パーティの後片づけは、大変な方がいい
前回の記事にも書いたのですが、私は5日前に仕事を辞めた。
仕事が好きだったし、人間関係も良好だったし、コロナ禍でも安定している組織だった。
「もったいないよ」
そう言われても仕方ない「お別れ」だった。環境も、時期も、全てをひっくるめて「もったいない」。だれでもない自分自身が一番わかっていた。
でも、だれもこの言葉を使わなかった。だれも私にそう言わなかった。一緒に働いた人も、家族も、友達も、恋人も。だれ一人とて言わなかった。私はそれを深い優しさだと思うし、柔らかく、温かい、愛だと思った。
辞めたあとの私はと言うと、日々をのんべんだらりと過ごした。
そうしようと決めていた。私にはそれが必要だと思った。うまく言えないのだけど、絶対に必要だ、と。べつに病気を患っているわけではないし、税金だってきちんと払っているし、もっと社会的なことを伝えるなら、二〇二一年六月二十四日の私は余った有休を消化しているだけなのだ。まだ籍は会社にあるのだ。だから、堂々とだらけていいのだ。好きなように。
しかし現実はずいぶん違う。
たった3日だらけただけでも、罪悪感のようなものがぽつぽつ襲う。一応言っておくと、私は勢いに身を任せるタイプの性格で、学生時代についたあだ名は「猪突猛進」。つまりは計画的に物事を進めたり、慎重に一歩ずつ進む、というような性質を持ち合わせていない。そして心配性でもない。なるようになるし、したいようにする。だって私の人生なんだもん。そう言って生きているタイプです。でももう一度だけ言っておきます。私は税金は払っているし有休を使っています。(強調)
そんな私がたった3日仕事に行かないだけで、こんなにも複雑な気持ちになるなんて。習慣って恐ろしい。
それでも新たに作り上げる「習慣」だって、ある。
早朝から一人ゆらゆらと散歩をし、昼夜逆転をなんとか戻し、勤め人だった頃に悩まされた肌荒れが瞬く間に治っていった頃、一本のドラマを観た。大豆田とわ子と三人の元夫。
私は坂元裕二さんの脚本が好きで、「カルテット」「最高の離婚」を愛している。聞き逃しそうな会話劇が楽しくて、これまでも自分の人生にたくさんの影響を受けた。
働き出してからはテレビドラマを観る機会がぐっと減ってしまった。残業したり、呑みに行ったりすると、見逃してしまうので。
私は大雑把な人間なのに、1話が抜けるとか、冒頭の5分を見逃すとか、そういう類のことはどうしても許せない面倒な質なので、ドラマはあまり観ないようにしていた。
それでも坂元裕二さんの作品だけは!というわけで、リアルタイムではないものの毎週ちまちま録画して、気が向いた時に観る、というスタイルで なんとか「ややリアルタイム」くらいには追い付けていた。
最終話が放送されたのは6月15日。
この頃、私は退職間際で、日々どたばたと駆けずり回っていたので、気持ちも少し落ち着いた今日、やっと観ることができた。
私、このドラマって、主人公・大豆田とわ子の幸がほんのちょっと薄いというか、「なんだかなぁ」みたいな瞬間を切り取った作品だと思うんです。
毎話毎話がハッピーで溢れるわけではないし、かと言って大事件が起きるわけでもない。ただ、日々のゆっくりとした波とか、ちょっとツイてなかったし、ちょっと疲れたな、っていう緩やかな悲しみを、ぽつぽつ描いていくような。もちろんユーモアをたっぷり混ぜて。
だからこの作品の意味がわからない人も多いと思うし、「なにがおもしろいの?」って言いたくなる気持ちも少しわかる。カルテットのように ちょっとしたサスペンス展開もないし、なんなら私も「最高の離婚」の方が好き。それでも脚本家のファンだから、という理由と、会話劇が好きだから、という理由で観続けていた。
そして迎えた最終回。私が一番ぐっときた台詞。
パーティの後片付けは、大変な方がいい。
誕生日でも記念日でもない、平凡な日に元夫たちが集まってきて、眠っているとわ子の家でキャンドルに火をつける。そりゃもう大量に。
目を覚ましたとわ子はそれを見て、「片付け大変そう」とギョッとする。そんなとわ子に放たれた一言。
私はこれを見て、そのまま、今の自分に重ねてしまった。
仕事に行った最後の日、私はとてつもなく盛大に送り出された。と、思う。「盛大」と言ったって、クラッカーがそこら中でぱんぱん鳴り響いたとか、大人数から拍手を浴びまくったとか、そこかしこで人が泣いて悲しんでくれたとか、そういうのじゃない。
持ちきれない送別の品とか、懐かしい写真の数々とか、掛けられる言葉の美しさとか、そういうものすべてに、想いがまるごと詰まっていた。
組織なんて、一人抜けたとて回り続けるのだし、私は平社員でしかないし、絶対的エースとか期待の新人とか、人望が厚いとか、そんなんでもない。
ただ私が重ねてきた日々を、その目で見て、知ってくれて、認めてくれて、送り出してくれた。
私は仕事で大きな功績を残していない。
いなくてはならない存在だったわけでもない。
それでも、職場で過ごした「平凡」な日々を、肯定してくれた人が居た。それが職場の人たちだった。
でも、「盛大」のあとは悲しかった。なにかを失った虚無感、感謝すればするほど、向き合わなければならない自分の欠点。ありがとう、ではなくて、申し訳ない、という気持ちが強かった。
私は長い間 地下室に籠っていたような人間で、それはつまり内向的と言えばわかってもらえそうなのだけど、本当は人と話すのも苦手だし、全然優しくなんかないし、とにかく苦手なことが多くて、十代の頃は自信のなさで息絶えそうな毎日だった。
こんな話をすると「見えないね!」と言われて終わる笑い話と化す。それくらい、働いていた私は「外交的」だ。
でもそれは外側だけの話。内面はやっぱり変わらない。
自分に自信がなくて、他人と居るより一人で居るほうが好きで、夏のバーベキューも冬のスノボも嫌い。それより部屋でもそもそと考え事をしたり、本を読んだり、音楽を聴くのが好き。もう根っから暗いし、そういう自分はとうに受け入れた。ただ、私は「外交的な振りをする私」を、まだ受け入れきれていなかったみたいだ。
だから混乱した。盛大なパーティのあとの静寂になんか、耐えられない。だってパーティしたことないもん。私の人生にパーティなんかなかったもん。
ドラマの方は、こうやって続く。
朝起きて、なにも変わらない風景だったら寂しいでしょ?
そうかな?と言ったとわ子に、元夫は淡々と話す。「次の朝、意味なく並べられたワインのコルク、テーブルに残ったグラスの跡。みんな楽しかった思い出でしょ?どれも君が、愛に囲まれて生きてる証拠なんだよ」
私はこの台詞に救われた。
どうやら私が受け入れられなかったのは、「外交的な振りをする私」だけではなく、「他人から愛される私」も、だったらしい。
自分がこんなにも明るいわけがない、自分がこんなにも人から祝福されるわけがない。そう思っていたから辛かった。目の前で起きる現実と、私の中の現実が互い違いだったのだ。
パーティの後片づけは大変な方がいい。
たくさんの人の想いを抱いて、いや、抱くなんて曖昧なものではなくて、たとえば心臓にひとつひとつを叩きこむように、そうやって体に刻みこむように、私はこの幸せを忘れずに居たい。死んでもずっと忘れずに居たい。だから大変な方がいい。辛い方がいい。悲しい方がいい。忘れるよりずっといい。
そう思いながら、またこうして書き続けるのでした。