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大学1年生の自分へ

過去のSNSなんてみるもんじゃなかった。

夏季休暇も真っ只中。スマホを見ながら、「こんな大人でよかったのか」と自問自答をしながらベッドの上で足をバタバタさせている。こんな醜態を人に見られたら終わりである。部下を持つ立場でありながら、こんな情けない自分に悲しくなる。普段涼しい顔をしている上司も足をバタバタさせているのだろうか。

折角の夏休みではあるが、こうも暑いと、外出する気が失せる。
私は何をしているかというと、XやInstagram、Facebookなど、自分のSNSを整理するついでに過去までさかのぼっていた。
大学のときに仲良かった人、あまり気持ちの良い辞め方ができなかった部活でお世話になった先輩や元同期、大学の授業で少し仲良くなった人、バイト先の人、地元の友達など、近況を更新している人もいればそうでない人もいる。
流れた時間に思いを馳せて、懐かしい気持ちに浸っていた。それと同時に、自分がこれまで垂れ流していた醜態ともしっかりと向き合い、恥ずかしい気持ちになった。

SNSを見ると、今の自分は、無数の選択を経て成り立っているのだとことさら強く感じる。
あの時部活を辞めていなかったら、定期的に開かれている部活のでの集まりに参加していただろう。今はつながりが途絶えたあの人も、自分が積極的に話かけにいって親交を深めていたら、色んな人と繋いでくれて、違った世界を見せてくれただろう。
無数のたらればが頭に浮かぶ度に、かつて読んだ『四畳半神話大系』の一節が脳裏をかすめる。

可能性と言う言葉を無限定に使ってはいけない。我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である。
我々の大方の苦悩は、あり得べき別の人生を夢想することから始まる。自分の可能性という当てにならないものに望みを託すことが諸悪の根源だ。今ここにある君以外、ほかの何物にもなれない自分を認めなくてはいけない。

 『四畳半神話大系』より抜粋

そう、今のどうにもならない自分を認めてあげることが必要なのである。
ただ、過去を振り返る無為な作業の中で思い出した大切な感情は、noteにメモとして残しておこうとも思う。

前段はここまでで、ここからはテーマの「自分で選んで良かったこと」について、大学1年の夏に、日中交流のプロジェクトに参加した経験を書こうと思う。これは私が大学に入って、初めて能動的にチャレンジをした経験である。
このプロジェクトに参加していなかったら、私は大学時代を無意義に過ごすことになっていただろう。

湖北省の写真

後述するが、プロジェクトの最終日、際限なく広がる地平線に太陽が沈みゆくのを見ながら、私は強くなることを誓い、今日まで努力を重ねてきたのである。

大学1年生の私は怠惰を極めていた。
授業は最低限参加をしていたが、授業が終わるや否や家に帰り、友達とWiiで遊ぶ毎日。金はないのでもやしを食べながら、ひたすらマリオブラザーズをやっていたのが懐かしい。
もやしをバリバリだべながら、友達のルイージの動かし方が良くなかっただの、HPの消費を抑えるように丁寧に動けだの、あーでもない、こーでもないとそれは真面目に大学生活を送っていたのかもしれない。中学・高校と勉強が厳しかった反動がでてしまったのだろうか、できるだけサボることを考えていた、典型的なダメ大学生である。

ある日、大学の先輩に誘われて日中交流イベント(餃子づくり)に参加した。急遽欠員が出たためという超代打要因ではあったが、もやし生活から脱出したい、餃子が大好きである、という至極単純な理由でイベントに参加した。

イベントの詳細についてほぼ覚えていないが、名の通り中国人留学生と餃子を作りながら、日中の違いについて話し合うイベントだった気がする。
餃子で膨らんだ胃袋に満足感を感じ、イベントを終えようかというとき、私の価値観を変える出来こととなりうる日中交流プロジェクトの紹介をされた。

プロジェクトの中身を簡単にいうと、中国に行って日本語を学んでいる中国人留学生と2週間交流するプロジェクトである。もちろんただ遊ぶだけではなく、文化遺産を観光したり、日中間の価値観の違いを話し合うことでお互いへの理解を深めたりなど、ちゃんとテーマを持って活動するものであった。

自分は大学で中国語を学んでおり、今後に役立つ経験が多いだろう、というのと、何となくこのままだと大学生活やばいなと焦っていたタイミングが重なったのもあり、参加を決意したのである。

