トランスジェンダーというカルト③ 生い立ち
私は元夫が女性を名乗り出した原因は、彼の生い立ちにもあるのではないかと考えている。
彼はもともと孤児で、裕福な家庭に養子として引き取られて育った。父親は馬とサッカーと金勘定が好きな典型的なイングランド人で、若い頃は仕事の都合でアジア圏で過ごす時間もあったらしいが、そこで出会った元夫の母親と数年にわたる泥沼離婚裁判やそれに付随する財産分与で、元夫が成人を迎える頃にはすっかり外国人嫌いの極右白人になっていた。昔から金儲けは得意だったようで、元夫を上流家庭がごろごろいる寄宿制の小中高男子一貫校に入れるくらいの収入はあった。基本的に、英国にある寄宿学校は十分に裕福な家庭のみ受け入れられる学費を設定している。「ある程度の収入」レベルでは入学できない。寄宿学校ということは、長期休み以外は常に親元を離れて暮らすことになる。だが、元夫の家庭は彼が中学校にあがる前には既に破綻していたようで、長期休みの間も安心して帰れる実家がないこともあったらしい。それを聞いて、私はハリーポッターが一人、寮でクリスマスを過ごしている姿を思い出した。私の両親は常にお金のことで喧嘩をしていたので、お金は余っている家庭でも、孤独は切り離せないものなのか、と意外に思った。現実味がないというか、少なくとも彼には暴力を振るわない両親がいて、最高級の教育を受けている。住む世界があまりにも違った。
元夫の両親の離婚裁判は5年間に渡ったという。なぜそれほど長期間揉めたのか、彼自身も知らないと言っていたが、おそらく財産と父親の不貞が原因だろう。彼の母親に初めて会ったとき、私は彼女が全くお金に困っていないことに驚いた。とっくに定年は過ぎている年齢で、一軒家の豪邸に食費がかかる大型犬と一緒に暮らしていて、家の床は大理石、大きな庭は庭師が定期的に手入れしている。彼女は英国に移住してからずっと主婦だったそうなので、収入源は元夫の父親としか考えられない。もちろん、離婚後の両親の関係は最悪で、別居してからは一度も顔を合わせたことはないという。元夫は大学までずっと寮で生活していたので、学生自体にどちらかを選んで一緒に住んだり、味方するということはなかった。しかし、就職をするときに父親のコネを使ったこともあり、大学卒業後は母親の家から遠く離れた父親と同じ町に住んでいた。これは次の記事で詳しく触れるが、彼の母親はかなり口煩く、大袈裟な人なので、思春期を過ぎた頃には父親といるほうが楽だったのだと思う。もっとも、元夫から直接聞いたわけではないが、私が把握していた状況的に父親と一緒にいる時間のほうが圧倒的に多かった。
元夫は一人っ子で、両親は彼を医者に育てるつもりで一貫校に入れた。彼の出身校は昔からケンブリッジやオックスフォード大に進学する生徒が多く、そのエリートコースから外れた元夫は落ちこぼれだった。その上、学生時代は人体よりも機械いじりに夢中になり、将来は医学ではなくエンジニアリングに関わりたいと思っていた。医学部に進める成績ではなかったが、進学先や学部はある程度選べるレベルではあったので、両親の期待と自分の関心の間をとって生物医学を専攻した。
彼の生い立ちが分かっていくにつれて、私は彼はひどく孤独で、自分の意思がない人だと感じていた。両親の中が険悪になる前から家族として一緒に過ごす時間も少なく、反抗期の話も聞いたことがない。私と一緒にいても、行き先や食べたいものも決めていいよと言うし、時々何を考えているのか不満に思うこともあった。生きがいといったらPCゲームくらいで、なにか人生で成し遂げたいとか、こう生きたいといった目標も聞いたことがなかった。エリートコースから外れて、自分が何者でもないことを思い知ったのだろうか。さほど歳はとっていない、まだ若者の部類なのに、抜け殻といった感じだった。かといって日常生活にこだわりがない訳ではなく、食料品は決まったブランドのものしか買わないし、靴下は黒、服装はジーパンにTシャツ、その上に黒のパーカーが決まりだった。とにかくいつも同じ服装をしているので、嫌気が差した私は「たまにはこういう色の服も着なよ」と明るい色のTシャツをあげても、翌月には元の格好に戻っていた。一緒に暮らしていくなかで、もっとリードしてほしいと思っていた時期もあったが、彼がもともと大人しくて自己主張できないタイプであることは分かりきっていたので、私は諦めていた。
