の中で本を読み漁る2人の男の子の描写が、子どもたちだけの閉鎖的で自由な空想の世界を立ち上げることに寄与していて、それがそのまま読書という営みの豊かさを象徴していて素晴らしいと感じた。だからこそ、後半大人になってからの現実的な外の世界の描写によって当初のマジカルさが失われたのは少し寂しく思った。
『ルックバック』について、2人を取り巻く外の世界を見たいと思ったのは、キャラクターが女性であったからかもしれない。女性を出すなら絶対にフェミニズム的な視線を入れろということではないのだけど、単純に彼女らの家族やお金や生活はどうなっているんだろうと気になってしまった。そしてキャラクターが男の子であったなら、少年たちの夢、青春、といったまなざしをもって気にならずに見てしまえるのかもしれないと思い至ってちょっと震えた。
問題を掘り下げて解決まで描写することはできなくても、京本の訛りや引きこもりの背景、彼女らのデビューや進学や暮らしについて、家族をはじめとする周囲の反応が全く差し挟まらないのはやはり不自然に思える。メインストーリーから派生する一切を削ぎ落とすことで、構成をわかりやすくするとともに創作というテーマへの純度を上げているとも解釈できるけど、生きた創作物は生きた創作者から生まれるもので、それは生活に付随するさまざまな煩わしさや揺らぎと不可分であるはずだ。私たちは幸か不幸か複雑な社会の中で有機的にしか生きられないから。
『水車小屋のネネ』
2025/1/4
津村記久子,2023,毎日新聞出版.
弱く小さい子どもたちが、複雑で大きすぎる世界を前に、立ちすくみ、手を取り合うような物語は、映画だと『怪物』や『マイスモールランド』、小説だと津村記久子『水車小屋のネネ』や武田綾乃『愛されなくても別に』など、パッと考えただけでもいくつか思い当たる。
『水車小屋のネネ』は本当に素晴らしかった。比較的最近、デビュー作の『君は永遠にそいつらより若い』を読んだこともあって、それから15年以上経ってなお通底する問題意識を津村さんは持っているのだと感じた。弱者に対する搾取と暴力、労働とお金と暮らしの問題、女性が男性パートナーへの依存無くして生きること。それぞれの作品における登場人物が、たしかに違う人物だけれども、文脈を引き継いで別作品で生きているように私は思えた。
『君は永遠にそいつらより若い』の感想では、「津村さんの小説の語り手たちは優しさを受け取る体勢、祝福される準備というものを圧倒的に欠いている」と書いたけど、『水車小屋のネネ』の語り手姉妹は、決して依存はしなくとも少しずつ周りの大人を頼っていかないと生きていけない、そのくらい自分たちには力がないということをよく理解している。助けてくれる人々に恵まれ、それがどれだけ幸運であるかを自覚し、大人になってから自分がもらった優しさを他人に向けたいと思っていることがとても嬉しく尊く感じた。
時代が下るにつれて社会は混迷を極める一方だけど、この社会で一体どうやって生きていくことが可能か、作品を超えてロングパスのアンサーをもらった。小説内世界の人物たちではあるけれど、かれらと一緒にだったらなんとかもう少し、強く優しく生きていけそうな気がする。