あれやこれやと準備し、いざ北京の地へ出発である。
日本側の学生7名ほどで、北京の空港で中国人留学生7名とはじめましての対面なのだが、対面した瞬間度肝を抜かれた。

相手の日本語レベルが高すぎる。

同じ大学1年生なのに、相手はもう日本語がペラペラである。
一生懸命中国語を話そうとするがまったく通じず、一度は私が話す中国語を聞いてくれるが、結局日本語で会話してくれる。
相手が自分のレベルに下げて会話をしてくれる、ということはこんなにも屈辱なのかと感じた。

中国にいた1週間は、いろいろなことをした。
宿泊先の予定地と色々トラブルがありその調整に時間がかかったため、深夜に到着したことは覚えている。
ホテルに向かうまでの道中で目に映る燦燦と輝くネオンの光は、初めて海外に行った私にとってはとても印象的だった。あと当たり前だが漢字ばかりの街並みに、改めて中国に来たことを思い知らされる。

中国の街並み

写真に写っているのは飲食店の看板で、急遽そこで夜ご飯を食べた。深夜にも関わらず美味しい中華を手ごろな価格で沢山食べれたのは感動した。途中火が通っているか怪しいエビがでてきた記憶があるが、疲労と空腹で、見ないふりをしてそのまま食べた。

プロジェクトの主目的である、草の根の異文化交流をしつつも、世界遺産を観光したり、企業に訪問して話を聞いたりなど、刺激的な体験が多かった。初めて目に映る光景ばかりで、ワクワクが止まらなかった。

この感動を、相手に中国語で伝えられたら良いのになあと強く感じたとともに、それができない自分に徐々に悔しさを覚えるようになった。

世界遺産 天壇公園(北京)

お金を払って似顔絵を描いてもらった。この似顔絵=俺の顔でないことは強調しておきたい。この似顔絵を描いてもらったとき俺はNIKEの服を着ていなかった、と言えばいかにこの絵が適当であるか信頼してもらえるだろうか。
お金を払っても、それに見合う対価が来るとは限らない、というのも学んだプロジェクトであった。

似顔絵。俺はNIKEの服は持っていない。

イベントも終盤に差し掛かったころ、冒頭で写真にも上げた、湖北省の別荘に泊まりに行き、キャンプをした。

湖北省の写真。自然がきれいである。

別荘は広く、日中併せて合計14名ほどはゆうに泊まれる場所があるのに加えて、ゲーム機や卓球台、カラオケ、ビリヤード、ダーツなど娯楽も多く、夜通し遊んだ記憶がある。

別荘の写真。麻雀卓やビリヤードの台がついており、とても大きかった。

もう間もなくイベントが終わるね~などと周囲の人と話していると、途端に寂寥の念が押し込めてくる。
2週間、相手の日本語力レベルが高いことに甘んじて、ずっと日本語で話をしてしまっていた。それでも優しく中国語を教えてくれた。
同じ大学1年生なのに、相手は皆レベルが高かった。
それこそ学ぶことへの熱量のかけかたが違うのだと感じた。
プロジェクトの一環で大学を訪問した時に、大学の図書館に行ったが、図書館一階の共有エリアでは、みんな英語の教科書を片手にぶつぶつ音読しているのだ
私が行っている大学ではそのような経験はなかった。大学進学まで、それなりに勉強はしてきたつもりだったが、上には上がいる、ということを痛感したプロジェクトであった。

湖北省で見た夕日

沈みゆく夕日の中、イベントの思い出などをメンバー同士で話し合っていた。とにかく悔しい想いが強かった。自分が嫌いになった。だがそれはポジティブな感情で、絶対に中国語がペラペラになって帰ってこようと強く決心したのだ。胸を張って相手とコミュニケーションをとるために、言語が話せないがために縮こまることのないように、自分のことを好きになるために、努力しようと誓った。

怠惰な大学生活を送っていたが、自分で参加することを選んだこのプロジェクトは、自分を大きくしてくれた。

1年後、同じプロジェクトに参加し、このときのメンバーと再会するのだが、それはまた別のnoteにまとめようと思う。

スマホを閉じてベッドにゴロンとなり、天井を見上げる。
あのときに感じた、「自分を好きになりたい」という思い、達成できているだろうか。
例えばまた今後ビジネスの場で彼らと対峙した時に、堂々と胸を張ってやり取りをできるだろうか。
大学生のときに比べたら、多くの面で成長ができたと思う。
だが、まだ足りない。
プロジェクトの中で出会った人たちのSNSを見ると、今は日本の会社で活躍している人がいたり、大学の修士課程で学んでいる人がいたり、様々な人がいる。
他人と比較するのが正ではないが、自分ももっと上に、上に向かって努力を重ねないといけない。
過去を見つめなおすことで、将来についても考えることができたのは、大きな収穫だった。


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ぐー
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