自由は死ね
昔叔父が「責任とはお金」みたいなことを言ってて当時から今もそして今後も納得できない。
僕の思う自由とは、何でも自分で決められるということ、選択の自由だと思っている。
もちろんお金があれば何だって出来るし望むものは何でも手に入ると言う人はいるだろうが、何というか、僕はそういう話がしたいんじゃない。
ただし、自分で何でも決めてもいい代わりの代償として自分の行動には自分で責任を持たなければならない。自由とは、自分の考えや行動の全てを自分で選択し、常に自責思考であること。
責任とは自責であること、つまり自分に起きた物事は自分が原因で起きていると考えること。これが僕の結論だ。
僕は早く家を出たい、とにかく、猛烈に、すぐにでも実家でのストレスを和らげたい。自律神経の乱れを頻繁に感じるようになった。
しかし、自分から言い出せない。誰か、他に、僕がこの家を出る理由を作り出して欲しい。
僕がこの家を出たい東京に行きたいといえば否定されるかもしれないいや間違いなく否定される。
そして自分ら両親がいなければ僕がどれだけ未熟で生きていけない脆い存在か、今の環境がどれだけ居心地がいいかを物語るに決まってる。それが怖くてできない。
そんな時は、僕は他に理由が欲しくなる、いつもそうだ。
「だって、〇〇がやれって言ったから」「△△に行けと頼まれたから」「僕が考えたんじゃない、☆☆のせい」
そうやって、責任転嫁したいんだ。そうじゃないと対話の矛先は自分に向かって真っ直ぐ飛んでくる、真っ直ぐに。
昔から物事を直接伝えることが苦手だ、中学生の時に古文の勉強をしていて思った、うちは「婉曲」の家だと。
自由になりたい、親の支配から逃れたい、もっと思った通りに発言したい、縛られたくない、自分で決めたい。
後になって親に向かって「ほらだから言ったやん」って言っても何の意味もないし親の方が先に死ぬとか耳が腐るほどよく聞くけど、頭でわかっていてもこれまでに築き上げた親との関係において本能が怖がっている。
こんな臭くて動物的で頭でっかちの口先だけのやつらのどこにビビる必要があるんだと必死に自分に言い聞かせても、何故実行に移せないのかわからない。
自由になりたいのに、自由になれない。
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