あれ、さよならタカラヅカ
今、舞台は眠っている。
そのまま死んでいるなんて不吉な影が迫る中、新しい風も吹いている。
楽観的にも悲観的にもなれる今。
舞台やその役者さんとロミオとジュリエット状態になっている人はたくさんいるんだろうなあと思いつつ。
たくさんの人が、涙ながらにスケジュール帳にばってんを書いてるんだろうなあと思いつつ。
思い出す。
私は、ちっちゃな頃から舞台をみて、前歯が大人の歯になる前からタカラヅカをみていた。
そう、宝塚歌劇団。
男役の女性と娘役の女性がいる、独特だと思われがちなあの劇団である。
そっから、大きくなっても毎月のようにみにいっていた。
日本のみならず、世界中のあらゆる舞台を観に行っても、私の行き着く先はいつもタカラヅカ。多分、いや、疑いようもなく、ファンである。
タカラヅカをみれば、お腹がいっぱいになる。夢は食べられないと言うけれど、私はあの時確かにタカラヅカを食べて生きていた。生きがいだ。
そして、今。
タカラヅカは私のロミオでもジュリエットでもない。
残念ながら、それは、絆がとても深くてウンタラカンタラなんていう感動話があるからじゃない。
なぜなら世界がこんな風になる3年も前に、全く観に行かなくなってしまっていたからだ。
ファンを、卒業したのだ。
特定の人を必死に応援していて、その人が退団したから、とかではない。誰かを贔屓にしたことはなかった。タカラヅカそのものを贔屓していた。スマホの待ち受けは真面目に小林一三先生(=タカラヅカの創設者)だった。
自然と卒業したってわけでもないんだけど、今でもずーっと観てないあたり、卒業する運命だったのは、確かなことだ。
カラフルなペンでタカラヅカの予定を書き込んでいたスケジュール帳。
ぽろっとタカラヅカが抜け落ちた。
あんなに、たくさんの話題や公演情報が目に入ってきてたのに、全く見えなくなった。
世界から、タカラヅカが消えてしまった。
今は、全然違うことをスケジュール帳にいっぱい書き込んでいる。
こんなこと言うと、誰かを怒らせちゃいそうだけど、正直、
今のスケジュール帳のほうが、私は好きである。
今がどうしようもなく楽しくて、愛おしい。
あれ、あの時の情熱、どこいった。
舞台なんて、タカラヅカなんて、結局、こんなもんだっけ。
生きがいとお別れしたはずなのに、私は楽しく生きちゃってるよ。
正直にいうと、あ、そんなもんだったのかもって思う自分もいる。
きっと、今回のことがきっかけで、生きがいだったはずのものがぽろっと日常から、人生から抜け落ちる人はいるかもしれない。だけど、その人のかけてきた想いも、時間も、お金も、そして何よりその生きがい自体も、無駄なもんだ、なんて誰がいう権利があるんだろ。
あの時、私のスケジュール帳を彩ってくれたのは、
確かにタカラヅカだったのだ。
今、違うことに胸を弾ませることができているのは、
タカラヅカが胸の弾まし方を教えてくれたからだ。
過去にも今にも未来にも、タカラヅカはいたのだ。
さよなら、タカラヅカ。
でも、何より、ありがとう、タカラヅカ。
だから、元気でね、タカラヅカ。