あれ、タバコのにおいが許せない
私のベランダはもっぱらハワイである。
太陽がまともに摂取できない日々の中で、唯一のオアシスだ。
それはマンションの他の住民にとってもそうなのだろう。
私が、洗濯物と一緒にベランダでくつろいでいると、半分以上の確率で、
もわ〜んとただよってくるにおいがある。
そうだ、タバコだ。
嫌煙家とまでは言わないが、タバコのにおいにポジティブな感情がわきあがらない私は、そこでイラっとくる。
その人にとっては最高のリラックスでも、私のリラックスはそのにおいでピキッと壊される。
許せない。タバコが、誰かのリラックスが、許せない。
これか、これが不寛容社会か。
せめて、私のハワイはそんな社会でありたくない。
そこでハワイの島主兼唯一の住民である私は、考える。
なぜ許せないのか。なぜ不寛容になってしまうのか。
5分後、悟りを開く。
タバコ=悪という単純な図式から許せないのか。違う。
「私が一方的に被害者である」という感覚こそが、怒りの原因だったのである。
つまり、タバコを吸っている誰かさんと私は「もちつもたれつ」の関係ではなく、「持ちつ持たれず」の関係なのだ。
私は、好んでもない煙を吸い、洗濯物にそのにおいをしみつけられる。
一方で、そいつはタバコをぷかぷか幸せのみだ。
これだ、この構図だ。これが私を怒らせているのだ。
ここで、私はこう締めることもできる。
「私も、私が気づかぬうちに、その人に迷惑をかけてしまっているかもしれない。広い視野を持ってすれば、人類みな『もちつもたれつ』なんだなあ。
その人の居場所が、私の心の中に少しできた分、不寛容はどこかにぷかぷか飛んで行った」
うんキレイキレイ。
ただ、空がどんよりしてる日、かつ生理前の私は、そんなに優しくない。
ギター練習のために、マンションの規約を読み直していた。
引っ張り出した契約書そのままに、タバコについて調べてみる。
「ベランダでの喫煙は禁止」
おい、不寛容とかそんなんじゃねえよ。
ルール守れ、バカチンニコチン。
きっと、こいつだ。ゴミ捨て場に、いつもピザの箱をそのまま捨ててるのは!
想像力も煙と一緒にはきだしちまったか!
想像力…。
いや、でも、ベランダで吸ってるんじゃなくて、ただ窓を開けてるだけかも……。
私だって気を付けてるけど、規約上問題ないけど、ギターやってるし、やっぱ、どっかで迷惑を……。
ゴミ出し、完璧だったっけ.......。
タバコを吸う人を傷つける権利とは....。
自分の”絶対”にどんどん自信が持てなくなる。
怒りの勢いが、弱火になる。
自分の"不確かさ""不完全さ"に寛容になると、不寛容はグラグラ揺らぐ。
それでも、私の心の中に、喫煙スペースを設けたわけではないけど。
だけど、今日は、雨だし、もういっか。