しかし、その極端な引っ込み思案さに私は何回も腹が立てたことがある。たとえば結婚当初、急に口数が少なくなる日があった。何を聞いても素っ気ない返事なので、外食でもしようと言って外に出たが様子は変わらず、一体何なんだと怒ると、実は体調が良くないと。結局、急性扁桃腺炎にかかっていたことが後で分かったが、なぜ具合が悪いことをすぐに伝えなかったのか聞くと「男だから」と彼は恥ずかしそうに言った。たしかに、弱音を吐くことは男性的ではない、と考える男性は少なくない。自殺防止団体のウェブサイトにもよく「誰かに相談することを男性らしくないと思わないで」と書かれている。特に英国には上流階級に残っている伝統文化の一部で、ジェントルマンとして品良く立ち振る舞ってこそ、真の男性といった考えがある。どんなに不満があっても、何事もなかったかのように振る舞い、その場を去ることが理想とされ、その場で文句は決して言わない。たとえば、私が実際に彼といたときの体験で言うと、たまたま入ったレストランで、店は空いているのに40分以上待たされたことがあった。私は違う店に行こうと何度も言ったが、彼はいいから待とうと言って聞かず、挙句の果てに料理も不味かった。安くない会計を済ませて私が怒りながら店を出ると、彼は「最悪な店だったね」と文句を言った。せっかくの休日に街に出てきて美味しいご飯を一緒に食べたかった私は、じゃあなんで店を出なかったんだと怒った。焦った彼は「ジェントルマンカルチャーで、一度決めたことを変えるのはマナー違反」と説明したので納得するフリをしたが、彼は上流階級の人間ではないし、取ってつけられたような言い訳に、私は心のどこかで本当は店を出る度胸がなかっただけだろうと思っていた。他にも、彼の仕事帰りに落ち合うために、一人で街を歩いていたとき、くすくす笑いながらニーハオと言われたことがあった。当時は移住したばかりで仕事も見つからず、現地に元夫以外の知り合いがいなかったこともあり、なぜか私は悔しくて号泣してしまった。仕事が終わって合流した彼にどうしたのか聞かれて説明すると、珍しく怒りながら、ちょっとそいつらと話をしてくると言った。喧嘩はしないでほしいと止めて、逆方向に歩き始めてまもなくすると「やっぱり挨拶がしたかっただけかもしれないよ」と怖気づいていた。妻が悲しんでいるというのに、どこまでいっても事なかれ主義なのか、と呆れたことを覚えている。
元夫は平和主義で、争い事が大嫌いな臆病者だったので、こうした男性性にこだわっていたのも、「男らしくない」自分の欠点を隠すためだったのではないかと思う。社会的な風潮から影響を受けていることは言うまでもないが、彼の父親が娘ではなく、息子がいることを誇りに思っていたことも大きいと考える。彼の母親が言うには、養子を引き取る時も絶対に男の子がいいと言って聞かなかったらしい。状況から察するに、父親は自分が直接教育できる跡取りが欲しかったのだろう。両親は彼を名前で呼ぶことは少なく、いつもはただ「息子」と呼んでいた。
親子それぞれの仲は良かったが、元夫はいつも父親を恐れていた。彼が父親にははっきり物を言えない様子を何度も見ていたので、「お父さんのこと怖いの?」と彼に直接聞いたこともあったが、本人は自覚していなかったらしい。私も結婚前に父親に会ったとき、その何とも言えない圧力に不快感を覚えたので、なんとなく彼の気持ちは分かった。父親がアジア人が好きではないことは前々から知っていたので、ある程度の嫌味くらい言われる覚悟はしていたが、予想以上に懐疑心と傲慢さが滲み出ている人だった。とにかく自分のことで頭がいっぱいらしく、相手が誰であろうと、思いやりや気遣いができるようなタイプではなかった。食事の際にしつこく私に日本酒について聞いてくるのを見て、止めようとする元夫や父親自身の妻に高圧的な態度をとったときは、肝が冷えた。あぁ、この人が父親だと苦労しそうだと直感的に思った。
元夫の彼の身近な男性像というと、父親か学校関係者しかいない。彼の価値観には父親の影響が必ずある。養子として引き取られたときから、彼の環境は常に男であることが前提であるにもかかわらず、肝心の本人は男らしくない現実はかなりアンバランスだっただろう。彼がいつから自分の性別に疑問を抱いていたかは分からないが、彼が育った環境は自己肯定感が高まるものだったとは言えないと思う。
元夫は父親にも手紙でカムアウトした。あれだけ息子にこだわっていたのだから、気が狂ってもしょうがないと私は予想していたが、次の日に「娘ができて嬉しい」と返事がきたらしい。父親も特別親しい友人がいる様子ではなかったので、一人しかいない子供をなくしてはいけないとでも思ったのだろうか。それとも息子の告白は本気とは思わなかったのだろうか。ジェントルマンとしての建前か。本心は分からない。父親に「了承」をもらった元夫はつぎは母親、友人にカムアウトしていった。父親とは最初の数ヶ月だけ良好な関係だったようだが、父親の妻、彼の継母が元夫を気味悪がって父親から彼を遠ざけようとして、時間が経つと、少なくとも父子は以前のような関係ではなくなった。父親は子供より自身の妻を取ったようにみえるし、元夫もそう感じていたようだった。結果的に父親だけでなく、友人の大半も時間をかけて彼から離れていくことになるのだが、これはまた別の記事に書こうと思う。
周りが受け入れた「フリ」してくれたことで、元夫は本当の自分を見つけたと幸せの絶頂を迎えていた。一方で、その幸せを一緒に受け入れない人たちに対しては、不満と憎しみを募らせていた。
(次の記事に続く↓)