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3月に友人と話した内容について、自分にも当てはめた上での心境吐露

吾輩は怠け者である。名前はすでにある。しかしながら、怠け者であると思う。であるからして、マイペースであるのかもしれない。

課題を脇に置くふりをして、さらにゴミ箱に入れて蓋をして、ガムテープでゴミ箱の蓋をぐるぐる巻きにして、さらにゴミ箱全体をガムテープで覆い尽くして、Lサイズのゴミ袋に入れて燃えないゴミとして出すくらいの心境で、怠け者を言い換えるとマイペースとなるのかもしれない。

そうなると、マイペースな人に失礼にあたるので、やはり怠け者であると言えよう。

そうしておこう。

自分が頑張れない理由を考えると、それはそれは「失敗する」ことへの恐怖心だったり不安だったりがある。その不安の現れ方もけっこうねじれていて、失敗するのが当たり前みたいな気持ちがふやっとよぎるのだ。

人が失敗する時、たいがい失敗する行動をしているとぼくは思うのだ。成功とは、ラザニアを作るがごとく、ミルフィーユを作るがごとく、一枚一枚、一層一層とObject(目的)を作り上げる行動の積み重ねで、成功する可能性を少しでもあげていくしかないわけなんだけれど。

口で言う「やりたい」「実現したい」ことと、実際の行動や言動がかけ離れていることなんて、結構あるわけである。それは自分にも言えることよ・・・と思うのだ。

なので、最近小さく行うをつづけることを心掛け、小さくできた自分を認めることをしている。何もしないより、少しでも行動する方がまだ成功可能性は増えるのだから、小さく行動した自分を認めること、受け入れることをしようと思ったのだ。

これまでの失敗の多くは「完璧」を求めすぎて、やる気OFFになっていたことが多く、なんにも行動しなくなっていた。当然、それでは1mmも前に進まない。時間はさきにどんどんすぎていくわけだから、結局のところ前にも進まないし、その場に止まっているわけでもなく、むしろ後退してしまっているとも見れるわけだ。

そんなことを考えつつ生きているのだけれど、そんな中、友人とよく話すのは「なぜ、口では色々言う割には行動しない人が多いのか?」

口で望んでいることに向けて行動する人が少ないのは、なぜなのか? ということなんだけれど。前職の職場で仕事をまともにしない人のことや、友人の経営する会社の社員の話から、そんな話をするわけだけど、明確にわかりやすい結論はでていない。

ムツカシく言える結論はぼくら以外のところですでに出ているのだけれど、言うなれば「恐怖」がその人の行動を抑えているということ。(byハーバード大学)

「できること」と「できないこと」の多くは「できること」=「やりたいこと」に変換できるし、「できないこと」=「やりたくないこと」に変換できる。多くの人はできないんじゃなくて、「やりたくない」から行動しない。じゃあなんで「やりたくない」のかって言うと「怖い」からやりたくないわけ。

個人心理学で名をはせたアルフレッド・アドラーは「やりたくない」から恐怖という感情をつくっていると述べているけれど、どうなんだろう? そこは卵が先か鶏が先かって話なんかもしれんと思わないでもない。

自分の本当の「やりたいこと」って知るのは難しいのかもしれないな〜とも思う。自分の願望だけで動くだけの燃料がある人ばかりじゃないのかもしれない。単純な興味だけでは飽きてしまうのかな?

わからんけど。

たぶん「やりたいこと」の内容には、その人が望んでいる物語があって、他人の反応と他人に自分がどう扱われるかなんかも含まれている。そこが結構大事になることもあるんじゃないかな?

行動を止める恐怖は実は存在していないのだけれど、自分が思い描く漠然とした未来の物語が壊れるのが怖いと「夢」という可能性だけのファンタジーにとどまる方が、気持ちが安心するのかもしれない。

ぼくは、自分のやりたいをもうちょっと考えつつ、今見えていることを続けていこうと思う。行動しながら考え、考えながら行動するというなんともムツカシイことをやろうと言うわけだ。

とりあえず、体力はつけないとな・・・


写真はDommy作『四季』 塊展@大阪芸術大学あべのハルカスキャンパス 2021年3月27日撮影

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